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壊れゆく日本という国 [雑感]

新聞ため読み。オピニオンリーダー内田樹さんの取りまとめが見事です。引用Blogもチェックしました!

「企業利益は国の利益」犠牲を迫る詭弁を与党が後押し 国民の末期を官僚もメディアも嬉しげに見ている 。

http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/1f42a8a0ad8471524c164419dc3b68f7
【引用開始】

 「国民国家としての日本」は解体過程に入った、というのが結論です。そもそも国民国家というのは、1648年のウェストファリア条約のときに原型が整い、以後400年ほど国債政治の基本単位であった。しかし、政府は国民を「身びいき」することをやめて、グローバル企業の利益を優先するようになってきた。
 政府がグローバル企業の利益を優先させる具体例は、     

原発を再稼働させて電力価格を引き下げようとする「製造コストの外部化」                         
高速道路を縦横に走らせる「流通コストの外部化」                     
英語が話せて辞令1本で海外勤務もさせられる使い勝手のいい若年労働力を供給させる「人材育成コストの外部化」 
        
汚染された環境を税金を使って浄化させる「環境保護コストの外部化」                
などです。「外部化」というのは、税金を使って企業の利益になることを代わりにやってあげることなのです。

 つまり、グローバル企業の側から見れば、国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある「資源」でした。政権与党はそのことを「企業利益は国の利益」という詭弁で、国民に犠牲を迫ってきた、と指摘しています。
 内田さんによると、「ケネディのスピーチの枠組みを借りて言えば、『グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ』という時代」なのだそうです。
そして「日本のメディアがこの詭弁を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕する」とも記しています。

 筆を進めて、「私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば『日本の国富を各国(とくに米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス』なのである」と、喝破しています。

 さらに、「現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である」とも。

 そうして、安倍政権の下で「国家の解体」が実態として進んでいることを、「政治家たちも官僚もメディアも、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の『末期』のかたちだろう」と、突き放しています。

 そのうえで、「この国民国家の解体は日本だけのできごとではない。程度の差こそあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない」と、慰めてくれています。

【引用以上】

全文は…
http://thymeup.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2013-05-11


image-20130512103722.png

経済が潤うと明るくなりますよね。株で儲かって安倍様々と言っている人をニュースが流す。原発立地時同様、札束で頬を叩かれて、あと先が考えられなくなっている事象に見えて興味深いです。

今日のテレビでコメンテーターは「安倍さんには経済を立て直してもらって、あとは外交をしっかりしてもらえば…」

と別物のように言ってますが、ナショナリズムと経済の立て直しも遠くから眺めると、全く同じもののようです。

メディアが近視眼的な視点を保ってしっかり並走しているから安定しているようにみえます。

既に日本のメディアの自由度ランキングの低さは韓国や南アフリカ以下と聴いていますが、どうなんでしょうか?




■次に、「靖国神社参拝」を当然と捉えたナショナリズムとグローバリズムについても考えてみました。

12月のBlog[成熟した社会の行き先は?]ではこうまとめました。http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-12-06
【引用】

原発という国策はじめ公共事業と徴兵で解消する問題は、ともすると国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。

それら暴力との共生は低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。

いじめと救いがない交ぜの教室に似た平衡。大多数はそこそこ気分のよいものを充てがわられればよい。
暴力を監視するのが国民の役割と、社会学者、野村一夫氏は説く。http://www.socius.jp/lec/21.html
が、公の調和の為なら見て見ぬ振りが大人の振る舞いだと刷り込まれた日本人に可能だろうか。

【引用以上】


今は、暴力を監視するのが国民の役割で【憲法】が監視ツールのはずなのに、様々な詭弁が監視を解こうと必死です。

排他主義、人権無視のヘイトスピーチをする洗脳団体に、安倍首相は自粛を促せていませんし(FBでネトウヨに呼びかけると国会で宣言したにもかかわらず)、ヘイトスピーチを後押ししている証明をしています。


そして、[愛国心]を叫びながら米国の言いなりでもあります。「国民身びいき」のふりをして「米国帝国」システムの天下りを狙うかのようです。郵政民営化、番号制、経済徴兵、国際的に評判が悪かろうと米国のシステムを殆ど追随させようとしているのがその証明のようです。

そうそう、日本は成長してもらわないといけませんっていう米国のブッシュ政権時の財政官の手記が新聞に掲載されてて、安倍さんの主張と気持ちが悪いくらいそっくり。ブッシュ政権は経済学者フリードマン信仰で動いてたから、安倍政権がフリードマン路線を追従しているのがみえみえです。

[愛国心]を打ち出す理由はタカ派の政治家達の本質というだけでなく、暴力と共生して初めて成り立つのが国家だという側面を出さないと[国民国家]としての定義が崩れるからでもあるのでしょう。だから、国際的に恥ずかしくても[愛国心]は、すがれる最期の砦かもしれません。

プラス、内田樹さんの説も説得力を持ちます。

【文中引用】

この本質的に反国民的な要求を国民に「飲ませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。
 グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。

【以上 】


実際、ヘイトスピーチをする同じクチから「反原発は経済の足を引っ張る。国民一丸となって経済を立て直さねば。」なんて声も聞こえて来て気持ち悪くて仕方ありません。


そして、その振る舞いがアジア諸国への圧力として有効ともてはやされ、しっかり軍事経済に利用できるから国際的にではなくグローバル的に一石二鳥なんですね。


また、http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2013-04-13
多国籍企業は[帝国主義]的手法で侵略しているという意味で、グローバリズムはナショナリズムと思想的に融合しやすいということもありそうです。


image-20130512102428.png

また、
http://t.co/LZNXgpT6pB
経済学者の宇沢弘文さんはこう述べています。

→フリードマンの市場原理主義は、経済学とは言えない一種の信念ですね。いまのアメリカの置かれている大惨事は、そこに原点があると思うのです。


市場原理主義も一種の[原理主義]に違いなく、日本の[宗教観]が様々な[原理主義]と融合しやすいという点にも根ざしそうです。http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

そんな原理主義の潮流と、富裕層に媚びてきた戦後68年の知恵に呑み込まれ、投票したい党がなくなっている現実に頭痛がします。




予想通り…
国家の暴力的な部分が予想していた通りに拡大させられて「グローバル企業」にひれ伏しているわけですが、全く嬉しくないです。暗雲の中に投入している気分です。

予想通りと言っていると「嬉しいんだろう」と叩いてみせるのも流行っているみたいですが、

これも下の■と同じで「心配する人は予想通りになると喜ぶから腐ってる。憂う人を非難すれば良い」ってパターンなんだと思っています。

■ ナチス政権下で国家元帥だったヘルマンゲーリングは世界大戦のあと「戦争を起こすのは簡単だ。国民に向かってわれわれは攻撃されかかっているのだとあおり、平和主義者に対しては愛国心が欠けていると非難すれば良い。これはどんな国でも有効だ」と述べたという。

どの国も一緒ですか?そして、日本人は原理主義に盲目に勤勉でした。
内田さん同様、慰めてくれていませんね。



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コメント 3

りあむ

投票したい党がない、に同感ですね。投票すること自体に無力さを感じるようになってしまいました。

by りあむ (2013-05-15 20:08) 

あゆこ

りあむさん!
まったくです(T_T) 各党にも人権に目を向けた方々が居て反原発や護憲活動に勤しんでいるのでしょうが、メディアは大局的なところしか流さないから余計残念な気分です。応援しても結果が濡れ手に泡になりそうで…。でも、諦めたら試合終了ということで。
by あゆこ (2013-05-18 00:54) 

あゆこ

5月8日(水)13 朝日新聞朝刊



     壊れゆく日本という国

     「企業利益は国の利益」      国民に犠牲を迫る詭弁      政権与党が後押し
神戸女学院大学名誉教授 内田 樹(たつる)


     国民国家の末期を      官僚もメディアも うれしげに見ている


 日本はこれからどうなるのか。いろいろなところで質問を受ける。
「よいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」というのがこういう問いに答えるときのひとつの定型である。それではまず悪いニュースから。

 それは「国民国家としての日本」が解体過程に入ったということである。
国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のことである。平たく言えば、国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを政府がその第一の存在理由とする政体である。言い換えると、自分のところ以外の国が侵略されたり、植民地化されたり、飢餓で苦しんだりしていることに対しては特段の関心を持たない「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)政治単位だということでもある。
この国民国家という統治システムはウェストファリア条約(1648年)のときに原型が整い、以後400年ほど国際政治の基本単位であった。それが今ゆっくりと、しかし確実に解体局面に入っている。簡単に言うと、政府が「身びいき」であることを止めて、「国民以外のもの」の利害を国民よりも優先するようになってきたということである。

 ここで「国民以外のもの」というのは端的にはグローバル企業のことである。起業したのは日本国内で、創業者は日本人であるが、すでにそれはずいぶん昔の話で、株主も経営者も従業員も今では多国籍であり、生産拠点も国内には限定されない「無国籍企業」のことである。この企業形態でないと国際競争では勝ち残れないということが(とりあえずメディアにおいては)「常識」として語られている。
トヨタ自動車は先般国内生産300万台というこれまで死守してきたラインを放棄せざるを得ないというコメントを出した。国内の雇用を確保し、地元経済を潤し、国庫に法人税を納めるということを優先していると、コスト面で国際競争に勝てないからである。

 外国人株主からすれば、特定の国民国家の成員を雇用上優遇し、特定の地域に選択的に「トリクルダウン」し、特定の国(それもずいぶん法人税率の高い国の)の国庫にせっせと税金を納める経営者のふるまいは「異常」なものに見える。株式会社の経営努力というのは、もっとも能力が高く賃金の低い労働者を雇い入れ、インフラが整備され公害規制が緩く法人税率の低い国を探し出して、そこで操業することだと投資家たちは考えている。このロジックはまことに正しい。

 その結果、わが国の大企業は軒並み「グローバル企業化」したか、しつつある。いずれすべての企業がグローバル化するだろう。繰り返し言うが、株式会社のロジックとしてその選択は合理的である。だが、企業のグローバル化を国民国家の政府が国民を犠牲にしてまで支援するというのは筋目が違うだろう。
 大飯原発の再稼働を求めるとき、グローバル企業とメディアは次のようなロジックで再稼働の必要性を論じた。
原発を止めて火力に頼ったせいで、電力価格が上がり、製造コストがかさみ、国際競争で勝てなくなった。日本企業に「勝って」欲しいなら原発再稼働を認めよ。そうしないなら、われわれは生産拠点を海外に移すしかない。そうなったら国内の雇用は失われ、地域経済は崩壊し、税収もなくなる。それでもよいのか、と。
 この「恫喝」に屈して民主党政府は原発再稼働を認めた。だが、少し想像力を発揮して欲すれば、この言い分がずいぶん奇妙なものであることがわかる。電力価格が上がったからという理由で日本を去ると公言するような企業は、仮に再び原発事故が起きて、彼らが操業しているエリアが放射性物質で汚染された場合にはどうふるまうだろうか?自分たちが強く要請して再稼働させた原発が事故を起こしたのだから、除染のコストはわれわれが一部負担してもいいと言うだろうか?雇用確保と地域振興と国土再建のためにあえて日本に踏みとどまると言うだろうか?絶対に言わないと私は思う。こんな危険な土地で操業できるわけがない。汚染地の製品が売れるはずがない。そう言ってさっさと日本列島から出て行くはずである。

 ことあるごとに「日本から出て行く」と脅しをかけて、そのつど政府から便益を引き出す企業を「日本の企業」と呼ぶことに私はつよい抵抗を感じる。彼らにとって国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある資源である。汚染された環境を税金を使って浄化するのは「環境保護コストの外部化」である(東電はこの恩沢に浴した)。原発を再稼働させて電力価格を引き下げさせるのは「製造コストの外部化」である。工場へのアクセスを確保するために新幹線を引かせたり、高速道路を通させたりするのは「流通コストの外部化」である。大学に向かって「英語が話せて、タフな交渉ができて、一月300時間働ける体力があって、辞令一本で翌日から海外勤務できるような使い勝手のいい若年労働者を大量に送り出せ」と言って「グローバル人材育成戦略」なるものを要求するのは「人材育成コストの外部化」である。
要するに、本来企業が経営努力によって引き受けるべきコストを国民国家に押し付けて、利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本的な戦略なのである。繰り返し言うが、私はそれが「悪い」と言っているのではない。私企業が利益の最大化をはかるのは彼らにとって合理的で正当なふるまいである。だが、コストの外部化を国民国家に押しつけるときに、「日本の企業」だからという理由で合理化するのは止めて欲しいと思う。
 だが、グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「日本の企業」という名乗りを手放さない。なぜか。それは「われわれが収益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだ」というロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠だからである。だから、グローバル企業とその支持者たちは「どうすれば日本は勝てるのか?」という問いを執拗に立てる。あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰がそのまま日本人の価値と連動していることは論ずるまでもなく自明のことであるかのように。

 そして、この問いはただちに「われわれが収益を確保するために、あなたがた国民はどこまで『外部化されたコスト』を負担する気があるのか?」という実利的な問いに矮小化される。
 ケネディの有名なスピーチの枠組みを借りて言えば「グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ」ということである。
日本のメディアがこの詭弁を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕する。

 もう一つ指摘しておかなければならないのは、この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。
 グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。
 国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。
 そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け容れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。この本質的に反国民的な要求を国民に「飲ませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
 国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。

 私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である。これはその通りである。おそらく安倍政権は「戦後最も親米的な政権」としてアメリカの超富裕層からこれからもつよい支持を受け続けることだろう。自分たちの個人資産を増大させてくれることに政治生命をかけてくれる外国の統治者をどうして支持せずにいられようか。
今、私たちの国では、国民国家の解体を推し進める人たちが政権の要路にあって国政の舵を取っている。政治家たちも官僚もメディアも、それをぼんやり、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の「末期」のかたちなのだろう。

 よいニュースを伝えるのを忘れていた。
この国民国家の解体は日本だけのできごとではない。程度の差はあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない。そう聞かされると少しは心が晴れるかも知れない。

by あゆこ (2013-12-17 06:41) 

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