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ガタカ~遺伝子で選別される世界 [movie]

『Gattaca』(1997) SF映画 Director: Andrew Niccol


切り落とされる爪、抜け落ちる髪、剃り落とされるヒゲ…それらが青をバックに大写しになって音をたてて落ちてゆく。それらはまるでオブジェの様相を持つよう。

マイケルナイマンの放つ優しく悲しいメロディがそのオブジェに感情をもたせるけれど、スローテンポなので見る側を深くまで引き込んでいくのに十分で、展開を不安にさせる。

落ちたそのオブジェは人間が生きていて付き合うものでありながら、あまりに瑣末なもののはず。
なのに、この映画の世界ではそれが個人の資質そのものを示し、この世界での在り方に直結する物証。まるで分身のような扱われ方をする。
そう、それらはDNAを示すのに十分だから。


この世界は、生まれ落ちた時から寿命が予測されるばかりか、性格、能力、負の因子の発生する確率が全て、プロフィールとしてデータベースに落とされる。つまり、その世界での位置付けが確定されてしまう。人種も血縁も関係なく科学的に差別される時代。

情熱も、努力も、その世界での位置付けにはなんの意味ももたらさない。

だから、夫婦は気に入った遺伝子を選びながら、子供をデザインしてオーダーするのが当たり前。

情熱の赴くまま生まれ落ちた子供は「神の子」または「不適正者」として差別されていた。

この映画の主人公「ビンセント」(イーサン・ホーク)もその一人。生まれ落ちてすぐに遺伝子判断で心臓疾患が発生する確率99.9%、寿命30歳とされ、父は自分の名前を継がせなかった。かたや遺伝子操作で生まれて父の名を継いだ「アントン」。

やはり優秀な弟と能力の差は大きくて、海での競泳も彼を惨めにさせるに十分だった。
けれどもビンセントは「宇宙飛行士」になるという夢に支えられていて、懸命に努力を続けていた。
なのに宇宙機構「ガタカ」は不採用。なすすべをなくしたその時、海での競泳で弟に勝つ。
その奇跡で自分の可能性を確信したビンセントは、家を出るのだった。

そして、彼が選んだ手段は、優秀な遺伝子を持つジェローム(ジュード・ロウ)になりかわることだった。
ジェロームの尿によって遺伝子検査をクリアしたビンセントはガタカに入社。日々の遺伝子検査をくぐり抜け、出世していき、見事、土星の衛星タイタン行きの宇宙飛行士に選ばれる。
けれども、あと一週間で出発という時に、彼を疑っていた上司が殺され、現場には不適性者のまつげが残されていた。そして彼の顔写真がガタカにあふれて…どうなるビンセント!


と考えさせられる背景に、スリリングな展開、ロマンスも加わった、長い長い一週間の物語。
"Gattaca"のスペル、クレジットで強調されるGとAとTとCは、DNAの基本分子であるguanine(グアニン)、adenine(アデニン)、thymine(チミン)、cytosine(シトシン)の頭文字


どうせやっても出来ないし…と逃げるくせがついている時、どうせこいつは…と相手を諦めるくせがついている時こそ、見るべき一本かと。

私達も社会で、組織に必要な要素を主観で選別されて差別されている。映画の世界は能力選別を遺伝子検査で合理的にしているだけ。どちらもどこかで可能性を遮断している。

だから社会での選別を経験している私達も、勘違いしてない限りは、登場人物達に想いが行って心がざわつくはず。


私は後半、弟と出会った部分から、二人の想いを考えてしまい、涙が出てきて、その後もいろいろあって涙が止まらなくなって、一回めはしっかりみれないままでした。

タオルが必要な映画です。



このあとはネタバレ。
観てない方は観てから読むことをオススメします。


The Departure ~ Michael Nyman









「ガタカ」は最前線の職場だけあって出社ごとの遺伝子検査に抜き打ち検査もある。
対策として彼は毎朝執拗なまでに身体を擦るのだけど、その映像から、(自らが認められていない現実を身体で受け止めている)ようで悲壮感がひしひしと伝わってくる。


半面、選ばれ、作られ、役割を果たす為に生まれ落ちた適正者ジェローム。「化け物」といわれるまでの能力に、孤高の立場を強いられ、あげくの果てに結果を出せなかったら…。
銀メダルに甘んじた苦しみに耐えられなかった。

思わず浮かぶこの言葉
「2位じゃだめなんですか?」

彼の生き方は「役割を果たすこと」で、「夢を追うこと」ではなかった。

だから、ビンセントに会うことで、夢を知り、約束された長い寿命から解放されることを選択していく。

産んでくれ、と頼んでないのに産まれてくる苦しみ。人間誰もが持つ苦しみだけど、彼ら「適正者」の苦しみはどうなのだろう。
(「選ばれて産まれた」と宣告されたから苦しいのか、宣告されてないけど選ばれて産まれてくればどうなのか、そもそも偶然の神は選んでないのか、考えるときりがないので置いといて)

神ではなく人に選ばされた「生」だからこそ、解放の瞬間は自分が選ぶかのよう。
永い契約から解放された時、彼を包む炎は優しく激しくて、銀メダルを金に輝かせていた。

そして、その炎はビンセントが乗るロケットの炎と同期していて、ビンセントの「宇宙という生命の起源に帰る」というナレーションとともに、ジェロームの想いも宇宙に運ばれていくようだった。

涙。



精悍な顔つきのジュード・ロウが荒んだエリートを演じきっていてぴったりだった。

あと、恋人アイリーン役ユマ・サーマンの美しいことといったら!
『パルプフィクション』のバイオレンスな美しさが鮮明だけど、近未来の少し人工的なキャリアウーマンも決まっていて、彼女の美しさも見れて得した気分。遺伝子に欠陥があるとの設定も、彼女にはかなさの美を添えるみたい。あ〜美しい。

ビンセント役のイーサンホークは、エリートのくせに歩き方に腰が入ってないというか、歩き方がふらふらしてたり、人間味を出す為なんだか、へらへら笑うものだから、ハラハラさせれっぱなし。とはいえエリートの風貌も見せてたから、難しい二面性をバランスとって演じてたわけだし良い配役と言えるのかな。

あと、ガタカの遺伝子検査技師とのやりとりがたまらない。右手…。そういうことなのね!

「立派なものを…」
「先生そればっかり」

遺伝子操作に作られたんじゃなくて、神の子だからこそ。彼が選ばれていることを暗示しているみたい。
生命の維持に必要なものを提示する役割。
社会システムを打ち破る可能性。
諦めは天下の大害なり(墨子)。
可能性はあるんだよね。






※ガタカの世界感に思うこと


新聞を読んだら、「友達の多い人は記憶の処理や情動反応に関係する脳の扁桃体、灰白質の量と相関がある」んだとか。身体の機能が社会での性質も決めているらしい。〜研究が好奇心を越えて、人を限定してみせる世の中も遠くなさそうで、複雑。


悲しいことに日本では放射能によるDNAの破壊がリアルタイムで進んでいるのよね。細胞分裂する成長期が壊れ易いんだっけ。一度設計図が壊れると壊れたまま。このガタカの世界ではかなり生きにくそう。いや、遺伝子の選別技術は「救済」につながるのかしら。


あと、生物学的に考えると…
福島伸一さんの言葉で、なんだっけ。NHKいのちドキュメントで、パンダは草食じゃないのに、栄養効率の悪い笹を一日食べて、余計なカロリー使わない様に食べるか寝るかしかしてないって話っで言ってた。要は『棲み分け』。なんて言葉か忘れたけれど。
生物は「種によって生きる場所を決めていて」自分達が食べられたらそれでよい。
人間だけが足るを知るリミッターがなく、占有の欲望に追われて、侵略を繰り返すんだとか。
で、自分を担保する分子的な基盤がないと不安で仕方ない。だから制度に頼る。


ということは、多種多様な生物の在り方を模した社会システムが、カースト制や江戸時代の士農工商やらで、そこそこに占有の欲望を制度で制御して、長々と存続していたんじゃないかな。

でもやっぱり不満は出るから

それを脱却して、可能性を求めた能力至上主義も、誰もかれもが職種を超えて侵略に加担しているみたいで、行き着くとグローバリズムを産んで、生命より経済を大切にしたりと、おかしなことになっているように思え、

そしてまた、ガタカの世界にたどり着いて、遺伝子によって職場が決まる社会が来て、それはやはり「種によって生きる場所を決めている」人間以外の生物を模した、素晴らしく合理的なシステムだとも考え、

それでも、「可能性」を限定されることを拒否し、「可能性」を求めて飛び出すビンセントのような人間が、人間の生殖を受け持つに相応しい人間だったりするのだろう。

「ここに居なさい」と限定するのが母なる生命の営みとするならば、「迎合を許さない」のが父。キリスト教では父が人間誕生の起源になる。父の作りし人の子は可能性を求め続けなければいけない。
そういう意味でも、ビンセントは選ばれた「神の子」という位置づけになるだろう。

大脳皮質が脳幹の大きさを超えたところで、人間は可能性を求める生き方を選ぶように決められているのかもしれないな。


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