『はるかぜちゃん、いじめを語る』を読んで考えた。 [雑感]
はるかぜちゃんは物事に真摯に向き合う姿勢が身についているんだろうね。IQも+されていると思うけど。この向き合う時間の長さが成熟の尺度なんだろうな。
言い換えると子役という仕事によって子どもの時間を持たない悲劇も透けて見えてくるけれども、これは役割として社会が求めたもの。
だからこそ、私たちは「イジメを受け止めている渦中の子ども」の内なる発信を明確な言葉で受けることができたのだと思うわ。
動物でも、ベッキングオーダーで優劣争いするわけだし、いじめが、無自覚なのは本能だから当たり前なのに…真面目にどこか忘れてた。
ありがとう。グサリときました。
◆春名風花、いじめを語る
“いじめっ子"が「じぶんはいじめてない」と思うことについて、
「大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかな」「ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで」と述べました。
さらに、そうした“いじめっ子"によるいじめは「想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない …
***
ちっぽけな優越感はなんぼのものでしょう。
一昨日、酔っ払って絡む彼女を、小ばかにしてて…。いや迷惑ぶりが目に余ったのだけど、毒舌やあからさまに避けると周りにウケるわけ。どこか周りへのサービスもあって加速するのよね。これ。
彼女みたいにならないわよ私って見做す優越感もあるしね。ウケてるからやっぱり無自覚!
酔いが醒めたら…明らかに傷つけたなぁ、って気がつけた。
でもノリだったし、彼女への愛はあるからってことで、どこか自分を許しているんだよね。
なんとか出来なかったんだろうか。
飲み会の一日ならまだしも、談話会の時間が豊富な学校で、毒舌がウケ続けてたら…と想像すると怖いものがある。
***
(り)は(め)より恐ろしい。
それにしても、はるかぜちゃん活躍の場であるテレビに問題があると思うのよね。
バラエティーがいじ(り)の常態化を加速している、っていうの?
キャラ作りが命のタレント。利害や愛で成立している。でも、こどもや視聴者にそんな区別できないもの。テレビは想像力を補う為の機能も果たすけど…。
半面、単に[いじり]をノリの手本として見せつけて、相手がどう思うかって想像力を奪っているのかもね。
ツイッターが安易に鬱憤をはらす道具だから、そこに走りがちってのもあるけど、上手な気持ちの澱の晴らし方のスタイルが蔓延ればいいのにな〜。安易なモデルばっかりに飛び付いてるのかも。
なんだかいい手本を示してくれないものかしら。
あ、発見!
相手を他者と見なすいじりか、そうじゃないか。
いじられる快感を誘う話術!
だれそれがって特定していじるんじゃなくて、お客全体をいじって自分もいじる
「綾小路きみまろ」の境地まで行けば、いいのか〜?(笑)
***
異質な他者への不寛容
あと…
想像力は働かないんだろうなっていう、いじめと同等な無自覚な圧力も当たり前にある…というか様式化?
親戚が集まると、恋人は?結婚は?こどもは?二人めは?持ち家は?とエンドレス。
個人の事情お構いなし。
他に話すことないからしょうがないんだけどね。それらは価値観を変える成長の儀式でもあるよ、確かに。遺伝子と社会のシステム上、必要だから無下にはできないこととわかりつつ…「産めよ殖やせよ」って価値感で測られる世の中よりマシとはいえ…閉口。
許せる相手ならば、自分の事情と価値感をぶっちゃけてしまうと案外、相手も新しい価値感に出会えたって申し訳なさそうに+嬉しそうになるときあるよ。
でも気をつけなくちゃいけない。こども産んで立派に育てろという期待と価値観があるからこそ、それを励みに頑張ってこれた人がどれだけいるか。今より苦労しなくちゃいけなかったからね。離婚しない人もそう。
その価値観に沿わない人は、頑張ってきた自分を否定する人にうつるんだよね。たぶん。
こういうことも想像力でプラスしておいた方がいいと思う。
***
で、また話しを大きくすると、時代の価値観にのって生きてきたって自負のある人たちは、そういう人達ほど、価値観を変えるんじゃなくて、人を切り捨てることを選んでそう。
そう、無自覚にね。
習性化してるから。
なんとかならないかな〜。
◆いじめている君へ〜経済学者の金子勝さんが大人の社会の矛盾を指摘します。
「弱い人が追い込まれ、強い人は平気でいられる」
だから「大人のまねをしないで」
言い換えると子役という仕事によって子どもの時間を持たない悲劇も透けて見えてくるけれども、これは役割として社会が求めたもの。
だからこそ、私たちは「イジメを受け止めている渦中の子ども」の内なる発信を明確な言葉で受けることができたのだと思うわ。
動物でも、ベッキングオーダーで優劣争いするわけだし、いじめが、無自覚なのは本能だから当たり前なのに…真面目にどこか忘れてた。
ありがとう。グサリときました。
◆春名風花、いじめを語る
“いじめっ子"が「じぶんはいじめてない」と思うことについて、
「大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかな」「ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで」と述べました。
さらに、そうした“いじめっ子"によるいじめは「想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない …
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ちっぽけな優越感はなんぼのものでしょう。
一昨日、酔っ払って絡む彼女を、小ばかにしてて…。いや迷惑ぶりが目に余ったのだけど、毒舌やあからさまに避けると周りにウケるわけ。どこか周りへのサービスもあって加速するのよね。これ。
彼女みたいにならないわよ私って見做す優越感もあるしね。ウケてるからやっぱり無自覚!
酔いが醒めたら…明らかに傷つけたなぁ、って気がつけた。
でもノリだったし、彼女への愛はあるからってことで、どこか自分を許しているんだよね。
なんとか出来なかったんだろうか。
飲み会の一日ならまだしも、談話会の時間が豊富な学校で、毒舌がウケ続けてたら…と想像すると怖いものがある。
***
(り)は(め)より恐ろしい。
それにしても、はるかぜちゃん活躍の場であるテレビに問題があると思うのよね。
バラエティーがいじ(り)の常態化を加速している、っていうの?
キャラ作りが命のタレント。利害や愛で成立している。でも、こどもや視聴者にそんな区別できないもの。テレビは想像力を補う為の機能も果たすけど…。
半面、単に[いじり]をノリの手本として見せつけて、相手がどう思うかって想像力を奪っているのかもね。
ツイッターが安易に鬱憤をはらす道具だから、そこに走りがちってのもあるけど、上手な気持ちの澱の晴らし方のスタイルが蔓延ればいいのにな〜。安易なモデルばっかりに飛び付いてるのかも。
なんだかいい手本を示してくれないものかしら。
あ、発見!
相手を他者と見なすいじりか、そうじゃないか。
いじられる快感を誘う話術!
だれそれがって特定していじるんじゃなくて、お客全体をいじって自分もいじる
「綾小路きみまろ」の境地まで行けば、いいのか〜?(笑)
***
異質な他者への不寛容
あと…
想像力は働かないんだろうなっていう、いじめと同等な無自覚な圧力も当たり前にある…というか様式化?
親戚が集まると、恋人は?結婚は?こどもは?二人めは?持ち家は?とエンドレス。
個人の事情お構いなし。
他に話すことないからしょうがないんだけどね。それらは価値観を変える成長の儀式でもあるよ、確かに。遺伝子と社会のシステム上、必要だから無下にはできないこととわかりつつ…「産めよ殖やせよ」って価値感で測られる世の中よりマシとはいえ…閉口。
許せる相手ならば、自分の事情と価値感をぶっちゃけてしまうと案外、相手も新しい価値感に出会えたって申し訳なさそうに+嬉しそうになるときあるよ。
でも気をつけなくちゃいけない。こども産んで立派に育てろという期待と価値観があるからこそ、それを励みに頑張ってこれた人がどれだけいるか。今より苦労しなくちゃいけなかったからね。離婚しない人もそう。
その価値観に沿わない人は、頑張ってきた自分を否定する人にうつるんだよね。たぶん。
こういうことも想像力でプラスしておいた方がいいと思う。
***
で、また話しを大きくすると、時代の価値観にのって生きてきたって自負のある人たちは、そういう人達ほど、価値観を変えるんじゃなくて、人を切り捨てることを選んでそう。
そう、無自覚にね。
習性化してるから。
なんとかならないかな〜。
◆いじめている君へ〜経済学者の金子勝さんが大人の社会の矛盾を指摘します。
「弱い人が追い込まれ、強い人は平気でいられる」
だから「大人のまねをしないで」
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