異動の季節
これ、なんでしょう
詳しい方に聞きそびれました…
家においておいたらブァッと飛び出して来て慌てました
さてさて、いったい幾つ入っているのでしょうね 【追記】「鞘と種子、ガガイモだと思う。何処にでもある蔓性の多年草です。」とインスタを見た父から 何処にでもあるものなのに知りませんでした?
植物は自らは少しずつしか動けないので、種で子孫を残すには風任せ、動物任せ。種が飛んで行った先の環境は選べず哀れでさも受動的かと思いきや、周りをいかに動かすかに注力して進化していることに気がつかされています。
異動の季節。心の支えになっていた方々と物理的に離れてしまう話が相次いで混乱。
自分が引越しの際、かけられた「残される方が辛いんだよ」という言葉をリフレイン中です。
私も以前、やむを得ない引越し、引き剥がされる恐怖、混乱、ストレス、後悔がどっと押し寄せ、多くの方に支えられました。執着の強さを自覚させられ、苦渋の断捨離の先に待っていたのは、実は望んでいたかもしれないこととの出会いでした。写真撮影と自然観察は楽しい!
まだ、少しずつしか動けない事情を抱えてどうやって暮せばいいのか鬱状態に襲われたり復帰したり巡ってますけど、逞しさの見本としての生物の有り様が私の閉じた思考回路に多様性を注いで救ってくれています。
受動的と見えるようでも、能動的な何かが働くこともあると信じています。
これから先、種の飛んだ先、生きる為の社会的土壌が肥沃でありますよう。
いや、『自己実現』はしたい事をするのではなく、自分の置かれた状況に向き合うことなのだと心理学者。土壌が肥沃でなくてもじっくりでも生きている限り進化するようにできています。
ん?これは無責任。復興の困難を目にして耳にして、その土壌を作るのは、決してひとりではないということも心に留めないといけないですね。
あー、まとまらない。
どこに行っても、時に植物を見習ってじわじわと根を伸ばして、時に積極的に種を飛ばして、生きる為の思考回路を逞しく育んで、楽しんでいって下さい!
植物教にかぶれてますので、こんな言い方しかできなくてすみません。
#種#引越し#荒川
こちらに来るときがあったら遊んで下さい
2019年 佳い年になりますよう [雑感]
土壌の深み モノリス
アスファルトの上では行き場がなくて掃くのが大変な落ち葉ですが、土の上に落ちたのならば分解者さんへの美味しいご馳走、大事な土壌の原料。土壌は1センチ作るのに平均して100年?数百年という年月が必要…ってことは足元の土壌はどのくらいの年月がたっているんでしょうね。
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ということで、穴を掘ってみました。
うかつな場所では掘れないので庭で穴掘り。5センチほど掘ったところから、関東ローム層(火山灰が粘土化)らしく、黄色い粘土の塊がボコボコ出てきました。
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上側は黒くてホクホクした塊になっています。状態通りの安直な名前の黒ぼく土です。乾くと黄色っぽくなりますが、関東ロームの粘土の色とは違うことがわかります。
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それではどうやって黒くホクホクした土ができたんでしょうか?(土壌)
その過程がわかるようなモノリスを作ってみました。
火山灰由来の無機物が、有機物が積み重なって土の中に住む者達に分解されてはじめて団粒構造を持つ土壌になっていきます。
腐葉土はクヌギ林からもらってきました。
積もった落ち葉や木の実は、赤い桜の葉にとがったクヌギ、赤い榎の実にメタセコイアに黄金のヘクソカズラというハチャメチャぶりですが。。。まぁ、イメージで華やかさ優先。
本《雑草が教えてくれた日本文化史》 映画《ボヘミアン・ラプソディー》
面白かった〜!
日本が高温多湿でいかに雑草が生えやすい環境か。雑草が生えにくく農地が広大じゃないといけない西欧は豊かではないわけで、芝生を始め、西欧スタイルを模す必要はないのだといいます。
また、縄文前期に東日本に農業が発達しなかったのは温暖な気候で貯蔵の必要がなかったからなんだとか。農業の負の部分、種子を落とさない突然変異植物(稲など)を貯蔵することで富の格差が産まれたことにも弁が及び、植物を利用しつくしてきた歴史を振り返りながら、人類の生き様を考えさせてくれます。
そして、雑草が日本人に対して育んできた精神性はというと…勤勉!雑草抜かなきゃいけないから長期間休めないのだという指摘に超納得(笑)同時にしたたかな精神性も育んでいます。
実際、外交スタイルもそうだといわれますが、「変わらないものは受け入れて工夫する」この日本人のスタイルは、まるで植物なんだとも。自然災害後の復興を植物とともに歩んできたからこそ身についているのでしょうね。
そして、気になったのは…「水に流す」「土に返す」軽々と言ってますが、これは分解が早くて恵まれた地域だからこそ出てくる言葉。雑草の強みを目にし、母の恵みに甘えるからこそ、環境問題に対してぞんざいなのだという指摘も。
実は海外の農業地域の土壌資源は枯渇気味。日本は豊かな土壌資源をもっと誇ってもよいのかもしれません。そして、取り返しのつかないことはしないで欲しいものです。
フレディは表現する身であるからこそより正直に生きることを選択していくのですが、それは解放とともに失敗と苦難も伴います。
けれども苦難と同時に音楽性は切磋琢磨あってこそ輝くものだと知って、いままでの恵まれた環境に気がつくことができるのでした。
実際はこんなに単純ではないのでしょうが、それらのエピソードやメイキングは聞いたことのある曲に深みを与えてくれるには十分!
それから、この映画にはいまや顕在化が甚だしい多様性にまつわる問題や、社会構造からはみ出してしまう人間への差別に対して、アートがそれらを包括するんだよ、というメッセージがふんだんに盛り込まれているよう。この部分が時流にのって刺さるのかな。
儚い命を持つのは万人の定め。フレディは無常を知るからこそ、表現したいありったけを出し切るのでした。芸術讃歌の映画。
不可逆にみえる無常を哀しみではなく美しさとして捉えることができるのは、確実に循環するという安心が支えているのかもしれません。自然も芸術も含めて、循環する文化の中にい続けたいと切に願うのでした。
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東大探索〜東京大学総合研究博物館など [ヲタ話]
沖縄のウタ拝 [music]
『沖縄のウタ拝』10/27
美しい音楽に触れて感涙!感極まることはあっても泣いたことはなかったので初めての体験かも…。誘われて、coccoが踊るという以外の予備知識がないまま観たのに美しさにやられました。本物です。
表現者はピアニストにcoccoに三線に声楽家にパーカッショニスト、歌詞は沖縄言葉、と書くだけでジャンルレス。それをよくこんな構成に…。沖縄が紡いできた等身大を自分の立っている場所を知ろうとして、感じたそのままを表現したらこうなったということですが、沖縄の入り交じる芸能の姿そのものなのかもしれません。
coccoが唄う沖縄音階の祈りの世界に引き込まれたと思いきや、クラシックやジャズが這うものを縫うように交差してきてマッチングの妙も刺激的。
かと思うと、三線演者が一辺倒な音階で沖縄の古語で詩を読み上げる。それと同時に文字が白くスクリーンに浮かんできて、侵略の過去と現状を紡ぎます。ぐさぐさ…
踊りはcocco(無形文化財保有者の孫?!)
『藍色血潮』https://youtu.be/vRIdEzoI9kg (← これは2年前のもの。この頃より健康的に痩せていてキレがありました。)人魚の哀愁と相反する可愛らしさを表現。踊りの原点は彼の地と接点を作る儀式らしいのですが、見る方も現実に戻るのに時間がかかりました。くらり…
照明もときに浮き上がるように、ときに幻想世界に溶けいるように、海の中の有機体群に会場が入り込むようにと、どれも印象的。
映像の沖縄の生活、文化、環境を切り取る写真や絵画も華やかな色味とモノトーンとが匠に使い分けられていて唸らされました。
会場は場所は渋谷総合文化センター大和田。
視覚にも全員が舞台を望める優しさで、音響が柔らかく包み込むのも世界に入り込めた要因かな。
そして、ラストはなんと締めの踊り、客席巻き込んでのカチャーシー。カチャーシーはかき混ぜるという意味で「喜びと悲しみもかき混ぜる」という思いがあるんだそう。なるほど!
許せる強さの本質。優しさの本質を見た気がしました。
そういえば、芸術は現実をかき混ぜることでの再構築。ジャンルレスをこなす力量の原点も、かき混ぜることを日常にしている沖縄(かき混ぜざるを得なくなっている沖縄?)にあるのかもと思うのでした。
沖縄のウタ拝、素晴らしかった。
舞台芸術に浸るのもいいですね!
※「沖縄のウタ拝?ウタハイ?」は<OKINAWAという島が紡ぎつづけているもの>をテーマに、沖縄の先達が歩んだ道のり、現在、その先へ想いを寄せて「音楽・踊り・映像」で表現する舞台芸術。発起人は沖縄を中心に活動するピアニストで作編曲家の辺土名直子。
※徒然想起 文化としての暴力
直接暴力、文化的暴力、構造的暴力 『暴力の三角形』をノルウェーの社会学者が提唱している。直接暴力を氷山の一角として、文化的暴力と構造的暴力がそれを正当化して支えているのだという。例えば、体罰やら勤勉は文化だから、儀式だから、組織には統一化やらヒエラルキーが必要だからというように。
そうやって利害に彩られた社会の弱さが作る暴力を、強さに置き換え掲げてみせて、唯一無二の必要悪で、むしろ美徳と言い換える。文化が〈社会の構造的弱点が作る暴力の枠組み〉に人を当て込む装置のようにもなっているのかも。
文化は芸術がベースだったりもして、芸術は社会からはみ出した感受性を再構築して社会に還元する役割を持っていたはず。
暴力に晒され続けた沖縄のカチャーシーを見習って、はみ出していく感情も人も全ての諸々をかき混ぜながら、文化は社会に何を還元しているのか、文化の本質的な意味を問い直していくのも悪くないんじゃないかな?そんなことも思わされたりして…
ウタ拝、深いです。
『万引き家族』と遺伝子への幻想 [movie]
演技陣の演技にも惚れ惚れ
ネタバレにならないだろう範囲で随想をちょこっと。
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この映画は今の子育ての問題提起でもあるんだなって思いました。...
育て方と共有の仕方って、ある程度、学ばないと遺伝子だけでは伝わらないのに遺伝子への幻想だけがひとり歩きしているみたい。今までは宗教や共同体が作り上げた〈家族規範〉(序列を基にした役割の明確化)という圧力で子育てへの学習を促してきたりしたけど、遺伝子の繋がりだけで子育てが無理なのは、動物園の動物の子育てみたいにモデルがないと立ち行かなくなるのはわかっているのにね。遺伝子と圧力だけあってもしょうがないのかも。
・
ましてや、戦後は人権よりも経済を選択した時期もあったから(池田首相期・その前の安倍総理の祖父である、岸首相の推した軍事方向にいかないだけマシだったけど。あれ?今も?)そういうものが成功体験として脈々と子育てにも引き継がれていることを漠然と感じたりするから余計。規範モデルを役割化する在り方はどこか個人として生きることと矛盾しがちにさせてしまって、子育てを学習させる為の規範がただの圧迫になっているみたい。
映画でも、個を圧迫しても誰も救われない場面もちゃんと描いていました。
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気持ち過激に言い換えると〈遺伝子の繋がりは尊いもの〉と神話として置くことで遺伝子を利用しているようにも見えたりも。本来、尊いものを過剰に美化しながら、個人を絡め取るために利用して、むしろ貶めてしまっているようにもみえたりして。
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日本での遺伝子への過剰な幻想は、組織の役割と分離できない個人が多いように、親子では遺伝子の繋がりに依存しちゃって、分離できない親子をさらに産む原因になってしまうかもしれないですね。尊いものがどんどん…。
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遺伝子を使って家族と社会を維持する為に役割を充てがう繋がりと、金銭だけでの繋がりとどこが違うのかもわからなくもなる。映画で描かれた家族は、大きな社会と小さな社会、規模と契約の規範が違うだけで維持するためにただ有るだけで。(野生の子育てが環境次第で規範を変えることはいくらでもあるわけだし。)
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ひとつの規範ありきならば、外れたものの行き先は?
子育てのバリエーションモデルは、人間界も生物界も極めて多彩。ましてや遺伝子なんて言い出したら、人間だけじゃなくて、水を起源にあらゆるものがつながって循環してるわけだし。
推奨モデルとして共同体にプログラミングされたスタイルでうまく行っているなら安住すればいいけれど。それは全てじゃないんだろうね。
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犯罪はダメだとか一元的な価値観に流れがちな昨今、物語を読解ではなくて咀嚼する力も試されているようでもありました。
その後の展開も含めて、いろいろ考えさせられる映画でした。
観てよかったよ!
オウガ・ユー・アースホールからのフアナ・モリーナ [music]
音楽にはまれない日々でしたが、連休、妹の大学祭で姪っ子のLIVEを聴き、渋谷でOGRE YOU ASSHOLEのLIVEを聴いたらすっかり虜に。呼び覚まされてしまいました。
姪っ子の歌う『きのこ帝国』は椎名林檎風ボーカルの深みというかドスを効かせていてものすごく好み
後でyoutubeで聴聞いてみたきのこ帝国が物足りないくらいでしたかっこいい!(声質合ってる!身内褒め)
OGRE YOU ASSHOLEは異音の統合のさせ方がよかった。デュレイに浸らせないパーカッションやら独特のベース。ヨ・ラ・テンゴのLIVEの狂気っぽいものと渋谷系メロディの組み合わせの妙。はたまた、この音の組み合わせは好きなフアナ・モリーナ?かしら?なんて自分のはまった音のルーツに触ってくるものだから、思わず単独買っちゃいました。会場のwww-xの音響も素晴らしくてグローがかった柔らかい音に包まれる感じがよかったのでその影響もありそう。(セロ弾きのゴーシュのセロに入ったんじゃないかと思うくらい。)
妹もルーツを同期させていたりするので本当に合う大感謝
で、家に帰って2日後にフライヤーを整理してたら翌日にフアナ・モリーナのLIVEが!?音響のいいwww x で?これは行くでしょう。当日券で。
対バンのテリー・ライリーは知らなかったんですが、大御所なんですね!ピアノとピアニカと歌声を操って、確実に民族音楽のトランスめいたものに誘ってくれました。サポートのエレキの表現力にもクラリ?
そして、期待のフアナ・モリーナ 会場で新譜を買うという体たらくなファンでしたが、LIVE中は魅了されっ放し。新譜をLIVEで初聴きするというのも嬉しい体験。はたまた奇妙さにも取り憑かれました。
二人のノープランだというセッションが最高!
オープニングアクトもよかったけど…誰だったんだろう。
次はオウガの単独LIVE?
ヨラテンゴのLIVEも聴きたくなって嬉しい忙しさ。 音に浸ってみます
(6時間立ち通しで腰痛悪化したのでちょうどいいです)
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整え刈られた公園よりも里山を再現している公園や庭園の方が多様なものの境目を和らげて、脳に心地よく配置してくれていて、頭の中の雑音を消してくれる
目でも無意識にはみ出したものを整えようとしているのに人工物の中だけでは無理で
音楽も一緒で自然と同じように期待通りにならない多様な不協和音やリズムを認めて巧みにまとめるものに晒されたいらしいのでした。
アートはやっぱり精神安定剤です♫
茅の輪 大祓詞考②
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巡り巡って、浄めていくうちに赦されてか?香取神社の経津主神、氷川神社の須佐男様、天祖神社の天照大神に呼ばれたかのように(前のブログ)この神事にたどり着きました。楽しみ!
6/30 19:00〜夏越の大祓の神事を観てきました。満員御礼状態、盛況です。
厳粛な雰囲気のなか、大祓(おおはらい)の詞(ことば)を奏上、拝殿前で潔に踊りを捧げてから、参拝者の茅の輪くぐり。
ここでは形代(穢れを移した人型の紙、千と千尋みたいなの)を焚くのではなくて、荒川に流すのだそうです。茅の輪は今夜は人が多いのでそのまま3回くぐります。
神主さんは言いました「これから半年、張り切って穢れを貯めましょう。」笑
くぐった後はお酒(かわらけ)とさきイカと昆布飴と羊羹をもらってお終いです。食物連鎖の頂点にいる自覚がふつふつ湧きました。7月以降もそこそこはりきっていきましょう〜
というところで、頂いた祓いの詞を見返し!ふむふむ、天つ罪、国つ罪というのが原点の罪なんですね。 素戔嗚が犯した、戦で田畑をぐちゃぐちゃにして自然の循環と稲作の労働を妨げた罪なのね。(注:日本の神様は西洋と違って神様も働きます。)これは統一に伴う、国の暴力性を表しているじゃないですか!おぉ。
明治期、近代国家になるために一神教を真似しなきゃいけない!と神道を利用し、かりだしたのはいいのかもだけど、その成功に酔いしれた輩はどんどんと循環を断ち切り、本来の神道の天意と全然真逆なことを進めているもよう。利用している自覚もなさそうなので、ヤメテホシイ…涙
(弾丸の跡の遺る狛犬 天祖神社)
日本人の大本の精神性が古事記にあるのならば、まずは自然の循環を取り戻さないと。非寛容社会を加速させるばかりで、何もとりもどせないんじゃないかな?と 具体策はなくとも大祓詞が示す理念はわかるぞ!とふと。
かんながら たまちはえませ
◇◆◇
今、跋扈する愛国が、国家間の分断と既得権益の固執により人権を吸うグローバル資本の思う壺に嬉々と向かわすおかしさよ。
『大祓詞 訳 : 本心の自分を忘れ、新たなる全徳の無限の無限の輝きを受け直すことを忘れ、番組の中に落ち込み、配役の自分に囚われた瞬間から、罪穢れが発生している』
天意を知ることは配役に囚われてはいてはできないんですね。お!これは世に溢れるアイヒマン(ナチスの意向に従って役割を果たしただけだから自分に罪はないと主張した)に対する警告なのかもしれませんね。
◇◆天つ罪 国つ罪
畔放(あぜはなち)とは、田の畔(あぜ)を壊して、水を出し、稲を枯らすように、天照大御神の大調和の働きを邪魔し、拒絶することです。
溝埋(みぞうめ)とは、水の流れる溝を埋めるということで、生かし合い・助け合いの自然循環・自然流通をストップさせることです。
茅の輪 大祓詞考①
おはようございます 半年が過ぎ、あと半年ラストスパート!はりきって行きましょう!
新しい道を使ってしまっては道に迷い、神社に入り込んではびっくりするというのが最近のお約束でしたが、この日もまた…。ランチのあと、坂道の多さに目が眩んでいたその時、神社に向かう階段がふと。登りきって神社に入るとなんだろう、この輪。
見たことないやと思って調べたら、いろんなでもやっていたのではないですか!この輪は茅の輪と言って、祝詞を唱えて八の字に三回ぐるぐる回ると半年間の穢れが祓えるのだそうです。知らなかったことが多すぎです。
ここは北区の【稲付香取神社】といって千葉香取市の香取神社を総本社とした神社で鎮守社でも。本殿は覆われて見えませんが上野東照宮を移設したとも言われた由緒もあるらしい。拝殿もなかなか好きな感じ!屋根の上の狛もかっこいい。
6/30前のいつくぐってもいいらしいので作法をチェックしてから祓ってきました。祓っても祓ってもですけどね汗
◇◆◇
で、本日は本日で今度は板橋、また用事の帰りに迷いました。スマホの充電もない。ヤバイ!でもまた、なんか出会いがあったりしてーと思った瞬間、左手に長?い参道…。
今度は【根村氷川神社】。今度は茅の輪はありませんでしたが、お賽銭箱近くに形代が。まだ、祓いたりないということか、家族も祓えということでしょうか(思い込み)。ということで、形代だけもらってまた出直すことにしました。大祓は素戔嗚尊と蘇民将来との逸話が関係するんですね。
ここらへんは神社が多い!
◇◆◇
【夏越の大祓?天照大神】
早朝、形代に名前を書いて身体をこすって息を3回吹きかけて?素戔嗚尊のいる【根村氷川神社】に納めて…撮影していたら、参拝されてるおばさまがお話をしてきて【天祖神社】というところを案内してくださいました。
今度は天照大神の社です。浄めていくうちに赦されてでしょうか?香取神社の経津主神、氷川神社の須佐男様、天祖神社の天照大神と中心にだんだん近づきました。
写真の通り、なかなか大規模。駅すぐの一等地。人も次々と来て参拝しているし、拝殿周りは竹を結びつけられていたりして何かの準備がいそいそ着々とすすめられていました。何事?お聞きしたらば、夜は踊りがあるらしいです。当然行きます。
5つの神社の社(天神、お稲荷などなど)もここに集められていました。開拓に伴っての集約かと考えさせられます。産土神や鎮守に繋がるものは大事にして欲しいものですね。
神はなんで祀るんでしょう?荒ぶるものだから畏れをもって祀るもの。お?これは憲法みたいなものか?力は荒ぶる、だから諌める。そして、人は穢れるから天命を忘れる。だから祓うのでしょう。
神様のチカラは要らないのかもだけど、こういう畏れを知る主軸は持っていたいと思うばかりです。
◇◆◇
都立 旧古河庭園へ
薔薇に惑わされているようで、都心にある職場の徒歩圏にこんなところがあるのに気がつきました。バラフェスのライトアップのおかげで帰り道に寄れるじゃないですか!とばかりに行ってきました。
財閥が贅を尽くしたレンガ壁の洋館や薔薇園に日本にいることを忘れさせます。
でも、塀は白壁ですし、庭の階段を下ると日本庭園が広がってと、目紛しくてなんだか小トリップ気分です。
そんなロケーションだから雨上がりというか小雨なのに撮影会もあって人がワラワラいっぱい。
あ、薔薇を撮らないでどうする!
悪の華みたいな薔薇(笑)
撮影会に混じって私はマニュアルのピントってここで合わせるのね?というレベルですみません。
夜になったら写真もザラザラになったので加工?ヽ(´ε`●)ゞ
もう、そろそろ帰りましょう。入園150円
その後は、薔薇が好きな以前の仕事仲間をお誘いしているので直行したのは駒込の居酒屋『基本』。目の前ビールというのを頼むとカウンターの隙間に入ってる種々のビールから選べるおしゃれなシステム。
手作り厚揚げが売りらしいけど、あさりと若布のぬたがぷりぷり美味しいし、
ゴーヤチャンプルの卵のフワ加減にうっとり、
だし巻き卵の色合いもいい。
楕円の器も可愛い
この道で帰ると寄りたくなるからヤバイ感じです。
おまけ この日は職場にカメラを持ち込んだので、休み時間に窓からパチリ
臨時鉄子でした。
小石川植物園めぐり [自然]
突然ですが、一眼レフを使うことになりました。きっかけは自治体の広報、4月オンリーのデジカメ講座。肝心のデジカメは?iPhoneでいいかなーと不埒に申し込んだのですが…さすがにそれはと直前に思い立ち職場の生物担当(卒論はカメムシ)の粋な方♡にお声がけしたところ、一眼レフを譲り受けることに!ということでカメラに助けられての講座受講。蓋を開けたらステップアップ講座、なのに露出ってなんですか?どこで調整するんですか?え?1.0アンダー?何その呪文…というレベルの私。前途多難で始まりましたが、かなりまきますが三回の撮影会を経てのコンテストでは最優秀賞をいただいたついでに弟子認定も?ということで、五月も撮影会の見学もさせていただくことになりました。オリンパスE5君のおかげです!
デジカメ講座~蝶や昆虫の撮影がテーマになり、フラッシュやシャッタースピードについて黒柳昌樹先生に説明して頂きましたが、フラッシュは強制発光にしても付かないし、クマバチの動きは速すぎるし、水を飲みにきたクロアゲハがその場で長時間止まっているという好条件でさえもシャッタースピード上げすぎて真っ黒だし全然ダメ。写真は加工。諦めて、その池にいたカエルを撮りました。これは大きくて背に線がないし、耳孔が小さいのでウシガエルのメスかな。
先生によるテクニックの説明はここのページがわかりやすくてよかった!
http://ssp-japan.net/ssp/howto/vol/vol_03/003-kuroyanagi/003-kuroyanagi.htm
栗林慧さんみたいのも撮れるのかなぁ?オリンパスE-M1ですか。蜘蛛学会所属の親父(アカボシゴマダラの幼虫の同定も即答…)は未だフィルムのオールドレンズで重いからと持たない様子なので、瞬発力があって高機能なカメラをプレゼントしたい!と思いましたが…うーん。自分でも魚眼レンズが欲しくなっちゃう。暇あり貧乏がまんがまん。
解散後はシダ園に寄ったり、交配しちゃうんじゃないかくらい、ありとあらゆる種類をかき集めた植物畑に、半端ないくらいもりもりした巨木に圧倒され、とにかく広くてやっぱり迷いつつも、日本庭園のゼキショウを撮ってから、元の道へ。そしたら、対性を持つ葉っぱの大きさの傾向を趣味で調査しているというおじ様がいて、しばしお話。重い方の葉の方がホルモンが集中して大きいはずなのにこの木は違って、と何やら専門的。
http://blogs.yahoo.co.jp/ashikawapapyrus/14198087.html
いろんな方がいろんな楽しみを求めてくるところみたいでした。面白かったです。お誘い感謝感謝(*˘︶˘*).。.:*!
お世話になりました!
入口手前にもムラサキツユクサが群生。入手で四苦八苦していたので抜きたい気持ちをぐっと我慢
クロアゲハ 加工しないと無理!保護色ずるい。
ずっと羽根を開ききらずに給水
ウシガエル 去年バラバラにしたので丸ごとは少し愛おしいものの、ダルマガエルの方がかわいい
トウヤホシテントウ 私のマクロはiPhone5…えっ?って言われ
マネープランツ
買いたいものが増えてます 南無南無
なーにこれ???
オオニワゼキショウ 女子向けの撮影
いい感じでもりもり
落ち着くわぁ。
分類標本園をしっかりみていなかったり、とまだまだ奥が深そうなので、また来てみようと思います(*˘︶˘*).。.:*
Radiohead新譜【A Moon Shaped Pool】 [music]
素晴らしくて感涙してます。
#1 ミニマル(現代音楽のジャンル)の要素を含んでいるとかで中毒性抜群。
#2 ふわふわした歌声が、さざめきながら煌めくピアノと何層もの幻想的な音色によって現実との狭間がわからない鏡面界で不確かな像を作って…。 好きだわ。http://youtu.be/TrgL0s7E3pU
イーノにニック・ドレイク、ポーティスヘッド好きにもツボなんだろなぁ。この感じ、トムはカバーしたものはきっちり回収してるようです。それからキャッチーな普通の曲も添えとして意味を持っているようでアルバム配置も絶妙。ただ、不穏な#10に続いて#11 が鏡面界してるのに個人的に曲がキャッチー過ぎて明るくてちょっと取り残されていて、私もそこまで殺伐を求めなくてもいいのに、#1 みたいな反復の中毒性ももっと欲しいっていうのは贅沢かな?
待ち望んだJames Blake の新譜も安心できる暗さだったのにradiohead の前では霞んじゃってて、ひと段落してから浸ることにするつもり。
【追記】あ、私はリアルタイムリスナーじゃなくてB面の方が好きなリスナーだから、メランコリック路線がダメなのかな。
トムの離婚にナイジェルのお父様が亡くなられているからこそ、希望の方向に向いているんだろうなぁ。
南池袋 RACINESランチ と街並 [家庭内外行事]
さすがパン屋さん、サラダより先にパンと徳島人参スープが出てきました!パンははちみつとバターたっぷりでふわふわをちぎります。香りもフワ?? 酸味の強いパンはレバーペースト付き。 無農薬野菜のサラダは身体に染み渡るよう。大葉と玉ねぎ入りのクリーミーなドレッシングが病みつきに。友人達が帰りに買い求めてたくらい。牛ステーキも久々です。またまたパンが…ざるで出てきました。食べきれなかったら、持ち帰りオッケー!ココア成分たっぷりムースに贅沢ベリージャムのコントラストが嬉しい??
久々コースで贅沢したのでアップしちゃいます。
南池袋はピカピカビルの横に、もじゃもじゃビル♡もじゃもじゃが隣のビルに映っていてまたステキ。私の今後の『見所』になりました。
一等地の平屋もステキ!
【若冲展と恐竜博2016 上野】 [art]
ツボのひとつは枯れた蓮葉。アブラナの花の一生の章で〔花は枯れてから実をつける〕と反復していたところなので枯れた部分も隠さず美として、仏と同列に置くところにズシ〜ン。
それから《その時代のかっこいい》に流されないから続けられている、とはMUSEマシューのお気に入りの言葉だけど、若冲の普遍を求めて偏執的に進む姿勢もすごい。その姿勢の神々しさがモリモリと絵から漏れ出してきていました。
ツボを押さえられての鑑賞、一ヶ月限定公開で超混みでも行って正解でした。
そしてそのまま恐竜博。貴重な資料や発見がここにも溢れています。恐竜が当初から羽毛で覆われていた可能性を示す化石やら、水中に進出していた!?共鳴器官を使って鳴いていた!?二足歩行でも草食もいた!?すごいすごいの大連発。
化石の荒々しさが若冲の鶏や鳳凰とシンクロして、しばらく頭の中が生命の息吹で吹き荒れてしまってよくわからない状態になりましたが。。。
面白かったですよー!
どかーん
どかーん
まだまだありますけれどもこのへんで。
熊本の地と地震列島日本 [自然]
・昨夜は『ブラタモリ』#35 水の国熊本を鑑賞。熊本は水を含んだ何層もの火砕流層で出来てるから水に恵まれているらしい。川にある鼻ぐり井手とやらも、川に灰が溜まらないように工夫したものなんだとか。水利を知らない役人がこんなすごい鼻ぐり井手をボコボコ壊しちゃってるらしいのが皮肉。
↓ネタバレ感謝
http://s.ameblo.jp/aauasks/entry-12140775426.html
・《真田丸》の時代は地形と地盤を制したものが勝利する時代。熊本を整備した加藤清正のその眼の高さに唸るばかり!ドラマでは自由奔放だけど。
ブラタモリ#34『熊本城』は“やりすぎ城”も観ておこう!石垣も脆い熔結凝灰岩の地盤に耐えられる積み方らしい。
↓ここ写真も素晴らしい!
http://castle.link-hp.net/15.html
・中学理科で【自然の恵みと災害】を学ぶのは中3ラスト。教科書改訂するならここを丁寧に学ばせるところにしましょ!と主張してみます。恵みを恵みにできる生活スタイルも望まれるのかな。
・地球科学者に言わせると日本は【長尺の根】がベース。『火山の日本を生きのびる知恵』 鎌田浩毅さんのお話では「一瞬ね、一瞬しのげば後は100年、1000年恵みを享受できるわけですね。つまりこれを地球科学では【短い災害と長い恵み】っていってるんだけど。」
被害被害だけでなく、こういう深く練られた視点も見直していきたいところです。
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-10-07
・『日本に迫る脅威地震列島』4/3NHKスペシャル
要約:「巨大地震によって変形したマントルがスライムみたいに元に戻ろうとしている」から?と新たな仮説を立てないとわからない現象が起こってるらしい。例えば、三陸では意外な隆起で港が海面より高くなっちゃっている。
マントルの粘弾性によって大地が今までとは違う歪み方をしているんだとか。
それから、中国地方の地震深度含めたマップをGPSで三次元的にみると…認識されていた断層とはまた別の地下で、『面』で地震が発生している。ここから「プレートや岩盤が裂けている」と考えられるらしい。そして、その考えに基づくと、あらゆる場所がバキバキに裂けているらしい。また、南海トラフを始め一定周期毎に満期になると思われていた巨大地震が、日向灘地震の誘発によって群発していく可能性も。うーむ。
http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20160403
ネタバレブログ感謝↓
http://s.ameblo.jp/skyblue-junior/entry-12146748935.html
私たちの足元には何があるんだろう。
もう一度考えてみようと思った。
誰かに灰から土に変えてもらったのにコンクリートで埋め込んで生きている私たち。
地下奥深くにはエネルギーが溜まっている。
上田城の石垣、草津、鬼押出、角間 [家庭内外行事]
『真田丸』で沸き立つ上田の地で観光のつもりがあれれ?石垣の緑色凝灰岩(グリーンタフ)の色合いをみたら興味が石に…。ちなみに上杉側、南側の尼が淵の石垣は凝灰岩と流紋岩。土壌は柔らかく掘りやすい泥流層なんだとか。
実家にも山から拾ったという水晶やら変成岩、黒曜石はじめ流紋岩がゴーロゴロ。しかも父は解説しながら、やおら「観察するなら濡らさないと」とタワシで天龍村で拾ったという赤石をゴシゴシ。く、詳しい…。
黒曜石(流紋岩)、水晶、片麻岩。
おおじい様が向山から担ぎ降ろしてきたという変成岩には僅かですが水晶が。
きれいだわ。
伯父様が小諸で拾ったという大きな溶岩も無造作に…
畑の石垣にも真っ白な石英が配されていたり庭石は花崗岩。
ほんと火山国なのね。
向かいの水車小屋の近くで砂岩や礫岩チャートも拾いました。
翌日は草津温泉。湯畑は温泉藻のコゴメで緑色。硫黄の臭いに慣れたところで、さいの河原の鬼の世界へ。足湯で殺菌。
折角ここまで来たからには鬼押出しも!いちめん溶岩で別世界。なだらかな浅間山がこんなゴツゴツした溶岩を噴き出したんですね。何もかも焼き尽くす厳しい自然の過酷さに圧倒されながら、ちょっとだけサンプルを頂きました。
地元では物語上で真田幸村と佐助の謁見の舞台となった《角間渓谷》へ。
一歩踏み入れると、角間山が噴火した時の安山岩がおおきな岩状になっていて、これまた日常とは別世界。妹のガイドのもと幽玄な鬼の世界の三段ぶみを味わいました。 有難う♡
あぁ、iPhoneの写真では伝わらない。一眼レフで撮ったものは別の機会で。
ちょっと降ると真田の里を一望できる真田本城跡。真田丸のロケ地にもなりました。
山が幾重にも望めます。
お土産は…重くてずっしり。
石なので.......( ´∀` )
追記!
実家の幸シリーズもお土産♡
お赤飯、野沢菜の煮付け、杏ジャム全て母の手作り
父からは菜花、蕗のとう(冬菜は食べ尽くしました)
妹からは蕎麦羊羹、お焼き、大福
朝から蟹に10品目入りのお味噌汁その他全部がおごっそうでした♡
【N響創立90周年記念音楽祭】 [music]
その他フィガロの結婚にワルキューレに運命にパイプオルガンの威風堂々に…クラシックの有名どころに初音ミク(笑) 黒柳徹子さんらのゲストトークも華々しくて、もう盛りだくさんのお祭りでした。楽しかったー!再会も嬉しく、お誘い大感謝!ありがとうー。
初音ミクを聴いていたらファナの前座、ASA CHANG&巡礼の『告白』(押見修造がモチーフ)を思い出してしまい…そっちもまだ引き摺り気味。
気持ちに厚みができたおかげで、重荷だった解剖…(と言っても肉の延長なんですけど)命の課題にも向き合えた気がします。
Juana morina live @晴れ豆〜代官山】 [music]
3/21 アルゼンチン音響派。新しい課題続きでともすれば雑音だらけになる頭の中だけど、彼女はあっという間に音楽の世界に連れていってくれる魔法をもっているみたい♬ 畳のスタンディング会場、二列目かぶりつき。彼女の表情やペダル使いまで、じっくり観させてもらいました。
音の魅力は、短いフレーズをペダルで録音して次々と重ねてループしていくから、あれよあれよという間に音が多層的な厚みをもって身体に回り込んでくる感じ。加えて高音を自在に操る力強いボーカルとへんてこりんなメロディ。存分に浸らせてもらいました!生ドラムの力強さや3人の連携も見ものなのよね。コケティッシュな書初にほのぼのしたり、ツーショット付きのサイン会にニタニタ。新曲二曲も美メロで馴染めて新譜への期待アップ。やっぱり音楽はいいですぅ♬
それからファナの前座、ASA CHANG&巡礼の『告白』(押見修造がモチーフ)がこれまたザ・アンダーグラウンド。たどたどと拙い声をブツブツと千切っては繰り返すことで痛々しい心の内側を表現しているものだから、涙が出そうに。求心力のある楽曲でした!音楽も知らないジャンルがいっぱいだ。
【SMAPと小林幸子と共同体】と【真田丸】 [雑感]
一連の騒動を共同体と市場のせめぎ合いとして展開。吉本のように末端の芸能人を支える事務所体制をはじめとした【共同体】社会は独立を許さない。責める誰をも縛り付け、助け合い、せめぎ合いは緩い。SMAPの解散に反対したのは共同体に属する人々で、ネットでは共同体に属さない人々なので独立を擁護したのだという。
西欧は【契約→市場】社会。過酷な競争に勝ち抜いた成功者だけが食べていけてセレブになれる、という構造を持つ。
善悪ではなくてシステムの一長一短。
意見や倫理はどのシステムに属するかで決まるのね。
弱いものを定常的に守るのはどちらか?
【共同体】システム。法ではなく情が守る。
そして、より良いものを作り出す共同体は?それはもちろん【市場】システム。
弱者は権利契約で法として保護される。
(自己解釈: 人間として与えられた能力を高めることをミッションとしたキリスト教がベースのシステムだからより良いものを産み出すシステムになるのは当然。それを望む意思が人間を創り上げたのだから、それを果たすのは当然という理由による。ただ、表裏一体の欲がそれを阻むという宗教での制止が、一定の社会や市場では働かなくなって優位主義の曲解を生んだり無軌道に新自由主義を生み出しているのが現実なんだろう。
・場にいる者を平等に守りあげる為に、序列を必要とし排除を産む共同体システム
・能力を高める為に、契約権利を死守し格差を産む市場システム
まさにユング心理学における、
・包み生かし、包み殺す母性性と
・高めて生かし、斬り刻む父性性
の創る二律背反的な社会の特徴が絵に描いたように創り上げられている。)
そして、松井さんによる小林幸子の紅白出場のとらえが秀逸!
一旦【共同体】から外され干されたのだが、そこに属さないネット社会が、小林幸子をラスボスとして持ち上げていき、紅白という【共同体】の場に押し上げたのだという。おぉ、面白い。
なるほど。こういった構造の流動は見逃しちゃダメですね。 松井彰彦氏に感謝!
そして、【真田丸】では、生きていく為には主人を変えてなんぼ!の戦国時代が如実に描かれ、今の【共同体】システムは日本の伝統などではないことをはっきりと示す。戦国時代末から徐々に、一旦外されたらどこでも採用がなくなるシステムが作られたとNHK歴史ヒストリエ。そして【共同体】システムは江戸で完成され、弱者全体を守り、生かさず殺さず、序列を必要とし被差別部落を産んだ。
丸山議員のオバマ大統領=奴隷発言から見られるように、キリスト教的な、所属に関わらず人間の権利を守るという契約システムに属する弁護士であっても、日本の平等をベースとした共同体システムが必要とする“序列”の呪縛から逃れられておらず、欧米が身分差別があるからこそ築いてきた“公共”を履き違えてしまっている、今の日本の社会構造のベースが見てとれる。
そのズレを指摘できるだけの視点を私たちは持てている。日本の社会構造の変遷が何を産み出すのか。これからも注意深く見ていきたい。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ2D5S68J2DUPQJ00C.html