『万引き家族』と遺伝子への幻想 [movie]
演技陣の演技にも惚れ惚れ
ネタバレにならないだろう範囲で随想をちょこっと。
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この映画は今の子育ての問題提起でもあるんだなって思いました。...
育て方と共有の仕方って、ある程度、学ばないと遺伝子だけでは伝わらないのに遺伝子への幻想だけがひとり歩きしているみたい。今までは宗教や共同体が作り上げた〈家族規範〉(序列を基にした役割の明確化)という圧力で子育てへの学習を促してきたりしたけど、遺伝子の繋がりだけで子育てが無理なのは、動物園の動物の子育てみたいにモデルがないと立ち行かなくなるのはわかっているのにね。遺伝子と圧力だけあってもしょうがないのかも。
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ましてや、戦後は人権よりも経済を選択した時期もあったから(池田首相期・その前の安倍総理の祖父である、岸首相の推した軍事方向にいかないだけマシだったけど。あれ?今も?)そういうものが成功体験として脈々と子育てにも引き継がれていることを漠然と感じたりするから余計。規範モデルを役割化する在り方はどこか個人として生きることと矛盾しがちにさせてしまって、子育てを学習させる為の規範がただの圧迫になっているみたい。
映画でも、個を圧迫しても誰も救われない場面もちゃんと描いていました。
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気持ち過激に言い換えると〈遺伝子の繋がりは尊いもの〉と神話として置くことで遺伝子を利用しているようにも見えたりも。本来、尊いものを過剰に美化しながら、個人を絡め取るために利用して、むしろ貶めてしまっているようにもみえたりして。
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日本での遺伝子への過剰な幻想は、組織の役割と分離できない個人が多いように、親子では遺伝子の繋がりに依存しちゃって、分離できない親子をさらに産む原因になってしまうかもしれないですね。尊いものがどんどん…。
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遺伝子を使って家族と社会を維持する為に役割を充てがう繋がりと、金銭だけでの繋がりとどこが違うのかもわからなくもなる。映画で描かれた家族は、大きな社会と小さな社会、規模と契約の規範が違うだけで維持するためにただ有るだけで。(野生の子育てが環境次第で規範を変えることはいくらでもあるわけだし。)
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ひとつの規範ありきならば、外れたものの行き先は?
子育てのバリエーションモデルは、人間界も生物界も極めて多彩。ましてや遺伝子なんて言い出したら、人間だけじゃなくて、水を起源にあらゆるものがつながって循環してるわけだし。
推奨モデルとして共同体にプログラミングされたスタイルでうまく行っているなら安住すればいいけれど。それは全てじゃないんだろうね。
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犯罪はダメだとか一元的な価値観に流れがちな昨今、物語を読解ではなくて咀嚼する力も試されているようでもありました。
その後の展開も含めて、いろいろ考えさせられる映画でした。
観てよかったよ!
日本のいちばん長い日〜THE EMPEROR IN AUGUST [movie]
映画『ホテル・ルワンダ』隣人を監視しろ [movie]
ラジオで煽られ虐殺を始めた隣人~_~;
評価ランキングで上位にあったので、なんの先入観もなく選んだ一作でしたが、当たりでした!
異常事態でも、人道的に行動した臨時支配人の実話です。
94年、アフリカのルワンダで民族間の対立が大虐殺に発展し、100日間で100万人もの人々が惨殺さる中、ルワンダの高級ホテルに勤めていた一人の男がホテルに1200人もの人々をかくまってその命を守り抜いた。この実話を「父の祈りを」でアイルランド紛争を描いた脚本家テリー・ジョージが映画化。主演は「トラフィック」のドン・チードル。国連兵士役でニック・ノルティ、報道カメラマン役でホアキン・フェニックスが共演。[映画com解説]
『ごちそうさん』で描かれた戦時統制下でも身の振る舞いをどうしたものかと考えさせられました。「おかしいと思ったら、いわなあかん。無力な大人の責任や。偉い人はそれをいわせなあかん。どっちも無責任やったんや。」
おかしいと思ってるうちに、異常事態に転がるのはどこも一緒なんですね。
ラジオで煽られ、おかしくなる隣人。
「油断するな。隣人を監視しろ」を合言葉にジェノサイドに突き進む。
こんなとき、自分ならどうする?と考えてみたいです。
こんな異常に世界中が黙っているはずはないと思われたのですが、決死の報道にも他人事の私たち。国連は静観していたのですね。
静観はルワンダに経済的な利用価値がなかったからなんでしょう。東北で震災の復興が進まないのもそういう理由が本音ですし、いろんなことの縮図も描かれているようです。
そして、報道をみながらも「酷いね」とディナーを続けた私達ですが、今の日本はほんとに大丈夫なんでしょうか?
ネットに煽られ『アンネの日記』が破られた事件は予兆と捉え、危機感を持った方がいいのかもしれません。混乱時、国内でも風評がもとになっての特定の民族の虐殺がありましたし。
史実から学ぶのは大切なこと。
どこでもジェノサイドは起こり得る。
映画を観て身に近づけて、しっかり考えることは大事ですよね。自分だったらどうしただろう。残虐な場面も控え目ですので中高生でも大丈夫。テンポもいいのでオススメですよ!
映画『鬼が来た!』は半澤ロスに効き過ぎた! [movie]
中国映画の『鬼が来た!』の鬼は日本人(鬼子)のこと。太平洋戦争末期が舞台。抗日映画かと思いきや双方の触れ合いがシュールな笑いに包まれます。
万里の長城近くの辺境の村に麻袋で運び込まれ、世話をされることになった花屋(香川)と通訳。世話役のマー(監督でもある姜文)に悪態をつくつもりが…「おじいさん、おばあさんおめでとうございます!」とやらかす。保身の為に通訳がウソを教えたんですね。そんな感じで和やかな関係になってもそのまま進まないのが戦争。戦争自体が不条理だらけなので、アングラ舞台の不条理な設定をそのまま現実にシフトさせているような錯覚を覚えます。
中国当局は上映禁止に?
中国共産党は北部に少数しかいなかったのに日本軍を追い出す為に英国が資金援助して成り立ったわけだから、中国共産党の存在意義から行ってもあくまで日本軍は残虐であって欲しいということかしら。
■カンヌ映画祭受賞作品「鬼が来た」―中国で上映できなかった理由―
http://youtu.be/T9xZNg0I_Sw
ふむふむ。ほんとに当局オススメの映画は一面的なイデオロギーで作られていてなんて薄っぺらいんでしょうね。統治下での村人の愚昧ぶりが気に入らないと?「村人はそんなもの。戦争のバカバカしさを描いている秀作」と詩人に話させる中国番組は健全ですね。
負傷した日本兵を見て嘆く日本女性の姿を映したり、同じ人間であることをしっかり描きます。とはいえ日本軍をただただ好意的に描いている訳でもなく、体罰全開、狂気の沙汰も見栄次第の最悪な展開に頭痛が悪化。
香川照之の記録によると五ヶ月間の撮影現場はずさんで不潔で劣悪で、狂気を引き起こすのに十分らしかったので日本人の役者にとってもリアルな狂乱ぶりだったのかもしれません。
そしてラストは圧巻。温厚なマーがどうして…。(気持ちネタバレですみません。)戦争がもたらす狂気に敵味方もないんですよね。鬼は日本人のことではなく狂気そのものなんでしょう。モノクロ映画なのですが色味の差す瞬間があって…衝撃を産みます。鬼からの解放を示していたのでしょうか。意味深でした。
夢見の悪い人はみない方がよさそうですが、中国当局と日本帝国の歪んだイデオロギーに振り回された国民の姿に、禁断のリアリズムとシュールな深みを与えてくれる意味で必見!
[監督 姜文]
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00006RTUV/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00006RTUV&linkCode=as2&tag=ayuko03-22
『青い鳥』重松清×阿部寛[映画] [movie]
その先生はまず、いじめで転校した生徒の机を元に戻させ、机に向かって「野口くん、おはよう」と挨拶をしている。気持ち悪い。俺たちに対する罰なのか。もう、終わったはずなのに。忘れたいのに。
吃音の先生は少ない言葉を絞り出すように生徒たちに語りかける。本気の言葉は本気で聴いて欲しいと。そして強制はしない。
わかりにくいその行動に苛立ちを見せる周囲。親、学校。ただ、生徒たちは消化し切れていない自分たちの心に寄り添ってくれていることに気がつき始める。加害者をはじめ…。
吃音をもつ重松清が現場の子供たちにしてあげたいことなんだろな。
その語りかけは鋭く現場に突き刺さるよう。これは大津事件の前に公開されている映画なのに。いじめの問題は既視感が何回も繰り返されている。教育関係者は観るべき映画なんじゃないかしら。
言葉を扱う作家として、教師から強制されて書き直された[立派で道徳的な]反省文をとても虚しく受けとめているのが痛いほどわかる。若い先生に「書き直させるほど生徒が見えなくなってくる。正解を求めているだけ。」と言わせている。形式的な反省の仕方を教え込んでどうするというのだろう。なかったことにするのが大人の儀礼だと教えたいかのよう。
形式の言葉が染み込んだ生徒には、先生の言葉が届かない。そんな描写があったようにみえたのは気のせいかしら。
自分が追い込んだのかもしれないと悩み始める生徒役、本郷奏多君の言葉は追い詰められた悲壮をもって、心を強くえぐってきた。
「人をキライになるだけでも、いじめですか?」「だって、笑っていたから」
考える、逃げたい、考える、消したい、考える、考えた先に、そっと差し出された先生の言葉を聴いて、私も思わず涙がぼろぼろ…。
本郷君は、先生の少ない言葉をすくい取るようにして、先生の思いを自分のものにする過程を静かに表現していました。
原作は読んでいないのだけど、映画だからこそ説明の少ない臨場感を持っていた。居場所を作るためにかりそめの姿をした友達たちの言葉と表情から、吃音だったり表現がうまくできない人の少ない言葉と表情から、本当の気持ちが読み取れるかどうか、を試されている気がした。
そして、現場の人間たちは…私たちは、ただの『いじり』と片付けてその微かな声を聞き漏らしていないだろうか。かりそめの声に隠されることに甘えて、当たり前の光景にしていないだろうか。(『透明化』というようです。)
「人を軽くみる。ないがしろにする。それがいじめだ。それを見過ごすのもいじめだ。」教室だけでなくこの世の中で、その罪が軽くならないことを祈るばかり。
それから、言うまでもなく、阿部寛が作る、吃音者の作り出す空気と本気があってこそ成り立つ映画。阿部寛の押さえ込んだ演技も新鮮なので、そんな点でも観る価値あり。いい映画を観ました!
http://youtu.be/Bsrbx53z1Tk
映画『桐島、部活やめるってよ』 [movie]
かっこ良いってなんだろう。
スクールカーストを意識する滑稽さに気がついた時、恋に振り回されている滑稽さに気がついた時、部活を通して好きなことに熱中できることが自分を救うことに気がつく。結果や見栄えじゃない。
人の評価を気にして生きることの価値は?
出来ることと幸せは同義じゃない。
学校の枠に収まらない「本当の自分」とやらを意識しながら、どこか自己プロデュースに振り回される矛盾。心の中で空回りする自意識。「かっこいいよ」という賞賛の実体のなさ。満たされない。気がつけた。
神木龍之介君の台詞まわしがいい
神木君は映画部の監督役。ゾンビ大好きぶりが面白い!信望する映画の代表として塚本晋也監督の「鉄男」が出てきたわ。いいとこきますね。(あら「妖怪ハンターヒルコ」も塚本監督作品だったのね!)
撮影の主題を決めるのに、先生がリアリティが大事とテーマを押し付ける、でも学生はゾンビの方がリアルという(笑)。大人と子どもの価値観の対比みたいなやりとりもあってリアル(笑)。青春ど真ん中だとリアルってどこか必要ないものかもね。
天地明察(映画) [movie]
自らの職に半ばピリオドを打ったと言えるのだけど、それは才能を開花させる序章だった。
地球が丸いことも公転も知られていなかった時代。吉凶を暦で決めていた時代。導入800年のうちに明らかにずれて来た暦を『改暦』する事業の責任者に任されたのだ!
当時、暦を司るのは朝廷。暦は利権も絡む。変化することを嫌う権威は、算哲らが出した結果に対して…。
さてどうなるのでしょう!
筋立ても単調なのですが、そこに至るまでの物語にどうしようもない失敗もあったり、夫婦愛もあったり、仲間と織りなす真実に懸ける科学へのロマンもあったり、と細部がとにかく飽きさせません。この後ネタバレ少々。
当時、こんな計測で?こんなことが出来てたの?って感じです。
全くすごい。歩測だよ。
映画の算哲役は岡田准一君。天文や算術に対して犬ころみたいに喜んで夢中になる、好きで好きでたまらない好青年を爽やかに演じていてGOOD。
北極星の位置を測りに全国行脚する「北極出地」の仲間、笹野高史と岸部一徳演じる老人達がまた良くて思い返してはにやにやできるくらい。算哲が正しい答え「明察」を導いた時は「安井算哲、ご明察!主は天の申し子か?」と褒め称える様子が率直でとても気持ちいい!
ちょうど『僕と息子のアスペルガー物語』http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34699 を愛読しているのだけれど数字好きが集まる『ナンバー同好会』内で仲間への評価が率直なこと潔い。障害はさておき純粋な科学好きは率直な評価を表すのだろうな〜と想像してしまう。
あと、中井貴一演じる水戸光圀も魅力的。当時ワインを飲む情報通。ネパールに住んでいたという作者の冲方丁は黄門様のイメージがないからの書きっぷりだったのだけど、そのギャップが次作『水戸光圀』に繋がってるんだとか。(次作も面白そう。)
猿之助演じる関孝和の力強さもいい感じ。
あと、数学だけでも天文計測だけでも解決出来ない限界が訴えられたりして、まさに現代の天文学と物理学と数学の補完関係を示していて、、、だよね〜って頷ける。
朝廷のメンツも配慮する幕府や民衆の描写も小説とはいえ、さもありなん。
冲方丁さんはあまり知らないけれども発言もとてもリベラルで好感度大。江戸時代は女子含めて算術が娯楽。今でも数独が流行ってる。算哲を産んだ土壌がある。そんな国民性を持つ日本人に対して、リーダーは「俺がやってる」じゃなくて「この指針で行こう」と示すだけで国民は問題を解決するはずなのに、今は萎縮させる方向。リーダーに全てを任せるんじゃなくて、自主的な動きをしやすくしてくれるリーダーを選びたいですね。とのこと。
サッカーなでしこジャパンの佐々木監督と同じこと言ってますね。がっちり合致!
リーダーは主役になるな。「引き出せ」
うん、日本人にとって強烈な自我の確立は大きな課題じゃないかも。
あ、あと宮崎あおい演じる妻のえんとの描写も微笑ましい。
そして、この映画、セリフがまたいいのよね。
初代会津藩主 保科正之
「安井算哲、天を相手に真剣勝負みせてもらう。」
「御意」
安井算哲「天の定石を正しく掴み、天地明察を成し遂げなければなりません。」
建部様「あまねく星々を…この両の手に」
(ビッグバン直後ならできるね!)
あぁ、ロマンチック。
そして、音楽は久石譲。
千と千尋っぽいのがまた楽しかったり、しっかり映画の世界を盛り上げて、私達を星々に近づけてくれています。
観て良かった!
天地明察予告
https://youtu.be/dIsT6NWz-3E
映画『モテキ』〜ネタバレ注 [movie]
まず見てこの一言
『(500)日のサマー』?
サブカルチャーな趣味にどっぷりオタクの童貞君が、趣味も合うしスタイル抜群の可愛い彼女と意気投合。なのに彼女は彼氏持ち。でも、毎日会ってるし…僕は何?
自意識を救いとって存在意義みたいになってるサブカルチャーにジャストミートな異性が現れて…って展開だけでも『サマー?』って思ったのに、極めつけがこの演出。オマージュでしょ、これッ。
上手く行って浮かれた気分の演出が、道行く街の人々とのダンス。さすがにホール&オーツじゃなくてパ○ュームだけど。日本っぽい軽くてPopな演出が小気味いい。しかもダンスも見応え十分。さすが森山未来、芸達者。もともとダンスできますって触れ込みだったもんね。
でも『サマー』?って思ったのは冒頭だけでだんだん色合いが複雑に。
本舗はモテないのが嘘っぽい甘いマスクのジョゼフ君(堺雅人っぽい)に対して森山君。ねっとり狙い過ぎなキャラのズーイー(シー&ヒム)に対してサラっとした長澤まさみだし。
『モテキ』の感想の半分は「あれは俺だと思う。観ていて気が気でない。」だっけ。そう思わせる森山未来さすが。
ライターの能力もあって、あれだけ人とコミット出来ていれば十分なんだろうけど。異性との付き合いは別の話しね。
日本のPopカルチャーの扱い方も時代に寄り添ってなるほど!と楽しい。アイドルソングの昂揚?効用?もばっさり。久保ミツロウの原作には、このサブカルチャーと自意識の距離感をばっさり叩き切った言葉がちりばめられているのかしら。久保ミツロウ、女だからのばっさり感。期待〜。
気分をカラオケの歌詞さながらにテロップするあたり。カラオケの歌詞を読んで、グッと入り込む効果は皆よく知ってるもんね。面白い表現だわ。
マンガは途中までしか読んでないけど、麻生久美子はもっとえぐくて不幸になってて、主人公は罪悪感から出来た傷に散々塩を塗り込まれてた気がする。映画はそこまでしないで傷もさらさら後味を計算してる。遊び人役がリリーフランキーってとこからキレイな演出なんだろな。
ラストは…
とにかく後味すっきり!
澱が残らなくて面白い映画は久々。見てよかった。
久保ミツロウ。タイムスリップ部活もの『アゲイン』も好調みたい。こちらも期待!
前回ブログ『KOTOKO』を観て〜の感想をもらった。 [movie]
「作品から受け取った感動に恥じないようとする責任感。」
「書かずにはいられなかったのでは」
まさにそう。けれどもすぐに書いたわけではなくて、見終わったダメージも大きかったから、すぐに言葉で断ずることもできないまま、傷跡を放置しておいた。
そうしたら、傷跡からジクジクとリンパ液が出てくるように、言葉がジクジクと漏れだして、そのうえ頭の回りを纏わり付くだけど、まとめる気になれなくて。
朝日新聞の評を読んだら、ちょっと背中押されて。文章を重ねることで、やっと出すことが出来て、そしてやっとまとまった。
動揺すると自分の中で熟成させようしてるのか、どこかで距離を置こうとしてるのか、まとめるのが遅くなる。
とりあえずひとつまとまると、飛び交ってたものが、収まる。
飛び交う念が自分のお経で少しずつ成仏する。合掌したくなる。
あ、表現ってそんなものかな。
「寓話。醜いもの、否定的なもの、そして暖かいもの、肯定的なもの、その全てが合わさって初めて本当の美しさが現れる。」
まさに。
これは、二律背反した母性のありように救われていくモチーフなんだと思う。
書いた後で宮台真司氏の評も読んだ。面白い。
【連載:宮台真司の超映画考】第10回「三本の「震災映画」から、映画の可能性を見通す 〜『ヒミズ』『KOTOKO』『RIVER』〜」 寺脇さんの論考に続き、今回の宮台さんの連載もまた「震災-映画」について論じられています。
“「疲れた男」が「聖なる娼婦」に救済される”
「ここではないどこか」を切望するのでなく、自分の居るこの場所をひたすら真下に掘り続けることで、突如、地球の裏側という「ここではないどこか」へは突き抜ける驚き。実際、突き抜けた先には「女が踊る、沖縄の海」という神話的空間が拡がっていたのだ。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=954
昨日は塚本監督との対談があった?
#eiga 映画KOTOKO、宮台真司さんと塚本監督とでトークイベントが。宮台さんが最後に質問した「映画の中の沖縄は、人が求める正しい世界の象徴なのか?それとも、失われてしまった二度と手に入らない世界の象徴なのか?」良い質問だったけど、答えはこれからの映画でというオチも良かった
んだとか!捕われてるなぁ。
『ここではないどこか、に行くことへの飽くなき欲求』は
何故なんだろう。肉体があるからか。男だからか。
聴きたかったな。
映画『KOTOKO』 [movie]
目の前で我が子が危険にさらされたならば、あなたは平静を保てるだろうか?
母親にとって我が子はいわば分身。危険があればあるほど境界が曖昧になり平静さを欠落させて行くに違いない。
琴子には世界が二つ見える。他者は常に我が子を危険にさらす存在なのだ。他者がいる限り危険があるのが日常。平静が保てるはずもなく自らを追い込んでいく。
折しも、放射能の判然としない安全基準…リスクを負ったもの負けという現実を前に、心配のあまりエキセントリックと映る母たちの母性と重なり普遍性を色濃くする。
全く他人事ではない。
赤裸々な感情の表現者、Coccoの歌詞世界に想起され、鬼才塚本晋也監督が自身の亡き母への慕情をこめて、垂れ込める戦争に突き進む予感→我が子が危険に曝された時の『母性』を、「琴子」という”監督の作り出したCoccoのイメージ”を使って描いている。
世界が二つ見える設定も、Coccoと話しを重ねた結果のよう。Coccoの故郷、沖縄も舞台になるのだけれど、自然だらけの沖縄が映されると何かしら霊的なものと遮断されてない感じがして、もうひとつの世界が現実に『みえる』設定が当たり前に思えてくる。
もともとCoccoの唄世界は流行ではない、普遍的な感情を濃縮させたものなので、それだけで寓話のように在る。その理由に近づけたとも言えようか。
作中、Coccoの演技を感じさせない錯乱状態は、不安というジェットコースターに一緒に乗っていると錯覚するくらい…
だからCocco自身が、危ういメンタルを赤裸々に出していたのかと思いきや、監督に言わせると「何を要求されているかよく汲み取って演じていた。生まれついての表現者だ。」とのこと。
生まれついての表現者は自身を俯瞰して見るのが当たり前だから、演じることも『自身』でいるだけで成り立ったりするのかもしれない。監督から見たCoccoの映画だから尚更なのだろうけど。
Coccoの担当した美術がまた秀逸。あの色使いはなんなんだろう。妄想になだれ込んだ先のミシェルコンドリー風の手作りおもちゃの世界を見ても、表現者としての幅の広さに陶然としてしまった。
子役として実のお子さんも登場。健全なそのたたずまいに、世間的な範疇にない確かで大きな愛の存在を感じた。そしてその愛は観るものを確実に救っている。
(どんなカタチに変化しても、愛は人を裏切らない。)
それを成り立たせる寓話を世の中は求めているはずだ。
多少極端ではあるけれど、その暗喩にどれだけの人がそれに気がつくことが出来るのだろうか。
映画読みにはジワリとくるはず。大衆的ではないからこそベネチア国際映画祭オリゾンティ部門最高賞〜世界での受賞に納得。
映画館で観賞。ハンディカムで録られたリアルな音と唄が際立ち、心理に及ぼす効果が存分に感じられてよかった。
監督挨拶もあった。海外で評価が高いという鬼才/塚本晋也監督は、崩壊と衝撃を畳み掛けていく映画『鉄男』でしか知らなかったが、彼の語りを聞くことで、思いをカタチ作る確かな「知」に行き当たれた。
よい体験ができた。
以下、新聞の評を転載。
『KOTOKO』〜他人事ではない自他の関係失調 (山根貞男)
若い母親の心の叫びを描いた女性映画である。ヒロインを演じるのはシンガーソングライターのcocco。映画初主演に加えて、企画、原案、美術、音楽と多様な役割を務める。
ヒロイン琴子には世界を二つに見える、赤ん坊を抱いて道を歩いていると、自転車に乗った中年男を襲いかかる。琴子は恐怖に陥るが、男は単に通り過ぎてゆくだけだ。近所の主婦が赤ん坊を見て、まあ、かわいいと近づくや、琴子には我が子を襲う悪魔にみえてしまう。
母性の過剰さが他人との関係を失調させるのである。琴子は子どもを沖縄の姉に預けるが、東京での孤独な日々の中、リストカットを繰り返す。自己との関係が失調するわけで、歌を口ずさむときだけ心が安らぐ。
監督は塚本晋也。琴子の歌に魅せられる小説家を自ら演じるほかに、企画、政策、脚本、撮影、編集も務める。
琴子は近づいてきた小説家に暴力的に追い払う。それでも彼は怯まず、傷だらけになりながら求愛する。琴子は沖縄で健やかに成長した男の子の姿に安心し、小説家と暮らすが、また妄想がぶり返し、彼への暴力が日に日にエスカレートする。
荒れ狂う女と、満身創痍で彼女を抱きしめる男、まさに地獄図だが、同時に、何か熱いものを強烈に訴えてくる。描写の細部が過酷な関係の劇をリアルに感じさせるのである。琴子における対他・対自の失調はとても他人事とは思えない。
終盤、錯乱の高じた琴子はさらに無残な行動に突き進む。それがどのように衝撃的で、どんな結末に至るかは、ぜひ映画館で見届けていただきたい。
個性豊かな歌姫と映画作家のコラボレーションは、東日本大震災と原発事故を挟んで続けられ、愛の映画に結実した
ガタカ~遺伝子で選別される世界 [movie]
切り落とされる爪、抜け落ちる髪、剃り落とされるヒゲ…それらが青をバックに大写しになって音をたてて落ちてゆく。それらはまるでオブジェの様相を持つよう。
マイケルナイマンの放つ優しく悲しいメロディがそのオブジェに感情をもたせるけれど、スローテンポなので見る側を深くまで引き込んでいくのに十分で、展開を不安にさせる。
落ちたそのオブジェは人間が生きていて付き合うものでありながら、あまりに瑣末なもののはず。
なのに、この映画の世界ではそれが個人の資質そのものを示し、この世界での在り方に直結する物証。まるで分身のような扱われ方をする。
そう、それらはDNAを示すのに十分だから。
この世界は、生まれ落ちた時から寿命が予測されるばかりか、性格、能力、負の因子の発生する確率が全て、プロフィールとしてデータベースに落とされる。つまり、その世界での位置付けが確定されてしまう。人種も血縁も関係なく科学的に差別される時代。
情熱も、努力も、その世界での位置付けにはなんの意味ももたらさない。
だから、夫婦は気に入った遺伝子を選びながら、子供をデザインしてオーダーするのが当たり前。
情熱の赴くまま生まれ落ちた子供は「神の子」または「不適正者」として差別されていた。
この映画の主人公「ビンセント」(イーサン・ホーク)もその一人。生まれ落ちてすぐに遺伝子判断で心臓疾患が発生する確率99.9%、寿命30歳とされ、父は自分の名前を継がせなかった。かたや遺伝子操作で生まれて父の名を継いだ「アントン」。
やはり優秀な弟と能力の差は大きくて、海での競泳も彼を惨めにさせるに十分だった。
けれどもビンセントは「宇宙飛行士」になるという夢に支えられていて、懸命に努力を続けていた。
なのに宇宙機構「ガタカ」は不採用。なすすべをなくしたその時、海での競泳で弟に勝つ。
その奇跡で自分の可能性を確信したビンセントは、家を出るのだった。
そして、彼が選んだ手段は、優秀な遺伝子を持つジェローム(ジュード・ロウ)になりかわることだった。
ジェロームの尿によって遺伝子検査をクリアしたビンセントはガタカに入社。日々の遺伝子検査をくぐり抜け、出世していき、見事、土星の衛星タイタン行きの宇宙飛行士に選ばれる。
けれども、あと一週間で出発という時に、彼を疑っていた上司が殺され、現場には不適性者のまつげが残されていた。そして彼の顔写真がガタカにあふれて…どうなるビンセント!
と考えさせられる背景に、スリリングな展開、ロマンスも加わった、長い長い一週間の物語。
"Gattaca"のスペル、クレジットで強調されるGとAとTとCは、DNAの基本分子であるguanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字
どうせやっても出来ないし…と逃げるくせがついている時、どうせこいつは…と相手を諦めるくせがついている時こそ、見るべき一本かと。
私達も社会で、組織に必要な要素を主観で選別されて差別されている。映画の世界は能力選別を遺伝子検査で合理的にしているだけ。どちらもどこかで可能性を遮断している。
だから社会での選別を経験している私達も、勘違いしてない限りは、登場人物達に想いが行って心がざわつくはず。
私は後半、弟と出会った部分から、二人の想いを考えてしまい、涙が出てきて、その後もいろいろあって涙が止まらなくなって、一回めはしっかりみれないままでした。
タオルが必要な映画です。
このあとはネタバレ。
観てない方は観てから読むことをオススメします。
The Departure ~ Michael Nyman
「ガタカ」は最前線の職場だけあって出社ごとの遺伝子検査に抜き打ち検査もある。
対策として彼は毎朝執拗なまでに身体を擦るのだけど、その映像から、(自らが認められていない現実を身体で受け止めている)ようで悲壮感がひしひしと伝わってくる。
半面、選ばれ、作られ、役割を果たす為に生まれ落ちた適正者ジェローム。「化け物」といわれるまでの能力に、孤高の立場を強いられ、あげくの果てに結果を出せなかったら…。
銀メダルに甘んじた苦しみに耐えられなかった。
思わず浮かぶこの言葉
「2位じゃだめなんですか?」
彼の生き方は「役割を果たすこと」で、「夢を追うこと」ではなかった。
だから、ビンセントに会うことで、夢を知り、約束された長い寿命から解放されることを選択していく。
産んでくれ、と頼んでないのに産まれてくる苦しみ。人間誰もが持つ苦しみだけど、彼ら「適正者」の苦しみはどうなのだろう。
(「選ばれて産まれた」と宣告されたから苦しいのか、宣告されてないけど選ばれて産まれてくればどうなのか、そもそも偶然の神は選んでないのか、考えるときりがないので置いといて)
神ではなく人に選ばされた「生」だからこそ、解放の瞬間は自分が選ぶかのよう。
永い契約から解放された時、彼を包む炎は優しく激しくて、銀メダルを金に輝かせていた。
そして、その炎はビンセントが乗るロケットの炎と同期していて、ビンセントの「宇宙という生命の起源に帰る」というナレーションとともに、ジェロームの想いも宇宙に運ばれていくようだった。
涙。
精悍な顔つきのジュード・ロウが荒んだエリートを演じきっていてぴったりだった。
あと、恋人アイリーン役ユマ・サーマンの美しいことといったら!
『パルプフィクション』のバイオレンスな美しさが鮮明だけど、近未来の少し人工的なキャリアウーマンも決まっていて、彼女の美しさも見れて得した気分。遺伝子に欠陥があるとの設定も、彼女にはかなさの美を添えるみたい。あ〜美しい。
ビンセント役のイーサンホークは、エリートのくせに歩き方に腰が入ってないというか、歩き方がふらふらしてたり、人間味を出す為なんだか、へらへら笑うものだから、ハラハラさせれっぱなし。とはいえエリートの風貌も見せてたから、難しい二面性をバランスとって演じてたわけだし良い配役と言えるのかな。
あと、ガタカの遺伝子検査技師とのやりとりがたまらない。右手…。そういうことなのね!
「立派なものを…」
「先生そればっかり」
遺伝子操作に作られたんじゃなくて、神の子だからこそ。彼が選ばれていることを暗示しているみたい。
生命の維持に必要なものを提示する役割。
社会システムを打ち破る可能性。
諦めは天下の大害なり(墨子)。
可能性はあるんだよね。
※ガタカの世界感に思うこと
新聞を読んだら、「友達の多い人は記憶の処理や情動反応に関係する脳の扁桃体、灰白質の量と相関がある」んだとか。身体の機能が社会での性質も決めているらしい。〜研究が好奇心を越えて、人を限定してみせる世の中も遠くなさそうで、複雑。
悲しいことに日本では放射能によるDNAの破壊がリアルタイムで進んでいるのよね。細胞分裂する成長期が壊れ易いんだっけ。一度設計図が壊れると壊れたまま。このガタカの世界ではかなり生きにくそう。いや、遺伝子の選別技術は「救済」につながるのかしら。
あと、生物学的に考えると…
福島伸一さんの言葉で、なんだっけ。NHKいのちドキュメントで、パンダは草食じゃないのに、栄養効率の悪い笹を一日食べて、余計なカロリー使わない様に食べるか寝るかしかしてないって話っで言ってた。要は『棲み分け』。なんて言葉か忘れたけれど。
生物は「種によって生きる場所を決めていて」自分達が食べられたらそれでよい。
人間だけが足るを知るリミッターがなく、占有の欲望に追われて、侵略を繰り返すんだとか。
で、自分を担保する分子的な基盤がないと不安で仕方ない。だから制度に頼る。
ということは、多種多様な生物の在り方を模した社会システムが、カースト制や江戸時代の士農工商やらで、そこそこに占有の欲望を制度で制御して、長々と存続していたんじゃないかな。
でもやっぱり不満は出るから
それを脱却して、可能性を求めた能力至上主義も、誰もかれもが職種を超えて侵略に加担しているみたいで、行き着くとグローバリズムを産んで、生命より経済を大切にしたりと、おかしなことになっているように思え、
そしてまた、ガタカの世界にたどり着いて、遺伝子によって職場が決まる社会が来て、それはやはり「種によって生きる場所を決めている」人間以外の生物を模した、素晴らしく合理的なシステムだとも考え、
それでも、「可能性」を限定されることを拒否し、「可能性」を求めて飛び出すビンセントのような人間が、人間の生殖を受け持つに相応しい人間だったりするのだろう。
「ここに居なさい」と限定するのが母なる生命の営みとするならば、「迎合を許さない」のが父。キリスト教では父が人間誕生の起源になる。父の作りし人の子は可能性を求め続けなければいけない。
そういう意味でも、ビンセントは選ばれた「神の子」という位置づけになるだろう。
大脳皮質が脳幹の大きさを超えたところで、人間は可能性を求める生き方を選ぶように決められているのかもしれないな。
(500)日のサマー Sweet Disposition - The Temper Trap [movie]
トムは建築家を目指しながらもカード会社に勤め、ルサンチマン丸出しのロックバンド、スミスをこよなく愛す、彼女いない歴=年齢というオタク寄り男子。
ある日、彼は会社にやってきたサマーに一目惚れ。さらにサマーが2人きりのエレベータの中、トムのヘッドフォンから漏れ聞こえるスミスを口ずさむものだから、トムはもう完全ノックアウト!
いつだかのnetNewsで、「この人しかいないと思う時」特集で、「個人的趣味を甘受してくれた時」ってところに深く頷いてしまったわ。好みって自分のidentityだから、自分が受け入れられてるって感覚持つもの。
しかも、それを華麗に、間近に、自分に向けて表現されたその日には、もう…。
裏返すと恋愛テクなのかしら?
さてさて、それからトムは酔ったはずみでサマーに告白。でもサマーの恋愛感は冷めたもの。
恋人は作らない…と貫く。
な、なのに、翌日、二人きりのコピー室でサマーの方からkiss。
ん〜、言葉うらはらのツンデレですか?
という感じにトムはのめり込んでいく。デートも重ね、体も重ね、気持ちも許して深い話しも…。「こんな話、誰にもしたことない」とまで!
なのに、「僕たち恋人じゃないの?」と詰め寄るトムに
「あなたとは友達だわ。」
を繰り返して、天然系小悪魔ちゃんぶりが、ぶれないサマー。
哀れなトム〜
トム役の、ジョゼフ・ゴードン=レウィットが、美男子すぎないいい男で、笑顔が地顔の堺雅人がいいなと思ったことがある女性なら、すぐさま好きになるはず。吹替の猪野学(冬ソナのパク・ヨンハも彼)の柔らかい声にも癒されて、ついついトムに肩入れして同情してしまう。
そういえば浅野いにお氏のつぶやきに
「女の子になりたい。そして40歳男をもて遊びたいという欲求に気がついた。気がついたところで…(続く)」ってのがあったっけ。
男性にそんな潜在的な欲求があるならば、トムを描くスタッフは、さぞかし楽しいことだったでしょう(笑)
トムはもちろん可哀想だけど、
サマーの方からしたら、トムの言動がもう少し琴線に触れたら展開も違ったろうにね…。盛り上がりの後はがっかり続き。
トムは学生時代スミスにはまって内にこもり、サマーは学生時代ベルセバを紹介したら、町中ベルセバ旋風になったというくらいだから、その差は歴然。
サマーは建築家になろうとしないトムが理解できない。
感性で通じるものがあったとしても、その感性の活かし方の違いで、ん?ってなっちゃうのね。感性を生殺ししてるんだもの。
おまけに、トムは「恋人の役割」に浸ってみせるものだから、サマーはまたまたがっかり。
バーで二人でいる時に、見知らぬ男がサマーに「こんな男と付き合ってるのか」と絡んでくる。サマーはかわしたのに、トムはその男を殴りつけ、あげくは「君の為だ」と言い出すし。サマーは理解できない。
自分の好みを押し付けてくるし。
あらら〜〜〜。
せっかく気持ちも許したのに…。もぅ。恋人昇格ならず。
トムとしては、そんな美意識の高い彼女と付き合えて、磨かれたというべきなのかも。
それに、ちょっと違うと思っても、「あなたは恋人よ」と言って、つなぎとめといてサッサカ離れる女の子なんて、いくらでもいるんじゃないかな。。友達以上恋人未満の生殺しと…どちらがズルい??
なんとも言えないな
あと気になるのが、その後、世界をしっかりもったサマーを射止める男性はどんな人なのやら。
濃い世界をもつ余裕のある大人かな?それとも夢に突っ走る自由人?
少なくとも、もてあそばれない男性なことは確かだろうけど。
いろんな想像したくなるわ。
これだけ書くと、もやもやMAXなだけの映画と思われちゃうけど、各賞獲得してるだけあって、明るいところはとことん鮮やか。演出の手法が冴えてるわ!!
スミスを扱ってるだけあって、サントラもグゥ
いい雰囲気の時に流れるのは、TTTのスィートデビジョン。耳慣れた曲が、ロマンチックなシチュエーションで聞けただけでも収穫!TTTはこれで有名になったのね。(おとといFMラジオで知ったとこ)
トムのうきうき気分にHall&Oatesが似合うこと似合うこと。
そして、500日めは…!?
これは見てのお楽しみ。
夏の終わりにふさわしい一作でした。
500 Days of Summer - Official Full Length Trailer
ドニーダーコ [movie]
夢かうつつか混乱しそうなトリッキーなストーリー。観ている時は着地点の見当がつかなくて、謎だらけ。
何?何?という感覚は
覚えてるところでは
ドラマの『熱海の捜査官』
小説の『ぼくが愛したゴウスト』が近いかな。知らない方すみません。
一回では理解できないといわれてる評ほど複雑な印象は受けなかったのだけど、それは私が夢うつつ物に慣れ親しんでいるからかしら。
まともに観たら、謎を解く為の余韻にぐるぐるすること間違いなし!
ネタバレになるけど、謎がすっきりしても、もやりっと残った澱は、これが青春映画ダーク版だからかな。
ステレオ的な価値観に反抗して溜飲さげる小気味よさ。
暴力的で、気持ちが悪いことに身体を預ける心地よさ。
つじつま合わせの成功、ご都合主義が満たされる快楽。
そして彼女とも
けれどもその代償は未来への不安。
狂気と日常の見事な両立がここにある。
全くもって、酸っぱくてダークな部分の切り取りがうまいのよね。
はちゃめちゃな行動がまたびっくりで、例えば、先生に理不尽な考えを押し付けられて…。人の行動を憎しみと愛に分類しなさいなんてねぇ。やってらんないよ!と思っていると銀のうさぎが出てきてお導き。次の瞬間、ドニーダーコが手にしたものは、斧ですか?大丈夫かしら。
映像も美しい。竜巻が心象風景となる描写も自然。うさぎの造形もかなりくすぐる。
主演のジェイク・ジレンホールが、その狂気と日常の見事な両立の世界を演じきっている。うまい。
それにしても、レビューに値する秀作↓に出会ってるのに、なんでこれをアップしたのかしら。忙しくなったからかも(笑)
『24HourPartyPeople』
『Control』
『川の底からこんにちは』
『鴨と家鴨のコインロッカー』
観てよかった。
『ノルウェイの森』
キャストに不満あるけど音楽がいい
『神の子ども達はみな踊る』
退屈だけど隠喩の配置が面白い
贅沢言いますが、観たくて見るのにパワー吸い取られて困ります。
映画 『第9地区』 [movie]
人間の飽くなき要求、占有。
けれどそこには殺害が伴う。
自然派の友達とよく話題になるのが既存の生態系をぶち壊す外来種の話。主な標的はアメリカザリガニ。
別口で大学生と話した時、彼は民主党嫌いの理由として「移民受入れ」をあげてたので、
ついアメリカザリガニとつなげて
「在来種の日本人が淘汰されて生態系が壊れたら困るよね。」
と私お得意の、人と生物の垣根を越えてクソミソ一緒トークをくりひろげ、自分でも呆れたものだけど・・・。
そんな私のクソミソな思考をエンターテイメントにスッキリさせてくれたのがこの映画、
第9地区
エンターテイメント的にはヒット作『アバター』『グエムル』を足して割った感じ?だから、面白くないわけがない。
舞台はアパルトヘイトの過去を持つ南アフリカ。
動物的なAlienと南アフリカの移民問題を絡めての作品だという。
どこに感情移入するかで
全く正義が変わる感じ。
割り切れなさはリアル。
楽しいというより凄い映画なので、子どもに見せるには考慮が必要。
大人は見る価値あり!
異文化の違いを受け入れて、共有するって簡単にいうけど、
それってとっても難しい。
Alienのグロテスクさでもって語られてしまうと、真面目にキレイごとでは済まされない。
知的か知的じゃないかでも分けていいの?
移民を受け入れることの意味を考えてしまう。
外来種も移民もエイリアンも 生き残るための原理は感情がある以上、種族間でも、小さな組織内でも変わらない。
「時代の覇者と、見栄え、知力、能力のレベル、共有できるものがどれだけあるか」
だ。
自然派の友達と殺害をテーマに話した。
・占有の為の殺害 (戦争、帝国主義時代の乱獲)
・侵略されない為の殺害 (戦争)
・外来種、異分子の排除 (ウシガエルは見つけたら殺さないといけない、~持ち込んだことへの責任処理)
・外来種、異分子の排除 (Alienの卵は殺す~侵食してくるもの増加を食い止める)
・ロハスな範囲での文化的な敬意ある殺害
(和歌山のイルカ猟など、帝国主義の恩恵に浸った人間が異義を唱えている現実)
・食事の為に殺す (豚もイルカも知的レベルは一緒。話している彼女はベジタリアン)
正義はどこにでも有り得るけど、避けたい順番にしてみました。
9/19 風が強く吹いている~作者と映画監督の対談が!! [movie]
待ってました!の対談in聖跡桜ケ丘のデパート内
映画で使用したグッズも展示されていて気分は箱根へ・・・
大学寮、アオタケに入寮しているメンバーに元、陸上選手のハイジが持ちかける、みんなで箱根駅伝を走ろう・・・。もちろん、運動と縁のないメンバーもいて・・・どうなる!という、直木賞作家、三浦しおんのベストセラーの映画化を記念しての企画でした。
30分前で満席。まずは、サイン入りの文庫本を買って・・・立ち位置を確保して、と聞いてきました。
以下こんな感じの話だったな~てとこで
三浦さん~映画化は不可能だと思ってました。CGで筋肉をつけるか何かしないと。よく映画化したな、と
大森監督~10人というメンバーそれぞれ個性を描いているのだけど、型にまったくはまっていない。だけど、パターンとしてでてくる不良がいないんですよね。
三浦さん~そういえば考えもしなかった。
大森監督~でも長距離は粘り強さが必要だから、不良には無理。キャスティングするときも、そこは気をつけて選んだらピッタリ。ムサもいいんですよ。(ホワイト家族のお兄ちゃんです。)
マンガオタクの王子(電王の優斗(*^_^*))が映画ではクローズアップされてますが
三浦さん~過酷な事に挑むのに私自身が感情移入がしきれない。自分に近づけたキャラを設定すれば・・・という思惑がっあったからのキャラ。
大森監督~運動オンチの彼ができるようになったら、全員ができるだろうと・・・
彼はマンガの中の言葉を励まされて、自分に挑戦していく。
それぞれが自分が好きなものを武器にして、箱根に向かっていってるんですよね。
箱根を走るんです。ネタばれしてもいいんですか?あ、でもポスターでも走ってますから。話を変えるわけにはいきませんから、でも予選会では、スタッフがここでリタイヤという話に変えましょうという冗談もでて・・・(笑)
俳優たちを走っているような身体にしてくれ・・・と陸上の関係者に依頼。ところが、走らせるばかり・・・で俳優もトラックで吐きまくり・・・クレームも。けれども、『踊りの振り付けのようにはいかない。走っている身体は走らなければ作れない』と陸上関係者の言葉を伝え、俳優たちもやっと納得して、陸上の練習に励んで、励んで、かなり過酷な練習を乗り越えて出来た映画。監督のその目に適った、演技を超えたドキュメンタリーになってます。
走りの美しさを見て下さい。カケルが特にいいですよ。
みたいな・・・
みます。みます。美しさ!俳優って身体能力に優れてたり、かなり器用な人達なのにね。やっぱり付け焼刃は付け焼刃になっちゃうんだね。ブランク後、フォーム整えるのは筋肉をつけてから、らしいし。アスリートの奥深さにも触れた30分でした。映画が楽しみ!!!
映画『Life 天国で君に逢えたら』 [movie]
生徒が修学旅行でワタシは休み。
ポイントがたまって1800円払わなくていいので、
生徒に勧められた映画を観てきました。
自分からの選択では絶対観ない種類の映画ですが、観て正解でした。
おいおいボロボロ泣いちゃいました。
だいたい泣くからこの手の映画は、観ないんだけどね。
ハワイの美しい風景とあいまったからこそ、感動に対して素直に身を任せることができました。
それにしても真っ黒い袴田吉彦が出てきたとき、名前がわかりそうでわからない・・・
としばらく悩んでしまったのが悲しかった・・・。
後はネタバレ注
http://www.life-tenkimi.jp/index.html
涙の波は4回。
1.余命3ヶ月と宣告されたときの伊藤美咲のたたずまい
2.「おまえは気が小さいから心配だ。余計な計算をするとろくなコトがない。天然は天然らしく、風に身を任せて
戦え。」 先だった藤堂さんの遺言
このメッセージを与えられただけでは まだ、心は休暇中=ひきこもり状態のままですが・・・
3.「あなたは甘えちゃ行けないの」と妻に言われ、しぶしぶ海へ。そして小夏と向き合った海のシーン。
4.生かされているという意識をもって再び「生きる」飯島夏樹。病気への感謝。家族への遺言。
おちゃらけて、いつも前向きに笑顔でいようとする夏樹。
それを気が小さいからの裏返し、と見透かす妻と友人。
大沢たかおの純粋で子どもっぽい、包み込むような笑顔がいいし、
観る方も救われている。
気の小ささを隠すからこそ、培われていたサービス精神。
彼のその表面上の笑顔に救われた人は何人いたか。
サーフィンを辞めてから何も残らないと思っていた夏樹だったが、
彼の紡ぎ出す言葉(ブログ)には何人もの読者がついてきた。
彼らに感銘を与え、彼らからの反応に夏樹自身も救われた。
最後に残るもの。彼を救ったもの。
それは才能や名声ではなくて、
気が小さいから生み出された行動パターンだった、のかなと思ってみる。
天国はいい風吹いてるよ。広いよ。
包帯クラブじゃないけど、心の風景は現実の風景と重なっている。
現実に見える風景はいつも美しくあって欲しいね。
ハワイみたいじゃなくていいからさ。
映画 嫌われ松子の一生 [movie]
悲惨になりすぎないように、不幸に見えても実は幸せ・・・という心持ちが劇画タッチに描かれる。
中谷美紀はキレイなんだけど、うっとりできるほどでも、ひきこまれるほどクレイジーでもなくて飽きた。
・・・けど最後まで見て良かった。ラストはうっかりボロボロ泣いてしまった。
おいっこ役が瑛太っていうのもよかった。ひたってたり、危なっかしい顔が好きだから。
中谷美紀が、撮影中は全てをなげうってやめたくなった、果てには現場をボイコットした、と激白するくらい体当たり。
休みだからのんびりしてるよ。
本当は来週テストの生徒のフォローで勉強しなきゃいけないのに、逃避。
やることといえば美容院行くこともだよ。私ったら髪の毛、六ヶ月切ってない。記録だよ。前髪長くウエーブしててまるでお水みたいなの。やばい。
松子のような道のりはやめておかなきゃ。
エラゴン~映画 [movie]
映画を観てきました。
原作を読まないで、映画をみた人は何が面白いんだろう・・・というくらいの早い展開。
650頁を2時間にするのは無理なのはわかるけど、
登場主要人物もただ登場させてるだけですな。
原作の謎解きっぽい部分が味わえない。
キャストは怪しい映画や悪役にぴったりなハズの
ジェレミー・アイアンズが少年を指南する役に。
それも新鮮で、なかなか良いんじゃないですか~。
ドラゴンに乗っている感じ、飛翔感はとてもいい。
サフィラの声も素敵。臨場感も増したので字幕で観てよかった。
ヴァーデンの基地がちょっとこぢんまりしてたけど。無理ないか。
ドラゴンの動きは納得いくもの。そこが一番の価値といえる映画でした。
リリィシュシュのすべて 亡国のイージス [movie]
「亡国のイージス」テレビで。モーニングで連載してたし。
勝地君がイメージぴったりで期待!
もっと勝地君メインで疑わしい場面が続くと思いきや、
真田広幸が頑張ってたな。
岩井俊二の「リリィシュシュのすべて」
市原隼人君のデビュー作らしい。蒼井優も忍成修吾も。
スタイリッシュな分、悲しく暗くなる映画。
リアルっぽくみえて寓話の中にいるような中学生達。うそっぽ。
いじめられ、アーティスト”リリィシュシュ”に依存し、
彼女を語るブログ内に安らぎを求め、
唯一語り合えるnetの住人との交流に居場所をみつける。
しかし彼らは・・・。
男がしょうがない。
居場所のない悲しさを破壊することでしか、
表現できなくなったいじめっこ。
それを受け容れることしかできない主人公。
女の子に助けを求められても、泣くだけ。
女の子にはびっくり。
ウリを命じられても、明るく笑い飛ばす。
そして、そこから抜け出したいことはさりげなく話す。
そして・・・最後の決断も自分で下す。
ある娘は、負けない意志を周囲に知らしめる。
宮崎監督じゃないけど・・・これは岩井監督の男女観なのかな?