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2019年 佳い年になりますよう [雑感]

[晴れ]あけましておめでとうございます


人は四季が循環するからこそ安心をもって『散りゆく儚さ』を虚しさではなく美しさととらえるのでしょう。

人の心に染み付いたこの感情は新年に対しても同等で。

新年を待ちうけることは未知への不安としてではなく、循環をもたらす母からの恵みを待つ子供のように新年を受け取るのでしょう。借りた時間を抱いて踏み出す。

無いものばかりを数える性分で、母からの抱かれ方を忘れて生きてしまいがちだけど、与えられた猶予を愛おしんで得られたものを育ててみよう。

循環のいとなみをむやみに断ち切るものへの視線を忘れず。


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#ポストカード #新春 #循環 #自然


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【SMAPと小林幸子と共同体】と【真田丸】 [雑感]

ゲーム理論の経済学者・松井彰彦さんの【SMAPと小林幸子と共同体】なるエントリーは面白い!

一連の騒動を共同体と市場のせめぎ合いとして展開。吉本のように末端の芸能人を支える事務所体制をはじめとした【共同体】社会は独立を許さない。責める誰をも縛り付け、助け合い、せめぎ合いは緩い。SMAPの解散に反対したのは共同体に属する人々で、ネットでは共同体に属さない人々なので独立を擁護したのだという。

西欧は【契約→市場】社会。過酷な競争に勝ち抜いた成功者だけが食べていけてセレブになれる、という構造を持つ。

善悪ではなくてシステムの一長一短。
意見や倫理はどのシステムに属するかで決まるのね。

弱いものを定常的に守るのはどちらか?
【共同体】システム。法ではなく情が守る。

そして、より良いものを作り出す共同体は?それはもちろん【市場】システム。
弱者は権利契約で法として保護される。

(自己解釈: 人間として与えられた能力を高めることをミッションとしたキリスト教がベースのシステムだからより良いものを産み出すシステムになるのは当然。それを望む意思が人間を創り上げたのだから、それを果たすのは当然という理由による。ただ、表裏一体の欲がそれを阻むという宗教での制止が、一定の社会や市場では働かなくなって優位主義の曲解を生んだり無軌道に新自由主義を生み出しているのが現実なんだろう。

・場にいる者を平等に守りあげる為に、序列を必要とし排除を産む共同体システム
・能力を高める為に、契約権利を死守し格差を産む市場システム

まさにユング心理学における、
・包み生かし、包み殺す母性性と
・高めて生かし、斬り刻む父性性
の創る二律背反的な社会の特徴が絵に描いたように創り上げられている。)

そして、松井さんによる小林幸子の紅白出場のとらえが秀逸!
一旦【共同体】から外され干されたのだが、そこに属さないネット社会が、小林幸子をラスボスとして持ち上げていき、紅白という【共同体】の場に押し上げたのだという。おぉ、面白い。

なるほど。こういった構造の流動は見逃しちゃダメですね。 松井彰彦氏に感謝!


そして、【真田丸】では、生きていく為には主人を変えてなんぼ!の戦国時代が如実に描かれ、今の【共同体】システムは日本の伝統などではないことをはっきりと示す。戦国時代末から徐々に、一旦外されたらどこでも採用がなくなるシステムが作られたとNHK歴史ヒストリエ。そして【共同体】システムは江戸で完成され、弱者全体を守り、生かさず殺さず、序列を必要とし被差別部落を産んだ。

丸山議員のオバマ大統領=奴隷発言から見られるように、キリスト教的な、所属に関わらず人間の権利を守るという契約システムに属する弁護士であっても、日本の平等をベースとした共同体システムが必要とする“序列”の呪縛から逃れられておらず、欧米が身分差別があるからこそ築いてきた“公共”を履き違えてしまっている、今の日本の社会構造のベースが見てとれる。

そのズレを指摘できるだけの視点を私たちは持てている。日本の社会構造の変遷が何を産み出すのか。これからも注意深く見ていきたい。


http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ2D5S68J2DUPQJ00C.html
※空気読めよ〜日本人の宗教観とは


司馬遼太郎の遺言 [雑感]

誇るべき武士の精神は明治を形作ったが、翻って昭和では、個々に宿る公に投じる精神が「反論すると面倒、公の利に外れそうだ」と判断するや黙りこむことにつながって、軍部に権利を与え、日本を焼け野原にした。

熱狂することは、恐ろしいことだと思う。

司馬遼太郎にそう言わしめたあの時代を、再現するのは人々の記憶のチカラと考えるチカラが無くなった時なのだろう。

ヒトラーは「真の標的を逸らし、敵を作り反復すれば人々は容易に熱狂し戦争は作れる、私を何故止めなかったのだ?」という旨を話したという。反知性に流れこんで、前時代に戻ろうとすることを望むのは、それぞれの民族にとってどういうチカラなのか。それを押し留めるものはどういったチカラなのか。

ルーツを知るのは本能。日本人論をひとつのライフワークとおいて、もう一度読み解いてみても良いと思った。


そして、そう思わせてくれたNHKに対して感謝したい。

気のせいなのかもだけど…1月に口座振替の手続きをしたのに受信料の請求が来たので「トップが活躍する映像が反復されるのは不快なのでなんとかしてください。」とメッセージを入れ込んだ。その時から流れが変わった気がしている。アクションしても無駄ではない実感がなんとなく得られた。微々たることなんだろうが、こういうひとつひとつが流れを変えることは間違いないんだろう。

没後20年。一瞬でも、司馬遼太郎の遺言に応えられていた気がする。



【NHKのHPより】

作家・司馬遼太郎の作品『この国のかたち』を読み解きながら、“日本人とは何か”に迫るシリーズ。第2集のテーマは、“武士”。司馬が注目した鎌倉時代の武士。

私欲を恥とし、 他者に尽くす“名こそ惜しけれ”

の精神は、武家政権の拡大とともに全国に浸透、明治国家という奇跡を生み出す原動力になった。それは昭和の世に何をもたらしたのか?俳優の香川照之さんがナビゲーターとなり、武士が生んだ日本人の「かたち」をたどる。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586728/index.html
2/18深夜午前1時再放送
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神話を後押しする現実主義 [雑感]

自然災害に溢れる日本。自衛隊を海外に派遣して大丈夫なのだろうか?
絶対数を増やせばよいのか?

復興とオリンピックじゃないけど。名誉がなく利益がないことはやらない、という方向だということがわかりやすい。戦時中、焼夷弾やらガソリンが落とされても自分達で消せなどという[防空法]と称した命令があったけど、今後自然災害もその道筋にしかねないと、政府動向をみて思う。

米国にとって日本の憲法を軍事で書き換えて民主主義に持ち込んだことは唯一の成功体験。その正義の成功体験を繰り返したいが為に、唯一の成功例の国を軍事国の道筋に持ち込んで行く矛盾。民主主義の名を借りて帝国主義に推し進むことが自国で実証されるのに、まだその正義に乗ろうという帝国主義的思考がバカバカしい。

鎌仲ひとみ監督
「原爆投下は正当だった、おかげで最小限の犠牲で済んだ、との見方がアメリカ国内では根強い。原爆を正当化する心理と、戦死した日本兵を英霊と呼ぶ心理はどこか通じたものがあるように思われる。」
日本官僚「共和党政権だったら靖国に参拝しても干渉しないのに。」二つのアメリカのうち、ジャパンハンドラーである共和党の側、今は神話の側に霞ヶ関はあるようだ。
米国のいいなりで敗戦国だということを如実に突きつけられているのに、それによって日本政府内部では終戦で留まり、旧日本軍の正当性が保たれ、神話に埋没できる構造は実に巧妙。暴力をまとう神話の魔法はすごい。 ただ一つはっきりしていることは、どの国も誰かが利益追求をしていく以上、誰かが負荷を負わねばならず、その負荷から目をそらさせ、国家の名目の保つ為には軍事が必要だということ。正義という名目は後からついてくる。 長いものに巻かれることを大人とみなす国民性。それを現実主義とみて、思考停止するか、考え抜くか。
戦後、考えないことをテキストとして推奨、誘導されたからと従わなくていいと思う。 日本軍は、エネルギー補給をする後方支援船を叩かれたのが致命傷になった。敵国の後方支援軍を叩かなかったのは、そんなことをしても昇進せずに恩給が出なかったから。恩給という誘導で結果的に墓穴を掘っていきやしないか。 プラトンではないが、洞窟の中の名誉や賞賛を現実のアイデンティティーや食いぶちとして、現実主義に走ることは、またもや敗戦へのリフレインにしか思えない。 帝国主義は分割して統治するので極論を配して分裂を促し、生活保守をけなしながら、正義という名目はのこのことついてくる。 愚かなものは帝国主義的な分割手法にしかけられた極論に真っ先にのるものだ。右に傾いたら左にふれるバランスと分割は同じだとは思えない。意見の対立を悪いものととらえる国民性。分割に持ち込まない知恵も試される。 もう一度、考える。現実やら、長いものに巻かれることを大人とみなす国民性。弱者を見殺しにしているから共同体の目的をないがしろにして現実主義になる。食いぶちと組織の存続を目的化し、現実主義を言い訳にした思考停止は、弱者を見殺しにする神話を後押しする。その現実主義をどう考えるのかは、ひとりひとり次第なんだろう。

成熟した社会の行き先を描くのは [雑感]

安保と国立競技場を考えてリフレイン。

『原発という国策はじめ、公共事業と徴兵もどきで解消する問題は、ともすると【国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。】それらは低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。』


文科省には【公共事業】国立競技場の為に支出できる財政的余裕はある様子なのに財政難を理由に奨学金制度が進んでないのはどういうことー。

貧しい奨学金制度は米国も同じらしく救済として軍への入隊の道があることで人材を確保しているわけだから、格差拡大のシステムをわざわざ移管している日本も貧困層を残して軍隊へ誘う可能性も高いと考えておかしくないのよねー。

そもそも国家は暴力がないと成り立たないもので、それは拭えないのはわかる。
それに関する命題は『永遠の0』を観たりして多くの人が徴兵の諦観を経験したと思うけれども、好き嫌いとは別のところにあるのよね。この命題。そして戦争の名残は続いていて、米国の暴力と共生することで国家を成り立たせてきているのもわかる。

【公共事業】も同様で、公共の利益のものに自然破壊と生活の破壊と利益の拡充と雇用という救済とを併せ持つ。嫌がる仕事への従事、破壊や分断を作るという意味では暴力と置いてもいいのかな。大昔に決めたもので現状に合わなくても『決まったこと』が最大の理由で理解しろと強要する事例が多くて、ローラーで否応なしにならされてる印象が強いもの。


【国家は暴力と共生することで成り立つ】これは大前提ということは抑えるべきなんだろな。この大前提を踏まえた上での監視が必要ってことなんだろうと漠然と。そして、米国は警察という暴力の暴走を経験してるわけだし、ベトナム戦争などの暴走に巻き込まれた経験から監視するスキルをもったわけだけど、日本は?
WGPも有って『戦争はしない』で固まっちゃって本当の監視スキルが上手く機能しなかったのかもとなんとなく。

安保闘争のおかげで現首相の祖父を下ろしたことで軍事から経済にシフト転換できた功績と九条による暴走の歯止めを踏まえつつ。

日本のスキルは…これからなんだろうな。

【公共】のものとして出すお金は自分のお金じゃないし、お膳立てされたものを会議で発表する文化の根強い日本では、一度決めたら止まらない。大昔に決めたもので現状に合わなくても理解しろと強要するし、日本は破綻に向かおうが止まんない。そんな国(笑)。国立競技場のくだりに加えて、戦争を終わらせる為のお疲れ物語も観てきたから。つくづく思うわ。
映画『日本のいちばん長い日』阿南氏が額縁に掲げた言葉が象徴的。。。

(国立競技場については、これでやっと責任をなすりつけ合う姿をみなくて済むようになりました。騒いでくれたセンス。ナイスプレーに感謝!国民の無力感も拭われた。そして白紙化は皮肉にも安保のおかげ?成功劇場を流す放送もみれました。)

ほんと、たまたま知れたから良かったけれども、そーんな魍魎の巣食う国策に巻き込まれたくなかったら、監視スキルを磨かないと子どもに申し訳ないなーと思う。

格差を産むことで人が嫌がることをやらせて救ったり、神話で正当性を強調して嫌なことをやらせて救ったり、ナショナリズムで煽ったり、ヒーローを作ってあの手この手で、暴力と共生することを調教していくんだろな。暴力さえあれば、ツケを後回しにしてもごまかせる。そして【公共】の役割を幻想の家族に移管して強要したりもする。
こういう暴力的な要素を【公共】って言葉は含むのよね。

【公共】の良い要素、オリンピックの遺産理念みたいに、雇用の拡充やら、暴力よりも循環にシフトして欲しいもの。

『日本は循環の文化』という原点に戻って考えてもいいのかもなー。



もう一度…
国家に年齢かあるのなら、身体は老朽化しているのに精神はまだ『坂の上の雲』を追いかける少年とは言えないだろうか。それでも生きていけるのはツケを後回しに加速させるマジックが暴力の中に含まれているから。


国立競技場に米国は関係ない。
安保は中国に手の回らない米国と属国日本との約束。成長は米国からの命令。国家は暴力と共生していくもの。その暴力の質を見極め、向き合い方を課題としよう。

芥川賞も話題になっているし、芥川龍之介の『ももたろう』もよさそうなテキストかな。




☆☆☆ http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-12-06

『成熟した社会の行き先は?』

[新月]自民、過半数超す勢い…衆院選情勢10万人調査 (読売新聞 - 2012年12月05日 )だとか。

右傾化?ダンス規制やら風営法の取締も加速するかも?
鬱憤がたまると右傾化しがちなんだとか?うむむ


原発という国策はじめ公共事業と徴兵もどきで解消する問題は、ともすると【国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。】それらは低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。
いじめと救いがない交ぜの教室に似た平衡。大多数はそこそこ気分のよいものを充てがわられればよい。

暴力を監視するのが国民の役割と、社会学者、野村一夫氏は説く。http://www.socius.jp/lec/21.html
が、公の調和の為なら見て見ぬ振りが大人の振る舞いだと刷り込まれた日本人に可能だろうか。


☆天野祐吉さんのコラム抜粋
「経済成長の達成を公約に掲げているのには驚いた。20世紀の成長市場主義の弊害が世界のあちこちに現れ、時代テーマは「脱成長社会」。今の成長は人間の為の成長ではなく、成長の為の成長に成り果てている。そんなまやかしの目標より、政治家に聞きたいのは、明日の日本像だ。あすのぼくらが住む国の「物語」である。成熟した社会であることを受け入れた「老楽国家」の提案も物語の一つだろう。成長にこだわるから大量生産、大量消費の歯車を回す必要が出てくる。本当に欲しいのは甘い言葉?」


国家に年齢かあるのなら、身体は老朽化しているのに精神はまだ『坂の上の雲』を追いかける少年とは言えないだろうか。それでも生きていけるのはツケを後回しに加速させるマジックが暴力の中に含まれているから。見て見ぬ振りは日本では大人の証。そして、たまに老いた姿に向き合えない幼稚な心に自分で驚くという次第わかしら。
こんな物語はいやだなぁ。

あ、ちょっと待って、老体の物語は日本は得意ではなかったのかしら?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが…」

誠実な物語が欲しい。

【追記】リフレイン
***空気読めよ〜。日本人の宗教観とは  http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03
***宗教国家日本   http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2013-12-30
精神的にリーダーをおかない中空構造を持つ日本。そこに、自覚なく絶対的な仮初めの父性が自立を掲げて来た時は注意しなければと臨床心理の権威、河合隼雄氏が警告していた。理由はよくわからなかったけど秘密法案を通してわかって来た気がする。

     絶対的なものを、あいまいな中空でくるむのが美点だったのに、仮初めの絶対を、根拠のないあいまいさを持って空気が絶対的たらしめてしまう。

そういうことかぁ。
例え国家と暴力との共生を認めようと理屈で考えようとしても、侵略はなかっただのと暴力の暴走を認めず、神話の中に没入していく思考との齟齬は大きい。
***
中空に狂気という絶対が入りこむことの危険性を忘れていいの?日本文化への愚弄な思える。安保もだ。


矛盾があっても成り立つ今の政権の空洞と日本人の中空構造の融和 [雑感]

空気で物事が決まり、誰も責任をとらず、二大政党が成長せずに、和洋折衷のように対立しがちなものを取り入れて融合させてしまう国、日本。

この状態をユング心理学者であり、臨床心理学の権威、故河合隼雄氏は神話から読み解き『中空構造』という視点で説明しているんですね。100分de名著『日本人論』で更に整理できて嬉しい限り!後半に文字起こしされている方の秀逸なブログ内容を貼らせて頂きます。

ユング心理学は神話や童話などの物語から、民族の普遍的な精神構造を読み解いてきた学問。一人一人の物語→←現実との関係性から人間を見つめ、臨床心理の現場の理論として発展して行きます。

で、私たちに受け継がれてきた精神構造はというと、
日本の神話『古事記』には三神が登場するのですが、一番重要な真ん中に位置する神が、なんと何もしない(笑)

その意味は?空であることで対立しがちな二項をうまーく調和させるんだそうです。

西洋的な弁証法だと正・反・合という止揚の過程になるのだけど(童話の結婚での終焉もそうね。)、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがなくてぐるぐるまわるんだとか。

世界的にも特異な神話らしく面白い。

斎藤環:そこに重きを置くことになっているんですね。リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、リーダーが強烈じゃない方が上手くいったりする。

うんうん。

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伊集院:その空は白黒でいうと灰色?
中沢新一:いや、全ての色になる。

空なんだけど何にでもなるエネルギーを持っている、な〜んてまるで、宇宙のダークエネルギーみたいな位置づけじゃないですかー!!!予言?つながっているかもー?
なんてこじつけて喜んでみました(笑)


相手を受け入れて悪く言うことを避ける私たち。その通りだなぁーと自分たちの良いところを番組で確認したわけですが、

著作では中空構造を自覚しないままでいるとおかしなことになっていくよ、と河合隼雄さんは続けます。

困ったことがあった時、その中空に性急によくわからない父性が入り込んだら、めちゃくちゃになるという警鐘です。

そこで 見渡すと、もうネット世論が先駆けになってその予兆があるみたい。
原発事故は原因を作った側ではなく大きく騒いだ方が叩かれる。
ベビーカーが叩かれる。
セクハラされた方が叩かれる。
社会を壊す暴力を自由と称して振りかざし共同体の社会としての価値をわざわざ下げる
ここのところの、あえて分断を作る父性の正体はなんだろうと考えたら…。

人質を自己責任論で片付けるネット世論。一見強い父性に見える自己責任論は何も施せない言い訳だったりしますが…そうとはしない動き。相反するような政府会見。一生懸命なのに周りが騒いで不謹慎だという感情に頼る正論。自粛令。
そして屈することなく救うべきという感情。民意。
こういった相反し矛盾して分断させているものを全て自らの要素としているのが、今の政府。
ある意味すごい!

これも全て空洞だからと考えると納得がいく。自然発生的なのかしら。

前も空洞だったけれども、今はもっと空洞…とは誰の言葉だったかしら。なんか言わされているようにしか見えないからなんでしょうけど。

○○ちゃんだから仕方ないで物事が進むのが「○○ちゃん問題」と指摘されているけれど、上滑りな台本を立派に読むだけの軽ーい神輿が、ものすごーく日本の精神構造にマッチしているからこそ、中心として入りこんでいる気がしてきました。フランスの極右政党が羨ましがるわけでしょう。経済だけでなんとかそこにいるだけじゃなさそうです。

すごいなぁ。

タレントで、あ、これ言わされている、叩かれてへんな空洞になりつつあるんだなぁ…なんて方がいてつまらない。タレントがつまらなくなるのは本当に迷惑なんだけどこちらは超越している。

外交はほぼ『反応』で行われていて母性原理がベースなのは元々らしいですが。その理のない、がらんどうに対しての無自覚さが怖い。理のないところで虚勢をはりながらの暴力がベースになっていることがもう母性原理で動いている父性であることを証明するのだが。立憲主義をはじめとした理という父性原理と対峙することが、中空構造への自覚の手段か。

経済政策と言ってもいいなりで奴隷真っしぐらじゃなくちゃいいなぁ。
『テロより社会に殺されかねない』のは今もかもだけど、社会の劣化に加えて古き良き日本の中空構造が取り戻せなくなったら?  どうなる?
真面目に困るなぁ。

誠実な現代の神話が欲しい。
そして私たちの中空にあるものを信じたい。



***転載
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/cd08a8a7a781e02c763171f635132499
 私がそう思うだけの話ですが、ある意味第四章の「日本の根源にあるもの」人類学者 中沢新一さんが選んだ名著鈴木大拙著『日本的霊性』から見えてくる「日本人論=無分別の活用」にも複雑に絡んでくる話しです。

 日本神話から日本人の精神と社会の特徴を読み解いていく、そこに河合先生は中空構造を見出してゆくのですが、「心と神話には関係があるのか」という竹内陶子アナの問がありましたが、実にいい疑問です。

 「想像力に形を与える」それが神話・物語の役割

 「そこにはフィクションかも知れないが普遍的な構造を持っていて現代の我々にも連綿として受け継がれているもの。」

 「神話の構造を分析すると現代日本の国民のあり方にもかなり大きなヒントがあるかもしれない」

と斎藤さんは語り、古事記の神の話に入ります。

 『古事記』という書物は本居宣長が『古事記伝』という形にするまでは、注目された神話ではありませんが個人的に、郷土史研究や古神道、民間信仰、また各地に残された神社の祭神研究をする中で大いに日本人の精神の形成、思想の形成に係わる書物だと思います。

 河合先生のこの『中空構造日本の深層』も当初から読ませていただき私自身の思想形成にも大きな影響を与えていると思っています。今回この番組をきっかけに『中空構造日本の深層』を再読してますとさらなる学びがありました。1月早々にとてもいい番組に出会ったものです。

<『古事記』神話における中空構造>

上記のパネルで語られる三神構造、松岡正剛さんの話しの後に中沢さんが、

【中沢新一】二元論だけでは世界はできませんよ、その奥にあるものがあって、だから三項必要でなんで、宇宙を作るには・・・。リアルに出ているのは天地、海彦山彦なのだけれど本当の根元は、バーチャル、日本の神話思考は。

【伊集院光】それを白黒で言うと「灰色なのか?」、白黒で言うと「無、無色のことなのか?」・・・。

【中沢新一】あらゆる色を生みだすものですね。

【松岡正剛】西洋の神は「在る」神だけれど日本の神は「成る」神で真ん中の神は、無いわけでもない。

【斎藤環】 作家の中上健次が「うつほ」という概念にこだわって『宇津保物語』という日本最古の長編小説があるわけですが、樹の「空(うろ)」の話です。その中でことなどを奏でる話で、それに近い話かと思う。中上さんは「うつほ」とはいろいろなバイブレーションがこもる場所だと言っている。中空だが色々なものが生成されてくる場所なのです。そういった意味では全くの空っぽではない、というところが一つの特徴といえるかもしれません。

【ナレーション】日本神話の中心は空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。

短い4人の方々の対話の中に見えてくるのが正反合の弁証法の世界。

【斎藤環】 日本は三項がバラバラをとりながら均衡して進展してきている。

【伊集院光】二つだとどっちかがどっちかを亡ぼす形になるけれども、日本てぇ「まぁまぁまぁ」みたいな感じでずっと、こうなんとなく、白黒をあまりつけない行くという、神話のときから日本人の心の構造としてあるんだよと。この具体的なメリットとは何ですか、中空構造であるが故(ゆえ)の?

【斎藤環】ドンドン外来のものを取り込んでくるんですけれども、外来のものは外来のものだというレッテルを貼って共存していくのですごく柔軟なのだけれども一方で日本文化的なものも並行して温存されていく、けっこう器用なシステムになっていると思う。外来物(ぶつ)に圧倒されるのではなく、かといって排他的になるのでもない、何か調和しているといった感じですね。。

【赤坂真理】もしかして自然発生的にそっちの方を人間は取りやすいと思ったのですが、一神教は危機の時代に出てくる、ちょっと飛躍があるので、もしかして自然状態で・・・。

【中沢新一】自然状態だとこの思考方法が一番合理的にこの真ん中の中空といわれている部分があると、例えば対立したものがあると、その対立したものを中間領域に持ってきて、お互いの間でネゴシエーション(妥協を図る)ということが行なわれる。自分と違うものを排除するのではなく、相手の原理を内の中に入れてくることが可能になってくるのがこの真ん中の部分で、大きなことを言うと日本列島にはもともと縄文人がいたわけです。そこへ倭人というものが稲を持って入ってきてそれで今の日本人を作ってきた。争いの痕跡があまりないんです。それは縄文人が弥生式の技術を受け入れてるんですね。弥生といわれている倭人の連中も縄文の連中の神さまの考え方を受け入れているわけですね。ハイブリットを必ず形成していくというように日本人形成がもう3000年前からこれが行なわれている。
 ところがユダヤ教の場合は、モーセの、聖書を見ていると反対者を排除するどころか虐殺したりして、大変な苦難の歴史をたどっているから自分たちのユダヤ教という考え方と違う要素が入ってくることを許さなかった歴史がある。

【伊集院光】これがそもそも日本人論の主張として僕が興味深いところは、「平和ありき」の日本人であるという誇らしい部分が一つと逆に言うと戦いには弱そうだなぁ・・・。

【斎藤環】ただ敵のタイプによると思いますが、先のネゴシエーションして取り込んでしまって吸収消化してしまうということもひょっとして得意なのかも知れない・・・・。

【伊集院光】まぁまぁ上がってご飯でも食べてというようなぁ・・・。


<日本社会と中空構造>(日本の政治に見る中空構造)

【斎藤環】政治に絡めていうと二大政党制がなかなか成長しなかったとか、・・・そのようなことに関係してきますし、政治的なことを決定するときに、誰かが主体的に決めないでそこを空気に任せてしまう。御神輿も一人ぐらいぶら下がっていても分らないという感じで、話だけがドンドン荷台だけが進んでゆく、これも誰が運んでいるのか分からないが何となく事態が動いていくみたいな、これはまさに中空構造です。まさに中心がいないわけですから。特に戦後の政治状況にはよくあったなぁという感じがあります。

【伊集院光】悪い方でいうと何か事が起こって誰が責任を取るのだという(話になって)『俺言ってねぇよ。』というような・・・。

【斎藤環】リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、あんまりいろんな人が中心にくるということは少なくて、どちらかというと傍に・・・参謀が優秀で真ん中は空っぽで、参謀が動かしているモデルが日本型リーダーシップだと言われますよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が、第三章心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』の前半の話で、日本の神話における中空・均衡構造と西洋型の中心統合構造の対比から見えてくる日本人論です。

『中空構造日本の深層』のJIS+2D35「『古事記』神話における中空構造」の中で河合隼雄先生は次のように書いています。

<河合隼雄著『中空構造日本の深層』中公叢書から>

 日本の神話では、正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造になっている(同書p40)。

上記の対話の中にも出てきた正・反・合の話です。排中律を超える論理の段階が語られているように見えます。円環的な論理構造には円相の禅的世界があるようにも見えます。

 個人的には「<あいだ>を開くレンマ的論理」という山内得立先生の『随眼の哲学』を思い出します。

http://d.hatena.ne.jp/CultureNight/touch/20150103/1420267960


立憲主義って? [雑感]

立憲主義って、権力から民の自治と権利を憲法で守る考え方。

古い順に、①王の権力を縛る→②三権を分離して制御→③多数派意見を縛るもの、として強化され成熟してきたんだとか。


それを理解していない政権が、でこぼこで多様な意見を、もっともらし〜くローラーで潰しているようにみえる。


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制御するはずの宗教も報道も出版も、権力に取り込まれることに価値があるかのように振る舞い、権力を分離できず俗っぽい方向に行くことが日本の宗教性であることを端的に証明している。

少なくともニューヨーク・タイムズを読むような米国リベラル派やEUの知性派からは、未熟な共同体という烙印を押されていそうだ。

内田樹【アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう。】New York Times の社説の翻訳→http://t.co/7mowhZlzTP


【追記】
右向け右の風潮に危機感を覚えている。ヘイトスピーチ団体が思想警察をして騒ぎ→カルトの特性を持つがゆえに議論ではなく無闇な分裂を扇ぎ→承認が褒美となっていくこの流れは世界からどう映るのか?

TVでマイケル・サンデルの白熱教室 「日中韓の未来の話をしよう」を観た。http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard.html 日中韓の学生間で冷静な対話が織りなされていた。自国の誤りに向き合うことは愛国心に矛盾しないとサンデル氏。議論を諦めさせようという意図の分かり易い物語に逃げていることが元凶。日本人の苦手分野らしいが、まず議論する知恵を捨ててはいけないんだろう。

ETVの白熱教室アンコール「お金と感情と意思決定〜経営学」〜デューク大、ダン教授の講義〜も面白い。私たちは考えたくないからデフォルトに誘導されている。それなのに選んだ理由をもっともらしく述べてしまうのだとか。
(その状態を【ソーシャル・プルーフ(社会的証明)】というらしい。)
米国人は異なる意見を言うことを是としているがアジアでは…。

http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/behavior/140411.html
今のアジアは【議論することをデフォルトにする】努力が必要なんだろな、とふと思う。

日本人は理より情に流されがちだという特徴も知っておこう。ソーシャル・プルーフやら流される要因ばかりだ。作られたデフォルトは情と理を区分しないとね。行政のお膳立てを崇めていた日本文化(日本教)から離れる時期。思考や議論や表現をローラーでつぶし、道が平坦になったと喜ぶ権力の進む先を考えたい。


葛藤と俗化の間の物語『永遠のゼロ』と『ごちそうさん』とゴースト [雑感]

(1)『永遠のゼロ』のなにが問題なのかというと「戦争は批判するが、戦没者には畏敬を払うというジレンマに向き合わない、メロドラマに逃げている」という評論をみた。感情移入できる人物を見事に並べ、戦争の葛藤に気がつかせるのだが、最終的にその葛藤を情に流しているのだという。物語の偉大さを示すと同時に物語のいいところ悪いところの両方、両義性を表しているようだ。環境の横糸を利用しながら、情の縦糸を際立たせる構造。【情に埋没させることで葛藤から救済する物語】でもあるのだろう。興味深い。


(2)『ごちそうさん』は戦争に内在した葛藤を感情移入させながら淡々とエピソードで紡いでいる。例えば、主人公の夫は大阪の市役所の都市計画部門に勤めているのだが、戦中の防火訓練の際、ガソリンをかけ始め「こんなもんじゃない。ガソリンが降ってくるんだ。逃げて下さい。」と叫ぶ。事実、焼夷弾はガソリンをゼリー状で固めたものなのでその知識を持った彼は考え抜いた末にその行動に至ったわけなのだが、組織の一員として[逃げずに消火し街を守るべし]という誰のためかよくわからない【防空法】に反したとして罪に問われる。空襲は怖くないという噂に安心を求めていた主人公。涙して彼をバカなことをしたと責めながらも間違っていないと褒める主人公。そして罪に問われて彼は去り、残された主人公は彼の作った地下鉄によって焼夷弾から救われる。(地下鉄解放は職務違反なので語り継がれていないが心斎橋で救われた方の語りが残されているので事実のよう。)
彼は「人を守る街を作る」という自分に与えた天命を守り抜いた、という物語になっている。「彼の生い立ちも含めて今まではこの伏線?」と友達。そうかも!

日々の生活を育むことも見据えさせながら、『公共性を持った個人のミッション』を大切にする基督教的な要素が【目覚めを産む物語】。恋愛も幻想で終わらせないところも興味深い。情を含んだミッションの縦糸と生活と環境の横糸が鮮やかに配された和服のよう。情が葛藤を気がつかせる構造だ。


(3)『ゴーストライターと佐村河内守』原爆や難聴の悲劇という情を利用しての自己プロデュースへの没入が醜悪であることを教えてくれている。ゴーストが一般化されていて騙される方が悪いのだとしても。
[松本智津夫もそうですが本来の自分とはかけ離れた自分が主人公の物語のなかでは倫理や良心の境界を超えやすくそれになり切れることで、周囲の人間を巻き込む強い力を持つんだと…]とコメントをもらったのだけどその通りなんだろう。
本来の自分とのかけ離れることで、自分と向き合わなくて済む。自虐も含めて責めてくる何かから、守れば守るほどの【防衛の為の肥大化した物語】は強大な力を持って周囲の救済にも接続する。

それは前回の日記の「共棲的服従」に繋がってくるんだろう。
芸能絡みならお騒がせしましたで済むけれど、それが民族のプロパガンダにつながると最悪なので気をつけたい。「国家が国民の面倒をみませんよ」という時はナショナリズムがセットなので、それ絡みの神話にも注意だろう。さらに「相手を蔑むことで自分を輝かしくする物語」までプラスすると醜悪に醜悪を重ねるのだが…その点は大丈夫なんだろうか。蔑むほど格が下がるというものだろうが、物語の作る価値観がそれを自覚させないようにみえる。



物語のなかでも、ファンタジーとは『ゆきて帰りし物語』が定番であるように、物語世界に行くことで、創造性を持って現実を破壊して再構築することで精神性の回復をはかり、現実に向き合うチカラを得る、という働きを持つのだが。(3)のように葛藤から逃げて都合のいい物語(神話)のなかに生きようとするならば、現実とのずれが大きいほどに奇異なものになるようだ。…はたからみると。(はたから見ているうちはいい。)
ただ、ファンタジーは現実に絶望した時の休憩所なので完全に否定するものではないのだけれど。
いや、すでに共同体が狭い世界の狂った物語のなかにあるならば、奇異に映るものの方が現実を見据えているのかもしれない。

『ファンタジーは現実を知っているから作る世界で、子どもの為のものではない。』と上橋菜穂子さん。
閉塞感が産み出す逃げ場になってはいけないんですよね(*_*)



(1)感情移入で現実の葛藤を気づかせてまた情に流して救済する物語。
(2)感情移入で現実の葛藤を気づかせる物語。
(3)現実を覆い隠すために再構築された物語に入れ込む為の物語。

これら毒にも薬にもなる物語だが、次に日本の宗教観や文化との関連も考えてみようと思う。

ここで思い出されるのは
【一神教で絶対善を心にもつ諸国は原発や凶悪犯罪など荒ぶる神に向き合える。それに対して、日本ではそれら荒ぶる神をも俗化してしまう、これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。】
という【俗化するチカラ】の話だ。

絶対的なものに対して①祀る②俗化する(真似する)③対峙するという内在化と④在り方自体否定するという選択肢があるとすると、まず日本人は②を選択するようだ。

日本は〜極悪人にも理由がある…哀れだ、という物語が多い、[倫理より道徳]=理(事実)よりも皆の利益が優先、行政の宗教利用、権力が絶対だからこそ分散し縛るという立憲主義の発想が根付かない、3D貞子(笑)、海外ではあり得ない神のキャラ化『聖おにいさん』が例かな?

そして、「荒ぶる神」=現実にそびえる葛藤を絶対的なものとすると、それが大きいければ大きいほど先ず俗化を図ると言い換えられるだろう。

そういった傾向から考えると、⑴の『永遠のゼロ』といった「葛藤に向き合わず情に逃げるメロドラマ」は、「向き合うべき葛藤を俗化しての昇華」であって葛藤に向き合わない為のツールとしての物語。日本だけの大ヒットは当然なのかもしれない。

お、ここに「STAP細胞」騒動。
論文の公表に際しての騒ぎに対しても「海外の報道は開発への期待と倫理面の問題点を大きく取り上げているのに、割烹着のリケジョ報道が大きいのはおかしい」という指摘がなされていたことを思い出す。まさに象徴的な俗化ではないだろうか。

俗化の作る物語は楽しみを与えてくれるから悪いとは言えないし、絶対善があるからいいと言うものでもなく、絶対神を持つことの危険性、強いものの詭弁の気持ち悪さを備えるのは宗教紛争をみても明らかなのだけど。
このところは、『日本人の俗化する国民性、宗教性』にあまりに無自覚なのが問題なんじゃないだろうか。
さしあたっての問題では絶対的権力に伴う葛藤を、金銭による俗化で目がくらませている間に、物語のなかに入れ込もうと何かが手ぐすねを引いているようにみえるのは気のせいと言えるんだろうか?
豊かな俗化が単純なナチスや中国の平板な全体主義国家内でのつまらない文化に入り込むことに加担していないか?


大切なことをファンタジー『獣の奏者』(著:上橋菜穂子)から学んでみよう。

[新月]俗化と物語をひいて見るために共同体の境界に行くことを恐れないこと。

[新月]物語の役割を区分してみること。

[新月]物語による葛藤の俗化を疑問視すること。

[新月](2)のように『公共性を持った個人のミッション』を胸に葛藤に向き合うこと。

あとは何があるだろう。
教えて下さい。




西門悠太郎さん(東出昌大)が逮捕される!その背景に 「防空法」 が
http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/gochisosan.html

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。…俗化の背景
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

追記『一神教と国家』中田考・内田樹:著が面白そう!

『愛するということ』『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム [雑感]

大雪です。各地で事故、孤立、立ち往生…祈るしかありません。無理して雪道を移動しないで>_<…
いのちあってこそですからね!

さて、対処の仕方にあるべき共同体のカタチが見えてきそうなものですが、公共放送はオリンピック優先ですか?自衛権優先ですか?
『愛』を求めているだけで、与える『愛』を備えているのか、見続けましょう。

ということで『愛』を勉強してみました。


エーリッヒ・フロム『愛するということ』
100分de名著 
第一回「愛は技術である」

現代人は資本主義市場での“好都合な交換”に慣れているため、相手が条件にあうかどうかばかりを気にしている。そして“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。果たしてそれは正しいのだろうか?フロムは、相手が見つからないのは、その人に他人を愛する力が足りないからだと言う。第1回では、愛には技術が必要であることを学ぶ。(HPより)

恋愛には加えて出会いの場が必要かな。でもこれ、男女の恋愛だけの話じゃなさそう。

第二回「傷つくのがこわい」

ユダヤ人として2度の世界大戦を経験したフロムは、ファシズムの心理と恋愛には共通点があると考えた。他者と一体化したいという願望の対象は、個人間の関係にとどまらない。民族や宗教など様々だ。人間は自分を集団に融合させることで、孤独を忘れようとする習性があるのだ。第2回では、愛を通して人間の負の側面を見つめる。

自由の孤独に耐えられないから、絶対権力に服従しようとしてしまう私たち…。
孤独から抜け出す手段として①祝祭的興奮②集団への同調③創造的活動 が挙げられるのだけど、一時的なもの。
だから『共棲的服従』に突き進む場合も!
〜お互いが孤独を埋める為のSMの共依存関係に陥ることもあるんです。

そしてそれが社会にまで発展することもある。
大きな力に支配され不安を解消したいので民衆はマゾヒスト化し、他人を支配することが生き甲斐の権威主義的なサディストに夢中になる。

それがナチス。孤独から逃れたいという欲求は、国家や国際社会を破壊する大きな力になったんだそうです。

自由の究極が孤独で
それに耐えられないから
集団を求める。
全体主義に突き進む。

お互い寄りかかるから関係が成立してしまう。

●サディスト…自分を崇拝する他者を取り込み服従した人を自分の手足として使う。
●マゾヒスト…自分を指示し命令し保護してくれる人物の一部になりきることに快楽を感じる。

とまとめられ弱者強者、善悪ではなくてお互いが求めあっている。

(フロムは民衆が全体主義に突き進んだ理由を心理学的立場から分析したベストセラー『自由からの逃走』も書いています。)

お任せの方が楽。集団同調で不安を解消する愛国は世界で時々現れるものですが、まさに今、日本でも。

『愛国』国を愛することは大事だけれども、その名のもとに自分たちを判断が失われていないかどうか、はいつも考えていないといけないということ。
愛国に委ねる原因の一つとして孤独から脱出する為になっていないか、考えた方がいい。

そこから抜け出すために必要なのは?
『私たちには、もう1つの道が残されている。それは、他者(社会)の中にありながら、なおそこで愛情を感じつつ諸個人が十全に自らでありうる社会関係を見出すことである。』
人類全体への愛がないと生き延びていけないのだから。

以上

次回三回めは「生身の人間と付き合う」愛されることばかり求める現代人に人を愛する技術は身につくのか?
がテーマ。面白そうです。

◎意味はよく取れていないのですがオマケ
「愛とは、自我を相手のうちに解消するものでもなく、相手を所有してしまうことでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我の確保のうえに立って、個人を他者と結びつけるような愛である。愛のダイナミックな性質はまさにこの両極性のうちにある。すなわち愛は分離を克服しようとする要求から生まれ、合一を導きしかも個性は排除されないのである。」


【雑感】
「いいね」で『承認欲求』を満たしてどこか孤独感を晴らす自分を振り返ると、隷属者たちにとっても承認欲求を満たす手段が他にないと「共棲的服従」から抜け出せない恐れを感じます。

SNSの数の承認とニーズがより強い「集団回帰」を誘導しあっていて『所属欲求』を満たし、(いいね)やRTに隷属…。マズローの欲求段階の二段階を安易に満たすSNS。何処でもいいから承認してくれる場所へ連れ出して、孤独からの引き剥がして欲しいという欲求に隷属してしまう。孤独を晴らせる快楽の中毒性に乗って、強大な権威との一体化をより強く求めるようです。その欲求があるからこそヒトラーのような人が救済者として自然発生するのかもしれません。

マゾヒストですか…統治権力の根にある暴力性を掲げれば掲げるほど、ニーズがあるさまは、まさに隷属への快感をそそる結果になっているのかもしれないですね(・_・;

理を作り出すはずの個の分離が、孤独を作って、分離した個による自由が競争と格差を産んで、反動としての統合が無用な差別と極端な隷属を産んでいる。
分離と統合の負の要素をかき集めるのが、全体主義ということなんでしょう。

また、隷属の根拠を削がれると快楽が得られないので、教義を繰り返し、必死で異論を否定して回る姿は、異説を論じ合う学問のカタチを否定しているので厄介そうです。

そして、共同体も
「社会」から外れたところで経済や国家を回す為に必要な物語を「神話」とおくと、
『神話に権威を感じ没入する仕組み』が随所にあって抜け出せないようです。経済優先神話、安全神話…。

そこに共棲的服従はないかしら?神話が隷属させる為の物語になっていないかしら。
その神話を呑まずに考える。事実を恐れない。
「集団」が「社会」的であることを意識することが大事なんですね。
「社会」を意識することも、愛する技術なのかもしれません。

あと『集団の境界に行かないと見えてこない』
これもヒントかな。

共同体存続物語の矛盾は境界にいてこそ見えてくる。ちょっと外れてみて俯瞰して、同調に甘えず論じあってみて、ちょうどいいのかもしれないです。(上橋菜穂子さんの『獣の奏者』はそんな話でした。読み返す意味がありそうです。)

また、水曜日も雪なんですね…。雪害が拡がりませんように、切に祈ります。

【追記2/21】
追加の積雪が無くてホッとしました!
食と暖と情報って本当に大事ですね。各家庭、自治体単位でも備える必要がありそうです。
火山灰が降ったらの備えもしてあるのかしら。電子機器類が突然フリーズするんですよねσ^_^;
日本は自然からの安全保障も必要なんですね。地震に噴火に津波に竜巻、大雪。学校設備などの公共インフラは新築でなく、補修で70〜80年もたせる方向ですが…。お金の使い方で共同体のセンスと質がわかりそう。センスのある活動は応援したいなぁ。

それから、『共棲的服従』に都合のいい『反知性主義』に流れているという話もあるんですね。服従の恍惚には知性は必要なくて、むしろ自分たちを置いてけぼりにした、知性や芸術を恨んでいるような勢いなんですね。明治後の天皇制はキリスト教の原理主義の真似と帝国主義の体現。中途半端な愛の概念と占有意識を知った時期に戻ってどうするのだろう。自由と資本主義の閉塞への答えがこの時期にあるとは思えないんだけどなぁ。


神話に埋没してみせる勤勉で凡庸な組織の一員である自分と、事実を検証しながら『社会』の一員として生きたい私。 [雑感]

混迷を極める都知事選。
脱原発なんだか生活なんだかの二元論まで現れる。(脱原発は社会保障の在り方の象徴にもみえるから切れないと思うけど)そこに安全保障を携えたオリンピックも絡ませる。安全保障という国家の命題も担保にしたりでなんだかな。

ここで、よくわからない『神話』がいろいろと盾になることに気がつきました。
脱原発で電気代が上がる?もよくわからない。
これだけ対人間、対環境にコストをかけていてなんで安価なんだろう?不浄を嫌う風評被害のせいなの?保障も保険も十分とも言えないまま別立てにして成立させるマジックは、リボ払いが安いと言ってみせるだけに思えるのだけど。一時的な延命にすがらなくてはいけない逼迫した事例に頼らないで欲しいと思ったりする。

のだけど、この『原発安価神話』の話は噛み付かれるので、なんだか面倒。別の『神話』の話にします。

鎌仲ひとみ監督
「原爆投下は正当だった、おかげで最小限の犠牲で済んだ、との見方がアメリカ国内では根強い。原爆を正当化する心理と、戦死した日本兵を英霊と呼ぶ心理はどこか通じたものがあるように思われる。」

官僚「共和党政権だったら靖国に参拝しても干渉しないのに。」二つのアメリカのうち、今は正当化物語の側にあると思ってよいのかな。

あれ?これも噛み付かれる話だなぁ。国家の命題だから聖域なの?検証するのは神を恐れぬサヨクと遠ざけてみせるようだから、これも『神話』と考えてみよう。原爆投下神話と英霊神話。
どちらも正当化と美化だもの。


で、なんで神話が必要なの?

「近代社会は『社会』というボディに道具として国家と経済があるという自立の思想のもとにあった。
経済が自由化したので焼畑農業のように、社会が問題にしたら出て行けばいいだけ。社会はどうでも経済はまわる。
経済のパワーホルダーは社会を保障しようという意欲を持たない。中国の環境が悪くなっても、次はベトナムがある、次はミャンマーまで。

政治も同じで、社会が本体で、政治と国家は道具という考え方。ところが昔は社会のねずみより国家の暴走の方が怖いという世が、テクノロジーの発達で、推定無罪→有罪にと世界が動き出す。安全保障をもとに政治も社会がなくてもまわるようになる。よりミニタリーなものを要求するようになり、そこだけ資産を集中すればまわるようになる。社会がなくても国家が成り立つんです。」

と宮台真司氏。

こんなふうに社会を置き去りにして歩いている経済と政治。その整合が成り立たなくなった時に『神話』が必要なんでしょうね。

そして、『神話に埋没』して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選んでいる人々の凡庸さの積み重ねが、『社会』を忘れさせているようです。

それはそのムラの住民じゃなくて、仲間内の承認を糧に生きる私達の姿でも。

以下はナチスのアイヒマン裁判を題材にした映画『ハンナ・アーレント』をみた方とのやりとりです。(アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に送りこんだ戦犯として裁かれますが「仕事をこなしたまで。」と繰り返して罪の意識がありませんでした。)

(転載)
●「仕方ない」という決まり文句を錦の御旗に「社会」に無関心を決め込む。ごく普通の人間の日々の言動が、想像を絶する結果を招く。アイヒマンのような人間は、至る所に存在する。考えることを止めれば、あるいは暗黙のうちに禁じられれば、悪の陳腐さが蔓延る。 
[新月]「勤労させて考えさせない」コントロール。コーポラティズムがそれを後押ししているからこそ、自覚したいですよね!
●アウシュビッツの標語 ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)を思い出しました。「働けば、(自分の頭で考える煩わしさから)自由になれる」という寸法ですな。(以上)

生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したいところです。(格差社会アメリカでは通説)
アメリカ国民の半分?は「神話」に疑念的。事実の検証をもとにイラク戦争を演出した広告代理店に気がついたり、格差社会の悲惨を労組やNPOや報道、文化人が救い上げて、自覚させる方向に機能しているんですね。近代社会の自立の理念が浸透してるんでしょう。さすがです。神話に埋没することを大人の振る舞いにさせません。ニーズと正解の振る舞いより『社会』の一員であることを自覚する一歩が必要なんでしょう。

そして、日本で忘れてはいけないのが、安全保障に向かう世界の流れの先端!秘密保護法。

『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだとすれば、容易に必要性がつながります。

『社会』の一員ではなく、国家の一員であることを裏付ける神話の為には事実は邪魔。だからこそ機密文書は平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのやら。今までがこんな状態なんですね。

更に戦後処理同様(周恩来テーゼなど)正当化物語に埋没することを選ぶ国民性。更に特定機密保護法。その運用の目指す先はこう見えます。

神話を神話にする為のもの。




・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだろな。正当化物語、安全神話に原発安価神話に英霊神話。そして、神話に埋没して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選ぶ凡庸さの積み重ねが『社会』を忘れさせる。生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したい。(格差社会米国では通説)

・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要のよう。機密文書を平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのか。戦後処理同様、神話に埋没することを選ぶ国民性。更に保護法。運用の目指す先は神話を神話にする為のもの。

宗教国家日本考 [雑感]

あけましておめでとうございます。

新年あけて早々夜中から、今年は妙に激しいお囃子を聴きながら宗教国家日本考。みっともない憲法を改正したいという首相の真意を考えました。

神の作った地球が回るはずがないとした時代と同じ。思うに、日本国を作ったのが神なのだから、国家権力の暴走を國民が監視するなんて畏れ多いことをよくもサヨクめ、というのが本音と仮定してみます。

西欧近代システム(立憲、資本、民主)への閉塞が、原理的シオクラシー(神聖政治のこと。ユダヤ教、平安時代など)を推している。そこに米国からの自立があるなら沖縄知事もほだされるわけでしょう。

このシオクラシーは明治以後、吉田松蔭らが日本神話を再構築した一神教基督教原理を模した神話をベースにしていそう。だから基督教の「神が作ったものは規則正しい」(無理数を認めなかったピタゴラス等々)という思想も含まれていて、弱者難病者は穢れだから切捨て法案続出なのかもと思うとなんだかいろいろ合点が行くんですよね。この美意識…。そうなったら基督教の救済精神どこへで松蔭はどう思うのでしょう。

また、古来神話の日本を統一するにあたっての暴力部分だけを視て正当化していそう。統一を邪魔するものは、やまたの大蛇、鬼(他者)として片付けます。不当逮捕の増加は噂だけ?布教だから話し合いも進言もできません。美意識に自然環境やら多様性は含まれない宗教。むしろ公共事業と軍事という権力のもつ暴力こそ弱者に役割を持たせて救済する美しい手段として掲げます。ただの利用なんですが…。そして美しいから国際的にも認められて当然という驕りもありそうです。

神は当然、民の為にあるのではないけれど為政者は?日本は一神教ではないことも忘れないで欲しいものです。神が望むことを決めるのは誰?神話にあるという「世は民の為にある」という一節を見落としていないかしら。

秘密法案にしても米国と対等が当然+国の政の神聖視では?
日本の良さは近代契約が無くても(絶対の危険性をあいまいさで包む)から回っていたところなのに、(絶対の危険性をあいまいに絶対たらしめる)という、日本的な素晴らしさを欠如に変える愚弄にみえます。
順法精神の美点も自主規制をさせ活力を削ぐ方向に働かせているようです。内向きが理想なのかしら。


国際的な振る舞いの変化はどうなるかしら。ユダヤ教はじめ宗教的縛りがないとほぼ何をしてもいいのが人間。(日本は主に母性原理故の空気と身内の眼が縛り)このシオクラシーの道義の縛りは、むしろ弱者を序列化、利用することは良しとして無慈悲なグローバルを繰り広げそうな予感も。経済植民地の入れ子の拡大。米国は帝国手法を模倣する先。自国も他国も土壌は汚さないで欲しいもの。願いが過ぎるかな。現実だからしょうがないで歴史は何を招いたかな。

さて、もしこの通りなら心理的ベースにあったものの正体は。
今年はこの国の中空構造を持つ本来の神話と、明治の統一用に作られた神話と、そして今の、美しい秩序で皆が幸せに平和になる為だという神話との違いを確認してみようかな。カルトを他者として処理してきた戦後の反省を活かして。
初日の出に祈ります。日の本の国、日本。太陽が銀河を公転してると話して裁判にかけられませんように。


あぁ、新年早々ややこしい話ですみません。
夕べは手巻き寿司につぐ夜中のお蕎麦でお腹いっぱい。お蕎麦屋さんのお蕎麦なんで丁寧に一人前ずつ50秒ずつ茹でてから水で締めてぬめりをとってエビ天と食べました。茹で加減もよく蕎麦の味が濃くて最高。長く細く
美味しいものの食べられる年でありますように。
今年もよろしくお願いします*\(^o^)/*




【追記】1/6 
こんな『知性』に巡り合えてとりあえずは人心地着きました(^O^)/

田中優子 法政大教授『靖国神社は、伊勢神宮を頂点とする神社本庁組織の中に入っていない。国家によって理念的に作られた神社もどきであって、土地と結びついた伝統的な日本神社ではない。いわば「新興宗教」の類い』http://t.co/yrFpAK0Nh2

岩上安身『今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々〜、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか』http://t.co/4FfRmM9Xan

現代にも勝海舟と尾崎行雄のスピリッツが蘇りますよう切望します。


1/8 西欧が立憲主義に政教分離と絶対的なものを分離させてバランスを得てきたものを、日本はわざわざ曖昧に融合して絶対たらしめる。アイデンティティがないことに気がついての父性的絶対を求める手段が融合という状態は実に興味深い。中空への父性発露。絶対的なものに対して①祀る②俗化する③対峙するという内在化と④否定するの選択肢があると考えると、今回示された方向は②から①に移行しての内在化。西欧の③(分離によってなし得る民主という内在化)は放棄といいつつ、③を知って明治期に始めて触れた概念「愛国」を用いて、それを伝統と言い切る矛盾。
下手なパクリ音楽を聞かされている気分。

1/18 あと一つ脅威にさらされた時の内在化の手段として【⑤真似する!】自民党の改憲案と中国の憲法はよく似ているんだとか。日本の為政者は反射的に脅威国の真似をするんだろな。明治の帝国主義もだし。これを忘れてはいけませんでした。

宗教国家日本とネット戦略〜靖国参拝を考えてみる [雑感]

この国の今のトップを教祖様と掲げた人たちがネット界に居る。中韓を叩いて話し合う気もなく教義を繰り返すだけなので、立派なセクト化、カルトの出来上がり!もともとネットは同じ意見を持つ人が集まるので、集団分極化といって、どんどん過激な方向になる場所…。絶対的なものを引き寄せるらしい。
カルトがネット以外にも漏れ出して意外な人がはまってる。

人が絶対的なものに依存する時はどんな時なんだろう。

話し合いをするスキルが持てないから、押し付けというコミュニケーションに依存してるのかも。絶対的なものが同一という至福にも依存。

拠り所がない時の依存。絶対を持って叩ける他者がいると救われる。確かな救済だわ。江戸時代は百姓にエタ非人を叩かせて満足させたんでしたっけ。

宗教戦争も絶対的なものの暴走だから、欧米は政教分離を必死に行って来たのね。この国は絶対的なものに無防備、無自覚らしい。

オウムと同じカルトなんだけど、オウムは自分達の中にあるものではなくて、他者として片付けることに警告があったはずなのにそうしなかった。

戦争の処理も、天皇は悪くないといいたいが為にA戦犯ができ、周恩来テーゼといって、日本国民は悪くない、軍隊カルトに巻き込まれただけだという、他者としての処理だった。「国体」から「自由」と、みんな言ってるから看板を変えただけだったり、理念のない運用がそれを示している。

ドイツは自分達の事として、順法精神が仇になったという反省がある。でも、日本はそうして来なかったんだという。

その代償のような重いものがフツフツと、
無自覚の中に蔓延もうとしている。
叩くことに逃げて自分を正当化したい心理に忍び寄る。
自覚が大事なのね。


日本の絶対的なものは「空気」
大多数の意見だから、先ずはネット界を制覇すればいい、と踏んでの戦略があると考えてみる。

スマホで調べる若者。大多数の意見もそこでジャッジしそう。
ネット内でのアンケートも標本調査になると答えた中学生が多かったと聞いたから、ネット戦略も効果あるのかな。

そういう意味で教祖の役割は大きいのかも。
トップのFBでは、靖国参拝でイイねが4万押されたとか。年内に参拝しない…でネットには不満の声が溢れたらしいから。ネット戦略に影響が出ると踏んでかも?大多数であることを知らしめれば勝ちだから、で
国際的に孤立の道…。
自立のアピールらしい。

宗教国家かぁ。
陛下が可哀想だと思うのは気のせいかなぁ。
米国に格下げされた怨みを晴らしてあげようという正義。ほだされる知事?
自分のしたことは見えず自分の被害ぶりだけ訴え話しあえない人は自尊心が低いといわれてるんだけど、これでいいのかな。

特に日本は、精神的にリーダーの居ない中空構造を持つ日本。そこに、自覚なく絶対的な父性が自立を掲げて来た時は注意しなければ、と臨床心理の権威、河合隼雄氏が警告していた。理由はよくわからなかったけど、秘密法案を通してわかって来た気がする。

絶対的なものを、あいまいな中空でくるむのが美点だったのに、

絶対的なものを、根拠のないあいまいさを持って絶対的たらしめる。

そういうことかぁ。

よくわからない宗教国家としての道は気持ちが悪い。国益の為にはしょうがないの?
もともと神話は中空構造を持つと河合氏。基督教原理主義を模したものが日本の宗教?

しかも弱いものを利用する宗教国家だ。模した成立ちにも恥ず。
叩いて見せる先として利用、叩く信者媒体として利用、経済植民地として利用。役割を持たせることでの救済。さらに公共事業に経済徴兵やら経済弱者の社会補償を暴力で補う仕組みを過度に加速させる方向は共同体としてどうなのか。デモクラシーでもシオクラシー(神政政治のこと、ユダヤ教、平安時代など)でも共同体の意義は同じだと思うんだけど。弱者とはみ出したものをどれだけ包括できるかで共同体の価値が測れるのでは?

とにかく
①順法精神 ②「空気」依存
③議論が苦手(内向き)
依存対象としての宗教(絶対的な論説、空気)に染まりやすい国民性であることを自覚したい。国益とやらと矛盾するようだけど、消費で憂さが晴らせなくなった時に注意だと思っている。
いや、憂さを晴らせなくなった時の心の補償を作ってくれてるのかσ^_^;

今まで幾多の学者が繰り返していた警句の体現なだけでなんだかなぁ。
あんまり嬉しくない。


※星野智幸さんの寄稿
『「宗教国家」日本』を読んでいたく同調し、私も現状を自分なりにまとめてみました。
暗めな話題でごめんなさい。

今日は大掃除として、布団を干す時に邪魔になっていた、用水路脇のひっつき虫を片付けました。やる気になると早いですね。やる気になるまでが長いです(・_・;
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そしてお昼は
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焼きたらこに生たらこ、すじこにうにに。
ご飯が足りなくなりました。
ご飯が美味しい新年になりますように!
よいおとしをお迎え下さい。

※空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!


論拠がなくても有罪?リーガルハイ2 [雑感]

リーガルハイ2の最終テーマは【証拠がなくても有罪でいい?】でしたが、何が問題なんだか私なりに整理してみました。

どうも日本では田中角栄も証拠がなくても葬られていたようです。和歌山毒物カレー事件も、三浦事件も…。

もともと、デモクラシー(刑事)裁判の目的は国家という絶対権力から国民の権利を守るものなんだそうです。

デモクラシー(刑事)裁判とは検事に対する裁判。検事は行政権力の代理者で絶対権力を背景にしているので、検事が持ち出す証拠のなかに一点でも疑問があれば無罪。そうしなければ国家権力から国民を守れない。それが理念なのに日本では空気優先になったりする…。日本のデモクラシーは戦後も成立しきれていない疑惑大でした。しかも無自覚。

司法が司法なので、論拠があいまいでも構わない事例もあるようですが。

◆それにしても、歴史を見るとデモクラシーはなんて儚いものなんでしょう。
デモクラシーはフランス革命後もナポレオンに、ワイマール憲法もヒトラーにと、すぐ独裁者のものになったり…貴重なものだったんですね。

確かにデモクラシーは歩みが遅く「民主主義」とは先送りを許すので、西欧システムの限界だと見切る視点もわかります。
ただ、これから否が応でも、グローバル、弱肉強食の過激な市場原理が押し寄せてくる世の中。民主主義なくしては、人権の視点が損なわれ、救済がないがしろになりそうなのが気になります。

その流れを、最低賃金で働く人を救うのではなく、極僅かな不正受給者を不公平だとたたいてみせる→同調する世間という構図が指し示すようなのでいっそうです。民主主義デモクラシーのもとでなくても、神聖政治シオクラシー(平安時代、ユダヤ教、イスラム原理)など、救済のシステムが愛国心などで補えるなら全く問題がないのですが、道徳心の向上、個々の家族システムへの期待、ぐらいしか今のところ見当たらず…。かえって一元的な価値観で追い詰めそうですし、それだけで過激な市場原理に対抗できるとは思えません。NPOなど民間の救済システムをバックアップする体制は今後も外さないよう、切に祈ります。

また、こんなデモクラシーの暗雲を示す情報がありました。
◆越谷市で秘密保護法に反対した市議に「反省を求める決議」可決。長い物を絶対視する政治家も増殖中のようでびっくりです。

代議士さんたちは何の為にこの場に居るのでしょう。立法者は議会で議論する為にいるんだと思っていましたが、通用しなくなっているのでしょうか。

自由な言論を持つことが立法者の存在理由ですし、そのシステムによって選ばれているような。異論を許さないことに疑問を持っていない様子が不思議です。

トップ秘書がFacebookで「NHKのあの番組はけしからん。皆さん!」とネトウヨをけしかける様は「まるでヤンキーだ」と例えられていたので、代議士もヤンキー化していると考えればいいのでしょうか。よくわかりません。


◆議員でさえも、デモクラシーや民主主義の視点から目を塞がれてしまう理由はなんでしょう。

これも全て共同体回帰への憧憬なんでしょうか。流行りの「日本万歳」と言っていれば、不安な現状に対して「日本の為にしょうがない」やら何も考えなくていいから便利さに逃げられる唯一の場所なのかもしれません。

それだけ過酷なことが待っているから、安心できる場所を指し示してくれているのかもしれません。だいたい、国が国民の面倒はみませんよという政策を出す時、解体を防ぐ為に愛国はセットというのは、政治では定石だそうですから。(小泉政権、仏、英)

有難いとも言えるのですが、これは危険だという自覚も欲しいところです。共同体回帰への憧憬や懐疑は、エヴァンゲリオンの人類保管計画やらエウレカセブンやらSFアニメで取り沙汰されて深みをもって掘り下げられていています。が、最近の「大人への通過儀礼」と見せかけての共同体回帰が、わかりやすい感動をもたらしているのが気になります。
隷属するほど人は美しくなるもの…と檀蜜主演映画『私の奴隷になりなさい』のメッセージ通り、人の本質を輝かせるのかもしれませんが、倒錯の世界は知らないので控えます(笑)

日本のような母性社会は通過儀礼として強烈な体験を必要とするらしいので無意識で求めているのかもしれません。母体にのみこまれて盲目になるという危険性を知らないので、SFを知っている人の方が信用できる気がします。


◆加えて、日本の国民性はどうなんでしょう。真面目だからルールを守らない人に厳しい道徳感は、長いものを強制する息苦しさを予感させます。
同じ意見を持つ人が集まると「集団分極化」といって過激な方向にセクト化するという実験結果があるのですが、空気を読ませて意見を言わせないならば、もう集団セクト化は必須の気がします。デモクラシーも民主主義も水の泡です。

過激なセクト化は流行り言葉も担うようです。
哲学者の鶴見俊輔さんはこう言います。

【言葉のお守り的使用法】
それを口にすればそのとき社会に認められている価値観に自分を合わせ身の安全を確保できる。はやり言葉をいうことで集団に帰属する免罪符を得、それによって論理的な思考が出来なくなった。戦後はお守りが「自由」に変わったが「国体」を使う人間と同じだ。

とのこと。戦後の【自由】も平和も皆が言っていることを自分のもののように組換えて唱えていただけの人が多いのかもしれません。「みんな」の傘の下に居たいだけ、看板を変えて安易にお題目を唱えるだけ。サヨク?民主主義?深い内容まで考えないので、理念を実現するなんて程遠い。と警鐘を鳴らしていました。

それをデモクラシーの崩壊している司法が教えてくれた気がします。歴史的にみても『看板のすげ替え』もとい、日本での方向転換は容易そうです。

◆また、日本の宗教観と照らし合わせるとよくみえる気がします。日本は伝来した宗教の【真理】より【おかげ】を優先させてきた歴史があります。

伝来宗教をそうやって扱ってきたんですから、世界的に希少なデモクラシー民主主義も【理念】より、その【おかげ】にあやかってきたに過ぎないのかもしれません。根拠がなくても有罪になるのはしょうがないけど権利は便利、という具合に。

そして、流行り言葉を唱えさえすればいい、帰属の【空気】の方が絶対的に自分を守ってくれると信じていても全くおかしくありません。赤信号もみんなで渡れば怖くないですし。

◆まとめ
『グローバル社会で有効な御守りと国内帰属の免罪符』

実は身近な方が隣国を愚弄していてショックでした。兄弟が俺が上だ下だと…。中韓のせいにする思考停止。政党と国民は違う。国民の右傾化事情はここと同じ。経済競争とも分けないと。他民族はくくれないし、先行した経済事情は学び協力する先ではないかしら。
民主主義の御守り=【おかげ】を守るか、帰属の【安心】に浸るかの二者択一?はやめたいです。権利の父と帰属の母を分断するようなものですから。

弱肉強食の進むなか、西洋システムで民の声を照らす唯一の有効手段、民主主義(デモクラシー)の御守りを、帰属のもたらす安心感に盲目的に囚われてるうちに、いつの間にか手放してもいいの?という選択なんだと思います。

そして、セクト化を防ぐ為には…自覚する。
過激にならない為に、いろんな意見をとりいれる。そこしか道はなさそうです。

Xmas…も過ぎました。いろんな宗教をとりいれられる日本人ですもの。道はありそうです。



※空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!

【追記】論拠があいまいな例がありました。
◆報道ステーション「これまで外交上の機密が漏洩した例が一つもないのになぜ秘密保護法が必要?」安倍氏「確かに報告されていないが本当にそうとは限らない。だから立法による厳罰化が必要」
→やはり危険性…という論法のようです。はっきりした論拠はないようです。

石破氏もインタビューで「中国や北朝鮮は民主主義と違って、どう方針が変わるかわからない国です。整備は着々と進んでいるのだから何とかしないといけません。我が国は民主主義であることで遅々として物事が決まらない。米国からは秘密がすぐ漏れるからと情報を渡してもらえません。これはなんとしても、12月の予算編成の前に決めなければいけなかったことなんです。」とのこと。論拠は可能性です。
北は紛れもなく緊急事態なんでしょうが…可能性の盛り込みが過剰にみえます。

民主主義を放棄しないと中国や北朝鮮と渡りあえないと宣言しているようです。こういう危険な国に情報を渡すとは思えませんが、米国は半ば経済を戦争で支える国なので、米国保守にはおあつらえ向きなんでしょう。しかも、日本も戦争で経済を回す流れを着々と進め、ロボットで確かに儲かる都合のいい国なので体制なんてどうでもよくて情報を回してくれるのかもしれません。太平洋戦争開戦時のように無用な疑心暗鬼をもらたす情報でなければよいのですが。成立時、若手議員から上がった「空気読めよ」のヤジが今の民度を物語っていそうです。言論のない一元的な議会。空気が絶対。

司法が論拠に基づかなくても成り立ったりもしているので秘密保護法は正当に運営できるとは思えず不安大です。北朝鮮とわたりあう為だけに捧げる儚いデモクラシーじゃないとよいと思っています。

[どうなる日本、どうする日本]対談/社会学者:宮台真司×氷上麻布学園元学長 [雑感]

少し前の話ですが、麻布十番にて野菜たっぷりのランチのあと、麻布学園で[どうなる日本、どうする日本〜日本の若者・教育、その未来について語る]をテーマにした社会学者の宮台真司氏と元学長の対談を聞いてきました。

人を幸せにしないと幸せになれない。弱者を助けてこその共同体なのに加速する崩壊。共同体の崩壊に公共事業しか処方できないリソースのなさ。公共性を失った共同体は崩してよい。ニーズに応えるのではなく幸せになる方法を示せばよい…等々キーワード満載で充実でした(^O^)/ ので、ざっくりレポートしておきむす。

まず最初は若者の幸せをテーマにするにしても切り口を何にしようか、会場の反応を見ながら手探りな話…。高校生に教員に卒業生に父兄に一般に、と幅広い対象ですものね。

幸せになる為には…一人でやっていくのが美徳のような風潮はナンセンス!グローバル企業の中心にいる、ユダヤ系は父性共同体、華僑は母性共同体に頼っているからこそ、息が続いているのに。共同体に頼るべし!と行きますが、反応はイマイチ…

で、切り口の強いところで、山本太郎の件も過去の天皇の政治利用の歴史を知っていればこんな事では騒ぐのはメディアの2チャン化と議員の劣化とバッサリ。GHQは天皇を処刑しなかったのも天皇が民主主義を認めれば国民が納得するという調査結果を下にした判断で、今の民主主義もすべて、天皇の政治利用によって成り立っているのに…なんて時事問題は…元学長に幸せの話をしようよと切られて(笑)

「人を幸せにしないと幸せになれない」「成功は幸せを産まない」をキーワードにして
弱者を助けてこその共同体なのに[政府は助けなくていい]と答えてしまう日本人が30%というDATAを世界に晒し、同時にそんな空気に子どもをさらしていると嘆きます。マスコミは2チャンネルと同列化。2チャンネルに議員も加わっていて恣意的に劣化を促していたんですね。加えて崩壊した共同体に公共事業を与えるぐらいしかリソースや知恵がない情けなさも訴えてました。

母校に呼ばれている自分に、ナンパの研究してるような僕を呼んでいいの?なんて自虐しながら、社会学者なのに時代の性愛の探求に走る理由を聞かれますが、理由はすぐわかりますよね、と気持ち挑発。

従来の価値観が通用しない時代に、エログロと自然科学が発達するのは当たり前。従来の枠組みを壊しながら考える必要性に必ず身体的なエログロがついてくるのは時代が証明している。
…んですね。時代のスパンではなく、適宜、枠組みを壊す非日常が[まつり]だとも。いいですね。

で、後半、質問コーナーの若者との一問一答が真骨頂。洒落てました。ここから言葉に先輩の温かさが滲んできます。

会社という共同体との付き合いに悩む卒業生には「その共同体に依存しないのならば付き合えばいい。共同体はエゴが大事。でも公共性を持たなくなったのならば崩していいんです。」
なんて話しながら、明治以降、既存の共同体の引き換えに→天皇に共同体を委託→会社に共同体を委託、と変節させて来た歴史をさらってみたり、米国もFRP(ユダヤ系)という共同体に生かさず殺さずされているからこの共同体の公共性は…どうなんだろう。なんて情報も織り交ぜる。

共同体に頼りたいけど僕は親に反抗する!という高校生には、親に抱え込まれない為にもいろんな価値観を内包した共同体がある、と応じます。そして!

男子校で男子しか知らない僕が恋をした…どうしたら?なんて質問には、ここで発表できる君はもう乗り越えている。恋愛も失敗しながら。ニーズに答えるだけではダメ。スティーブジョブズも…ニーズに依らない幸せの提言しているでしょ。スマホに頼るコミニュケーションは所詮浅いもの。散歩して身体的同調を経るなど時間をかけて…。
なんてナンパ人の極意も(笑)
会場が笑いに包まれました。

他にも[ポジション取りや承認を求めるだけは浅ましい][やり過ぎはよくない(笑)][まつり][ここではないどこか]等々キーワードを散りばめていて…きっと人によってツボに入る場所はいろいろ…書ききれないほど盛り沢山で充実した時間を過ごせました。
元学長オススメの『14歳の社会学』も読まないと!
誘ってもらってよかったわ。



■私のまとめ

弱者の面倒をみないのならば、その国家は崩壊した共同体なんですね。昨今の山本太郎騒ぎにしても、崩壊しつつある共同体の穴埋めとして天皇を神格化するような動きの一端なんでしょうか?天皇に依存しないと共同体として体をなさなくなる、という流れでないといいのですが。
あ、[救済よりオリンピック]という二項対立が、実は同じような動きを象徴してるのかもしれませんね。

価値観を転換しないとならない時代に自然発生してきた事象[エログロ]の封じ込め。その先手は、ダンス規制法に象徴されたり?

価値観の転換をしないと公共性が崩れる時期にあるのに、従来の枠組みのなかでしか考えようとしない共同体が、存続を希望しているのは全く愚か…。しかも狭い枠組みでジャッジしてマスコミを煽り旧体然をさらしてたり。リンチに理はなくキーワードは長いものに威を借りた[生意気]で情けない限り。それは自立できず共同体からの承認願望にぶら下がりきっている姿かしら。
周りを幸せにしないと幸せになれないのに。従来の枠組みでしか幸せを提示できない。
はい、それはモテないね。

明治以降、自治体がバラバラになり、中空構造を持つ【相対】の国日本が国家という共同体の体を成す過程で必要だった一神教(基督教の【絶対】の概念が発想の礎)。
基督教の利点である自立の概念→民主主義も博愛も充分に育まれないままで、弱者を救えず共同体として崩れ放題の国家。道徳のみで倫理なし。絶対の一部分だけを切り取っての一神教に立ち戻ることでしか国家を確認できないのでしょうか。
宮台真司の師、小室直樹氏(テレビでよく立川談志師匠と対談されてた方)のいう【にっぽん教原理主義派】の時代に降り戻る予感です。戦後は政教分離されていないのに政教分離したふりをしていただけとのこと。無自覚極まれりの笑い者で西欧が苦労して分離させたのに日本ができているわけはないようです。幼稚な隣国の民度(民主主義の育ち具合)の低い行動に引っ張られたり、安保改革が民主主義の為と信じて統制してみたり、強いものこそ自由であるべきなんてグローバル利権に騙されたり、自立の為でなく任せて文句を言うのが民主主義と思っていたり、民主主義の程度を知らしめているようです。もっとも国民の代表が従う党議拘束はもともとマニュフェストを守る為なのに日本ではそんな理念がないわけで、考えることを辞める無責任な代表者を産み、多数決が民主主義という勘違いと無力感を育んでいるようです。

これから、グローバル企業を主権につなげる[新自由主義イデオロギー]とどう絡むのか。そこでは幸せはどこに?

どうなる日本。どうする日本。


◆空気読め?日本人の宗教は その2
◆空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教![雑感]
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03



立憲主義と中空構造 ◆総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国 [雑感]

この話は時事がよく整理できてます。
◆総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国

https://www.youtube.com/watch?v=G9_lN5S121k

宮台真司+神保哲生


日本で噴き上がる安藤美姫バッシングへの疑問も整理できます。
「それも生き方だよな〜」って感じだったのに、騒ぎ方がひとつの在り方に収めようとする圧力に感じられて参ってましたが、少しすっきり。


宮台真司氏が語るには、

米英仏などは、同性愛や公民権…激烈な人権差別があるからこそ、公共圏(言ってはいけない場がある)を樹立できているんだそうです。

かたや、激烈な差別がなくて空気のなかで解決できていたから、公共圏が樹立させられなかった日本。公共で言ってはいけない事とそうではない事の区別がついていない。

激烈な差別はないけれども、友達じゃないと差別する日本。他人は平気で罵倒する。それは年々ひどくなっていて他人への暴走は凄まじい。ヘイトスピーチも規制法を作らざるを得ない。自治できない。こんな情けない発想が公共の場に出てきてしまう。
そんな暴走を防いでみせるかのような憲法改正も、立憲主義を平気でなぎ倒すようなあり様…

そして、安倍さんによる立憲主義放棄宣言に対して、海外の記者はそれに気がついても、日本のメディアは取り上げない。

みたいな話でしたが、このまとめでいいかしら。


河合隼雄氏は、『中空構造日本の構造』で日本は相対の中で生きる母性社会であるからこそ、絶対的な中心を持ちにくく中空構造になる、と論じていましたが、繋がりそうです。

http://1000ya.isis.ne.jp/0141.html
■河合は日本が中空構造に気がつかなかったり、そこにむりやり父性原理をもちこもうとすることに警鐘を鳴らした。


『中空の部分にむりやり父性原理。』
まさにこれが、デタラメな発想の源なのでしょうね。


今までも会社も組織も全て家族という発想だった日本。統治権力が、勝手なことをする国民から『日本』を取り戻すという「目的」を手にいれた今、政府・企業・メディア・警察がその「目的」のために、お金に負けていき、次第に家族的一体感という『アイデンティティ』をもって意気揚々と勤勉さを発揮しているみたいに見えます。

小室直樹氏に言わせれば、また『日本教原理主義』の発動というところかしら?
倫理の為ではなくて、見える範囲でのご利益信仰。身近な人の利益の話で流される。

おまけにそれは、立憲主義から逸脱していると気がつかないままだからタチが悪そうです。国際的にどうだろうが、狭い家族のなかでの地位が確保されればアイデンティティは保たれるのでしょうけど。


仲間は大事にして他人は平気で罵倒する現象。この想像力の欠落した行為は日本人のタコツボ化が進んでいることの象徴に過ぎないのに、いっそう国家というタコツボを作り上げようという発想になっていてなんとも…。

そして、小さい家族に丸投げ=国家が公共サービスを放棄する為の布石ではありませんように。(国際的に…世界にはびこりつつある新自由、帝国主義には都合がよいのかもしれないですねσ^_^; 今の都合の為に将来を捧げさせることが得意です。)


家族(保身の為の組織を含む)の一体感【母性による包括】が精神性の原点である日本。河合隼雄氏の言うように、母性社会の精神性を持つ限り、中空構造になり、突発的でデタラメな父性原理を必然的に引き寄せる。

私たちはそういう民族だということを、肝に命じて知るべきだと思うのですが、どうでしょう。

これは自虐ではなくて、母性社会であることをアイデンティティとして確認するため、そして自分達の暴走を防ぐ為。
そして「おかしな他人が勝手なことしている」ではなくて、受け入れて考えるのが母性社会を生きる日本人の美徳のはずですもの。


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いろいろ〜ビオトープとアベノミクスと老子 [雑感]

・アベノミクス生活実感。

西友の売場では、スイカの産地が千葉に茨城鳥取に加えてアメリカ!のものが1/4。サミットはオーストラリア牛がたくさんあったはずなのに半分以上がアメリカ産。
TPPもまだなのにこの勢い。TPPではコメが一番心配されていて…田んぼの水が日本を冷却してくれなくなるってことですよね。
昨日は熱帯夜。
暑いのはイヤ( ;´Д`)


・ホウネンエビのいる環境は贅沢なのかも。ホウネンエビのいた田んぼもいくつかある田んぼの一部。農薬の有無次第という話でした(´・Д・)」やれやれ

・ねじれ解消???国民の自治活動と政府とのねじれが解消すればいいなぁ。

・憲法は主権をとりちがえてる人たちに触って欲しくないなぁ。

・原発存続、ウランの継続購入…原子力協定は安全保障と引き替え。日本の国土がどうなろうとアメリカ産は売れる。安全保障ってなんだろう。

・ジュースの瓶がかわいくて、296MLで280円と高いのに衝動買い。アメリカ産だけど。
瓶は棄てないで有効利用したいけどどうしよう。。口が狭いと食べ物系では液体しか使い勝手は悪い。あ、
ホウネンエビはメダカに食べられてしまうらしいので睡蓮鉢に入れられないから、この瓶に入れようと思ったのですが…。
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いません。田んぼをじぃっと大人がのぞいていると恥ずかしいのだけど、気にしないふりをして何分かのぞくのだけど、残念ながらホウネンエビはもう居ませんでした。

・気を取り直して、睡蓮鉢からもらったメダカの針子とアオミドロ少々だけを移し入れました。それだけのはずでしたが、意図しないままに貝も入って這ったり浮いたりしているし、ミジンコもいくつか上下左右して忙しそう。ミニミニビオトープになってます。
しかも、一週間で餌なしでも平気なのですね!?(・_・;?

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・管理はどうしたらよいものかしら。
ビオトープを意図的なお節介で、なし崩しにしないようにしたいところ。

そういえば、老子のリーダー論はこんなでした。

・最も理想的な指導者は、部下から存在すら意識されない。
(太上は下これあるを知る。)17章

・立派な為政者は、国民を統治しようとするときには、謙虚な態度で民にへりくだる。国民を指導しようとするときには、自分は後ろに退いていっこうに指導者ぶらない。
(聖人の民に上たらんと欲すれば、必ずその言を以ってこれに下る。その民に先んぜんと欲すれば、必ずその身を以ってこれに后る)66章


こんなふうにビオトープを見守りたい。そして、そんな為政者をいただきたいな。と漠然と思ったりするのでした。


憲法って?宮台真司さんの話がわかりやすい! [雑感]

憲法って、民主主義=自治を守るもの、のはずなんですね〜。

頭のいい人はわかりやすく説明してくれるから、スッキリします!


ーーーーー引用開始ーーーーー

宮台真司が語る【改憲派だけど96条改正に反対する理由】
http://radiotalkrecording.blog.fc2.com/tb.php/137-83105595


宮台 あの、憲法って英語でConstitutionです。法って言葉が入っていません。
みんなで統治権力をどのようにいただくのかとういのを契約し合ったものっていう意味なんです。

荒川 いただく?

宮台 うん。簡単には[自治]

僕たち民主って言うでしょ? 民主の本義は多数決ではないんです。自治なんです。自分たちで自分たちのことを決めること。これがね、民主主義の本義なんです。


で、自分たちで自分たちのことを決める。えー、そこに、統治権力が勝手に介入してこられてしまっては自治が成り立ちませんよね。

だから統治権力が介入してはいけない市民たちのコミュニケーションの領域を定めたものが、これが人権規定なんです。

えぇ、人権ってのは、天賦人権論(すべて人間は生まれながら自由・平等で幸福を追求する権利をもつという思想。)うんぬんかんぬんってのは実はどうでもよくて、その本質的な機能は、もう一度言いますよ。

自治に国家権力が勝手に介入できないようにするためのものなんです。


荒川 それが立憲主義(政府の統治を憲法に基づき行う原理)ということに繋がるわけですね。

宮台 人々の自治に介入してはいけないという風に統治権力を制約する、言わば総合的な契約をしている、これが憲法なんですね。


ーーーーー引用終了ーーーーー

宮台 真に賢明で愛国の志ある者は、日本がいかにダメかを徹底して教わればこそ、頭脳を振り絞って渾身の力で国の舵を取ろうとするよ。僕も極右師匠・小室直樹に「日本人のダメさ」を徹底的に叩き込まれて愛国者となったの。

【小室】空気読めよ~。日本人の宗教観とは。
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

そんな彼だから信用できます*\(^o^)/*



憲法とは…世界の法治国家、民主国家の常識なのかもだけど…。
政治家も含めて、知らない人が多いのは怖いことなんじゃないかなぁ。

このラジオシリーズはとにかくわかりやすいです!!!感謝☆


壊れゆく日本という国 [雑感]

新聞ため読み。オピニオンリーダー内田樹さんの取りまとめが見事です。引用Blogもチェックしました!

「企業利益は国の利益」犠牲を迫る詭弁を与党が後押し 国民の末期を官僚もメディアも嬉しげに見ている 。

http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/1f42a8a0ad8471524c164419dc3b68f7
【引用開始】

 「国民国家としての日本」は解体過程に入った、というのが結論です。そもそも国民国家というのは、1648年のウェストファリア条約のときに原型が整い、以後400年ほど国債政治の基本単位であった。しかし、政府は国民を「身びいき」することをやめて、グローバル企業の利益を優先するようになってきた。
 政府がグローバル企業の利益を優先させる具体例は、     

原発を再稼働させて電力価格を引き下げようとする「製造コストの外部化」                         
高速道路を縦横に走らせる「流通コストの外部化」                     
英語が話せて辞令1本で海外勤務もさせられる使い勝手のいい若年労働力を供給させる「人材育成コストの外部化」 
        
汚染された環境を税金を使って浄化させる「環境保護コストの外部化」                
などです。「外部化」というのは、税金を使って企業の利益になることを代わりにやってあげることなのです。

 つまり、グローバル企業の側から見れば、国民国家は「食い尽くすまで」は使いでのある「資源」でした。政権与党はそのことを「企業利益は国の利益」という詭弁で、国民に犠牲を迫ってきた、と指摘しています。
 内田さんによると、「ケネディのスピーチの枠組みを借りて言えば、『グローバル企業が君に何をしてくれるかではなく、グローバル企業のために君が何をできるかを問いたまえ』という時代」なのだそうです。
そして「日本のメディアがこの詭弁を無批判に垂れ流していることに私はいつも驚愕する」とも記しています。

 筆を進めて、「私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば『日本の国富を各国(とくに米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス』なのである」と、喝破しています。

 さらに、「現在の政権与党の人たちは、米国の超富裕層に支持されることが政権の延命とドメスティックな威信の保持にたいへん有効であることをよく知っている。戦後68年の知恵である」とも。

 そうして、安倍政権の下で「国家の解体」が実態として進んでいることを、「政治家たちも官僚もメディアも、なぜかうれしげに見つめている。たぶんこれが国民国家の『末期』のかたちだろう」と、突き放しています。

 そのうえで、「この国民国家の解体は日本だけのできごとではない。程度の差こそあれ、同じことは全世界で今起こりつつある。気の毒なのは日本人だけではない」と、慰めてくれています。

【引用以上】

全文は…
http://thymeup.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2013-05-11


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経済が潤うと明るくなりますよね。株で儲かって安倍様々と言っている人をニュースが流す。原発立地時同様、札束で頬を叩かれて、あと先が考えられなくなっている事象に見えて興味深いです。

今日のテレビでコメンテーターは「安倍さんには経済を立て直してもらって、あとは外交をしっかりしてもらえば…」

と別物のように言ってますが、ナショナリズムと経済の立て直しも遠くから眺めると、全く同じもののようです。

メディアが近視眼的な視点を保ってしっかり並走しているから安定しているようにみえます。

既に日本のメディアの自由度ランキングの低さは韓国や南アフリカ以下と聴いていますが、どうなんでしょうか?




■次に、「靖国神社参拝」を当然と捉えたナショナリズムとグローバリズムについても考えてみました。

12月のBlog[成熟した社会の行き先は?]ではこうまとめました。http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-12-06
【引用】

原発という国策はじめ公共事業と徴兵で解消する問題は、ともすると国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。

それら暴力との共生は低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。

いじめと救いがない交ぜの教室に似た平衡。大多数はそこそこ気分のよいものを充てがわられればよい。
暴力を監視するのが国民の役割と、社会学者、野村一夫氏は説く。http://www.socius.jp/lec/21.html
が、公の調和の為なら見て見ぬ振りが大人の振る舞いだと刷り込まれた日本人に可能だろうか。

【引用以上】


今は、暴力を監視するのが国民の役割で【憲法】が監視ツールのはずなのに、様々な詭弁が監視を解こうと必死です。

排他主義、人権無視のヘイトスピーチをする洗脳団体に、安倍首相は自粛を促せていませんし(FBでネトウヨに呼びかけると国会で宣言したにもかかわらず)、ヘイトスピーチを後押ししている証明をしています。


そして、[愛国心]を叫びながら米国の言いなりでもあります。「国民身びいき」のふりをして「米国帝国」システムの天下りを狙うかのようです。郵政民営化、番号制、経済徴兵、国際的に評判が悪かろうと米国のシステムを殆ど追随させようとしているのがその証明のようです。

そうそう、日本は成長してもらわないといけませんっていう米国のブッシュ政権時の財政官の手記が新聞に掲載されてて、安倍さんの主張と気持ちが悪いくらいそっくり。ブッシュ政権は経済学者フリードマン信仰で動いてたから、安倍政権がフリードマン路線を追従しているのがみえみえです。

[愛国心]を打ち出す理由はタカ派の政治家達の本質というだけでなく、暴力と共生して初めて成り立つのが国家だという側面を出さないと[国民国家]としての定義が崩れるからでもあるのでしょう。だから、国際的に恥ずかしくても[愛国心]は、すがれる最期の砦かもしれません。

プラス、内田樹さんの説も説得力を持ちます。

【文中引用】

この本質的に反国民的な要求を国民に「飲ませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。
 グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。

【以上 】


実際、ヘイトスピーチをする同じクチから「反原発は経済の足を引っ張る。国民一丸となって経済を立て直さねば。」なんて声も聞こえて来て気持ち悪くて仕方ありません。


そして、その振る舞いがアジア諸国への圧力として有効ともてはやされ、しっかり軍事経済に利用できるから国際的にではなくグローバル的に一石二鳥なんですね。


また、http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2013-04-13
多国籍企業は[帝国主義]的手法で侵略しているという意味で、グローバリズムはナショナリズムと思想的に融合しやすいということもありそうです。


image-20130512102428.png

また、
http://t.co/LZNXgpT6pB
経済学者の宇沢弘文さんはこう述べています。

→フリードマンの市場原理主義は、経済学とは言えない一種の信念ですね。いまのアメリカの置かれている大惨事は、そこに原点があると思うのです。


市場原理主義も一種の[原理主義]に違いなく、日本の[宗教観]が様々な[原理主義]と融合しやすいという点にも根ざしそうです。http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

そんな原理主義の潮流と、富裕層に媚びてきた戦後68年の知恵に呑み込まれ、投票したい党がなくなっている現実に頭痛がします。




予想通り…
国家の暴力的な部分が予想していた通りに拡大させられて「グローバル企業」にひれ伏しているわけですが、全く嬉しくないです。暗雲の中に投入している気分です。

予想通りと言っていると「嬉しいんだろう」と叩いてみせるのも流行っているみたいですが、

これも下の■と同じで「心配する人は予想通りになると喜ぶから腐ってる。憂う人を非難すれば良い」ってパターンなんだと思っています。

■ ナチス政権下で国家元帥だったヘルマンゲーリングは世界大戦のあと「戦争を起こすのは簡単だ。国民に向かってわれわれは攻撃されかかっているのだとあおり、平和主義者に対しては愛国心が欠けていると非難すれば良い。これはどんな国でも有効だ」と述べたという。

どの国も一緒ですか?そして、日本人は原理主義に盲目に勤勉でした。
内田さん同様、慰めてくれていませんね。



アメリカバイデン副大統領の言う「新世界秩序」って? [雑感]

ん?アメリカバイデン副大統領の言う「新世界秩序」ってなんなの?

ふむふむ、『多国籍企業が政府にとって代わる世界統治体制』のことらしい。wikiを信じると陰謀説のひとつとはいえ、アメリカの方向性なんだとか。いかにも陰謀っぽい名前なのにニュースをみると信憑性が高まるから困る。

多国籍企業と相性がいいのは帝国主義。なるほど、『世界が軍事、経済ともに帝国主義に回帰しようとしてる』 と思えば、空気を読むのに長けている日本が右傾化するのもなんとなく納得する。安倍総理の「戦後レジームからの脱却」がほぼ帝国主義回帰でいいんだろうし。もっとも、日本経済の中核も多国籍企業なんだもんね。

『二分化して統治する』のも帝国主義の手法だしね。[ネトウヨは二分化部隊]と仮定すると、反朝鮮派のネトウヨがなぜ執拗に反原発も叩いてるのかがわかる。生活の鬱屈と、大日本帝国の全体主義に対する自主反省の不全にのって、おカネをまわすことを手伝わせているようだ。

全てがおカネをまわすことが優先か。医療格差の促進。憲法改正しての戦争。再生エネの投資に反して電力会社が送電網を繋がせなかったり…再生エネの拡大拒否もその一環じゃないといいけどね。
多数派の利益が「絶対」になり得る宗教をもつ日本。蝕まれても天災のように受け止めそうだけど。

まったく、イギリス帝国をイギリス連邦へ転換させたガンジーのような思想で、多国籍企業帝国の台頭から早めに切り抜けられないものなのかしらねぇ。



大日本帝国といえば…先の大戦。アメリカによる石油制裁がきっかけで真珠湾攻撃になって。攻撃を機に、戦争できる分の石油が送られ始めたという記憶が。もちろん、日本企業も儲けさせて頂いている。企業にとって国家は利用するものだったから「新世界秩序」なんて言葉は今更なのにね。この成功体験は根をしっかり持っているから、経済と軍事はやっぱりごちゃまぜに考えても良さそうだ。
食べ物が戦争のきっかけにならなきゃいいなぁ。

そして、続けさせられてきた戦争で喪ったものたちを忘れていいんだろうか。

帝国主義は勘弁して。





空気読め?日本人の宗教は その2 [雑感]

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03
を簡単に、ざっくり現在の解釈をまとめてみました。みたつもりなんですけど、また色々つなげたくなるし、はしょるしで余計わかりにくいような。
プロは内容をいかに制限をしていくかがプロとのことらしいのですが。プロじゃなくすみませんm(_ _)m


日本は資源がないなんて言われるけど、それは近代経済の話で、まずこれが前提[↓]

[新月]土地が豊かだから、そこで一生懸命農耕すれば自給自足して食べていけるはずだと遺伝子に染み込んでる。野生のニホンザルみたいにリーダーはいらない集団だった。

そして、絶対的な存在に従うよりも群としての嗅覚に従えば間違いないという経験則が身についてる。(それが『空気を読む』能力につながる。)


それでも決定が必要な時は、カシラが利益を調整するというカタチをとる。当然まとまらないことが多いので、日本の典型的な会議しかり、議論のスキルはないので、利益調整の根回しのもと、あらかじめ作ってあった結論に従うことが必要になった。『まず結論ありき』の会議。理知的な少数派の意見より重要。

議論しなくても利益を享受できるから、決定はまかせておけばいい。基本、自分は場で勤勉にしていれば食べていけるのだから。

だから、自分たちが主体として動かなくても利益分配してくれるカシラを求めてる。
自分では考えられないから、勤勉の場を与えて、コントロールしてくれるものを求めてる。

このこびりついた思考パターン、行動様式が『日本教』なんでしょう。

自民党時代も、日本は最も成功した共産体制と言われてたけど、こんな利益分配が可能だったところからかな。
ポピュリズムを発揮する政治家は「みんながそう言ってる」を優先し、最も日本的だと思える。


だから、活断層しかり、絶対より相対の国日本!共産理論発揮。
「科学」という絶対よりも「皆の利益が優先」されるべき。地元がいうから。
そんな理屈の方が日本人の感覚に近いから民意が得られ易い。
目的がいつの間にか組織を維持する為、組織に忠誠心を示せることにすり替わっても自覚出来ない。

確かに一部で債務超過になる。
そしてどこかが儲かるとトリクルダウンで皆が潤う、と米国で否定してみせても、日本では今だに本気で信じているのも日本人の共産的な感覚に合うからなんだろな。どこか平等性が保たれると感じるや否やそちらになびく。

この思考パターンは日本をどこへ導くのかしら。



現代でも体験しているけど、昔はもっと「ふわっとした」「みんなそう言ってる」で動いていた群れだった。キリスト教伝来によって、絶対の概念が入りこんで、やっと国家の体裁を成したらしい。

国家の体裁を成したのが神道による原理主義だから、「前後レジームの脱却」とやらは、国家の心理的成立当初に回帰を望む無意識が、原理主義を必要としているのかなとも思えてしまう。

勤勉にしているのに身動きが取れなくなって不安要素が強くなると、コントロールと勤勉性を発揮させてくれるものを強く求めるので、原理的な要素が入り込み易く、あんな風に戦争に邁進していってしまう。。

不安でも、ある程度は平和で勤勉が成功につながっている状況では、基本的にリーダーが絶対だと思ってるわけではないので、上から目線で懲罰を行うんでしょう。ボスではなく基本平等だから。資本主義のサービスの概念がその感覚にマッチして後押ししているからまた。そして、勧善懲悪物語の爽快感が染み込んでいるからまた。スカッと感で誤魔化さないと気分が上がらないかのような中毒者も見かけるし。


全く、この思考パターン=民族性は日本をどこへ導くのやら。

そして、この民族性は、本来、繰り返し繰り返し再生してくれる命の芽吹きがあるからこそ、成立するもの。
経済は繰り返し不能なのに…。先送りというトリックの中で無限という幻想を見せてくれるだけ。

なのに、日本は
・農業の衰退(選挙が終わったら経団連優先)
・遺伝子の断絶(国土強靭論の名のもと種を蒔く)
・人の断絶(自然発生でもあり、帝国主義的手法でもあり)


こんな昔話は今の話かもしれない。

山姥からお礼でもらった反物は毎日毎日お米を出してくれてくれました。
ある日、この反物の中にはさぞかしたくさんの米が入っているのだろうと思って、切りきざんでみましたが?

もう、切り刻んだら出してくれない。

そして、私もまた「ふわっとした」誰かに任せておきたい感情に支配されていて加担してる。

疲れた。




小室直樹宗教「日本教」①

絶対より相対の国。皆が困るで通る。これは正に教義でこの論法が民意を得易いという悪循環にある。社会学者、小室直樹が同調圧力への弱さや勤勉性にすがる特質を『日本教』の信者だからと定義づけ戦争に突入した理由を明確にしています。
http://youtu.be/svBTxN82pVA





[覚書追記]
① 決して自虐ではなくて文化。日本は支え合う意識が身についてる。カウンセラーがいらない。
(河合隼雄)阪神大震災当時

② 対立しない文化は誇っていい面も。対立して出る答えは正しい答えではなく強い者の答えだから。(河合隼雄)
分け隔てなく与えられるべきという母性社会。
権利や宗教など、絶対的なものの持つ危険性をあいまいにくるめる利点と、絶対的なようなものをあいまいに絶対たらしめる危険を持つ。

③ 自立するには大がかりなイニシエーションを必要とする(河合隼雄)個の自立を目指すのは西欧的発想。

④ ひとりひとりは
場によって役割を勤勉にしていれば生きていける [自分dividual]行動パターンvs 絶対神と契約するので分断出来ない[個人individual]の西洋心理に基づいた行動パターン、でともすると矛盾がでる。(絶対神との契約による分離が民主、立憲主義などの近代システムの発想の礎。)この矛盾は大局的な発想に必要。(平野啓一郎著書参考)

⑤ 誰も責任を取らないのは日本的思考パターンでは当然。なのに勧善懲悪のスカッと感で気分を誤魔化すパターンも蔓延。釈然としないけど、しょうがないとも思ったり。だからこそ勝馬に乗りながらの鉾先は、よりスカッとする方向に。そして罪を自らのものとして内包する日本的な面も失いつつあったりと。。矛盾が発生。

⑥ 懲罰の爽快: 原発事故の原因も電力会社ではなく、時の政府が起こしたという構図が民意を得ると踏んでいる。
古来より時の権力はまつろわぬものを鬼(内包できない他者)として退治しその行為を物語で正当化している。治安維持法がまさにそれ。そしてまた。

⑦ 自分達の性質を知らなすぎだから、繰り返す。日本教基督教派があるだけだったり無自覚なのも特質。農耕民族は日和見が正解。時制に弱い特質を持つ。リベラルを弾き『肉屋を讃える豚』の姿は私たちの根っ子にしっかり繋がっている。前回も反対しているはずなのに、何故戦争に?という疑問も検証した方がいい。

⑧ この国の民族性の濃淡は活路。そして
『二国に分断して支配する』のが帝国主義のセオリー
現実的って何だろう。戦争や原発はどれだけ非人道的だろうが、世界中で最も大規模なビジネスとして世の中を回しているのが現実なのだから、そういう意味で最も現実的。細かい金の話も結局そこに集約される。
[事実]を誰かが困るという道筋をつけた[解釈]に変換すればいい。戦争が無くなれば兵士が失業するから必要だという具合(日清戦争)。正当に人権を保障し自然を保護するならば高くつくはず。代償を何処かに押し付けるから美味しいビジネスとして成り立つ。廃棄物は元植民地に棄てられる。どんなビジネスか見たくない。勤勉も盲目を産む。無知が美徳の日本人的特徴。多国籍企業「バナナと日本人」より  

足元を支えるのに懸命だからこそ長い視点が持てないもの。足元よりも長い物が見えるもの。その違いなだけ。
民度を利益分配の尺度にしてよい?リベラルはその視点の長短の融合から産まれるはず
ニコ論壇2012「現代日本の思想~民主主義からネットまで~」 東浩紀×片山杜秀×萱野稔人×宮台真司 http://t.co/hEQ20oQE

⑨ 米を無限に出す反物は母なる大地、無限性を持つ「母性」の象徴。【短い災害と長い恵み】の記憶も刻まれる。津波も火山の噴火も一瞬我慢すれば農業に恵みをもたらし、リセットがかかっても確かな再生を約束していた。…火山の噴火を戦争に置き換えていやしないか?

人間には[母]はいつでも許してくれる、無限だという幻想も染み込んでいる。
これは(心の支えという強み)を産みながら(何をしても許されるという甘え)も産んでいるのだろな。



<リンク>オピニオン
経営における父性と母性(前編~
母性回復のマネジメント2009年11月06日井上岳一

日本的なものの実態は(日本教)(母性原理社会)と学問の分野別に名前を変えて様々にアプローチされてますが、このリンク先が手っ取り早くわかるような。周知の話と思いつつ一応。

[更に追記]13/11/10


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