ヤンキー先生のたからもの [本]
生徒に借りた。俺は他の教師と違う、という箇所には辟易するけど、
関わりを温かく丁寧に描いていることに好感。
登場する生徒たちが文章の中で確かに生きている。
子どもの頃からの問題行動。周りにはやしたてられ大人に怒られる。
自己顕示欲の強い子どもは、教育という名の下で大人から叱責を受ける。
本来、自己顕示などする必要のない存在であることを忘れてはならない。
自己顕示の訳は?
やがて彼が怒られるたびに仲間達は冷笑するようになる。そして、その先はまっしぐらに。
でも、夢中になれることが学校で探せて・・・
矛盾を抱えきれなくなった彼女は中学で『男』に逃げた。いつも甘い言葉をかけてくれた。
私のいる世界の全ては意味のないモノだと思え、彼氏中心の世界にのめり込む。
でも結婚の話が進んできたとき、全てから逃げたくなって叫び出す。
教育という語源が『引き出す』という意味をもっていることはよく知られている。
だが、昨今の教育現場では、学力一辺に偏り、本来の機能が十分に果たされているだろうか。
「体育しか出来ない生徒」と「体育ならできる生徒」というのでは雲泥の差がある。
『得意気な人間』と『惨めな人間』しか生み出さない。でもそうじゃないだろう。
本来の目的は『幸せな人間』を育てることではないだろうか。
劣等感にうちひしがれた彼は暴走していくが・・・
北星余市に辿り着いたそれぞれの生徒が、すぐさま変わるわけでもなく、
紆余曲折をかかえながらも、自分の人生をみつけだしていく。
それは確かなドラマだった。
中学3年生。
勉強ができなきゃ価値がない。そんな感じの発言も耳に入る。
だから差別的な言動も出てくる。
同時にそれが勉強をする原動力になってもいて、
反抗的な態度もかわったりする。
でも、勉強できることと、人間の価値は直結しないんだよ。
勉強ができる様になることで、広がるのは自分の可能性。
勘違いはしないで欲しい。
でも、逃げる理由ばかり、思いついて
そこにすがっていることは、価値云々以前。
今は自分の未来と確かにつながっていることを、
どこかで確かめて。
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