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本《雑草が教えてくれた日本文化史》 映画《ボヘミアン・ラプソディー》

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『雑草が教えてくれた日本文化史』(したたかな民族性の由来)
面白かった〜!
日本が高温多湿でいかに雑草が生えやすい環境か。雑草が生えにくく農地が広大じゃないといけない西欧は豊かではないわけで、芝生を始め、西欧スタイルを模す必要はないのだといいます。

また、縄文前期に東日本に農業が発達しなかったのは温暖な気候で貯蔵の必要がなかったからなんだとか。農業の負の部分、種子を落とさない突然変異植物(稲など)を貯蔵することで富の格差が産まれたことにも弁が及び、植物を利用しつくしてきた歴史を振り返りながら、人類の生き様を考えさせてくれます。

そして、雑草が日本人に対して育んできた精神性はというと…勤勉!雑草抜かなきゃいけないから長期間休めないのだという指摘に超納得(笑)同時にしたたかな精神性も育んでいます。

実際、外交スタイルもそうだといわれますが、「変わらないものは受け入れて工夫する」この日本人のスタイルは、まるで植物なんだとも。自然災害後の復興を植物とともに歩んできたからこそ身についているのでしょうね。

そして、気になったのは…「水に流す」「土に返す」軽々と言ってますが、これは分解が早くて恵まれた地域だからこそ出てくる言葉。雑草の強みを目にし、母の恵みに甘えるからこそ、環境問題に対してぞんざいなのだという指摘も。

実は海外の農業地域の土壌資源は枯渇気味。日本は豊かな土壌資源をもっと誇ってもよいのかもしれません。そして、取り返しのつかないことはしないで欲しいものです。




12月の週末《ボヘミアン・ラプソディ》を観に。
フレディは表現する身であるからこそより正直に生きることを選択していくのですが、それは解放とともに失敗と苦難も伴います。
けれども苦難と同時に音楽性は切磋琢磨あってこそ輝くものだと知って、いままでの恵まれた環境に気がつくことができるのでした。
実際はこんなに単純ではないのでしょうが、それらのエピソードやメイキングは聞いたことのある曲に深みを与えてくれるには十分!

それから、この映画にはいまや顕在化が甚だしい多様性にまつわる問題や、社会構造からはみ出してしまう人間への差別に対して、アートがそれらを包括するんだよ、というメッセージがふんだんに盛り込まれているよう。この部分が時流にのって刺さるのかな。


儚い命を持つのは万人の定め。フレディは無常を知るからこそ、表現したいありったけを出し切るのでした。芸術讃歌の映画。


ひとの命は不可逆で無常なれども、メッセージの普遍性はアートにのっていくらでも循環する。そんな姿をみているよう。晩秋の落葉のように落ちてもなお、心の肥料として循環する。

不可逆にみえる無常を哀しみではなく美しさとして捉えることができるのは、確実に循環するという安心が支えているのかもしれません。自然も芸術も含めて、循環する文化の中にい続けたいと切に願うのでした。
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