SSブログ

論拠がなくても有罪?リーガルハイ2 [雑感]

リーガルハイ2の最終テーマは【証拠がなくても有罪でいい?】でしたが、何が問題なんだか私なりに整理してみました。

どうも日本では田中角栄も証拠がなくても葬られていたようです。和歌山毒物カレー事件も、三浦事件も…。

もともと、デモクラシー(刑事)裁判の目的は国家という絶対権力から国民の権利を守るものなんだそうです。

デモクラシー(刑事)裁判とは検事に対する裁判。検事は行政権力の代理者で絶対権力を背景にしているので、検事が持ち出す証拠のなかに一点でも疑問があれば無罪。そうしなければ国家権力から国民を守れない。それが理念なのに日本では空気優先になったりする…。日本のデモクラシーは戦後も成立しきれていない疑惑大でした。しかも無自覚。

司法が司法なので、論拠があいまいでも構わない事例もあるようですが。

◆それにしても、歴史を見るとデモクラシーはなんて儚いものなんでしょう。
デモクラシーはフランス革命後もナポレオンに、ワイマール憲法もヒトラーにと、すぐ独裁者のものになったり…貴重なものだったんですね。

確かにデモクラシーは歩みが遅く「民主主義」とは先送りを許すので、西欧システムの限界だと見切る視点もわかります。
ただ、これから否が応でも、グローバル、弱肉強食の過激な市場原理が押し寄せてくる世の中。民主主義なくしては、人権の視点が損なわれ、救済がないがしろになりそうなのが気になります。

その流れを、最低賃金で働く人を救うのではなく、極僅かな不正受給者を不公平だとたたいてみせる→同調する世間という構図が指し示すようなのでいっそうです。民主主義デモクラシーのもとでなくても、神聖政治シオクラシー(平安時代、ユダヤ教、イスラム原理)など、救済のシステムが愛国心などで補えるなら全く問題がないのですが、道徳心の向上、個々の家族システムへの期待、ぐらいしか今のところ見当たらず…。かえって一元的な価値観で追い詰めそうですし、それだけで過激な市場原理に対抗できるとは思えません。NPOなど民間の救済システムをバックアップする体制は今後も外さないよう、切に祈ります。

また、こんなデモクラシーの暗雲を示す情報がありました。
◆越谷市で秘密保護法に反対した市議に「反省を求める決議」可決。長い物を絶対視する政治家も増殖中のようでびっくりです。

代議士さんたちは何の為にこの場に居るのでしょう。立法者は議会で議論する為にいるんだと思っていましたが、通用しなくなっているのでしょうか。

自由な言論を持つことが立法者の存在理由ですし、そのシステムによって選ばれているような。異論を許さないことに疑問を持っていない様子が不思議です。

トップ秘書がFacebookで「NHKのあの番組はけしからん。皆さん!」とネトウヨをけしかける様は「まるでヤンキーだ」と例えられていたので、代議士もヤンキー化していると考えればいいのでしょうか。よくわかりません。


◆議員でさえも、デモクラシーや民主主義の視点から目を塞がれてしまう理由はなんでしょう。

これも全て共同体回帰への憧憬なんでしょうか。流行りの「日本万歳」と言っていれば、不安な現状に対して「日本の為にしょうがない」やら何も考えなくていいから便利さに逃げられる唯一の場所なのかもしれません。

それだけ過酷なことが待っているから、安心できる場所を指し示してくれているのかもしれません。だいたい、国が国民の面倒はみませんよという政策を出す時、解体を防ぐ為に愛国はセットというのは、政治では定石だそうですから。(小泉政権、仏、英)

有難いとも言えるのですが、これは危険だという自覚も欲しいところです。共同体回帰への憧憬や懐疑は、エヴァンゲリオンの人類保管計画やらエウレカセブンやらSFアニメで取り沙汰されて深みをもって掘り下げられていています。が、最近の「大人への通過儀礼」と見せかけての共同体回帰が、わかりやすい感動をもたらしているのが気になります。
隷属するほど人は美しくなるもの…と檀蜜主演映画『私の奴隷になりなさい』のメッセージ通り、人の本質を輝かせるのかもしれませんが、倒錯の世界は知らないので控えます(笑)

日本のような母性社会は通過儀礼として強烈な体験を必要とするらしいので無意識で求めているのかもしれません。母体にのみこまれて盲目になるという危険性を知らないので、SFを知っている人の方が信用できる気がします。


◆加えて、日本の国民性はどうなんでしょう。真面目だからルールを守らない人に厳しい道徳感は、長いものを強制する息苦しさを予感させます。
同じ意見を持つ人が集まると「集団分極化」といって過激な方向にセクト化するという実験結果があるのですが、空気を読ませて意見を言わせないならば、もう集団セクト化は必須の気がします。デモクラシーも民主主義も水の泡です。

過激なセクト化は流行り言葉も担うようです。
哲学者の鶴見俊輔さんはこう言います。

【言葉のお守り的使用法】
それを口にすればそのとき社会に認められている価値観に自分を合わせ身の安全を確保できる。はやり言葉をいうことで集団に帰属する免罪符を得、それによって論理的な思考が出来なくなった。戦後はお守りが「自由」に変わったが「国体」を使う人間と同じだ。

とのこと。戦後の【自由】も平和も皆が言っていることを自分のもののように組換えて唱えていただけの人が多いのかもしれません。「みんな」の傘の下に居たいだけ、看板を変えて安易にお題目を唱えるだけ。サヨク?民主主義?深い内容まで考えないので、理念を実現するなんて程遠い。と警鐘を鳴らしていました。

それをデモクラシーの崩壊している司法が教えてくれた気がします。歴史的にみても『看板のすげ替え』もとい、日本での方向転換は容易そうです。

◆また、日本の宗教観と照らし合わせるとよくみえる気がします。日本は伝来した宗教の【真理】より【おかげ】を優先させてきた歴史があります。

伝来宗教をそうやって扱ってきたんですから、世界的に希少なデモクラシー民主主義も【理念】より、その【おかげ】にあやかってきたに過ぎないのかもしれません。根拠がなくても有罪になるのはしょうがないけど権利は便利、という具合に。

そして、流行り言葉を唱えさえすればいい、帰属の【空気】の方が絶対的に自分を守ってくれると信じていても全くおかしくありません。赤信号もみんなで渡れば怖くないですし。

◆まとめ
『グローバル社会で有効な御守りと国内帰属の免罪符』

実は身近な方が隣国を愚弄していてショックでした。兄弟が俺が上だ下だと…。中韓のせいにする思考停止。政党と国民は違う。国民の右傾化事情はここと同じ。経済競争とも分けないと。他民族はくくれないし、先行した経済事情は学び協力する先ではないかしら。
民主主義の御守り=【おかげ】を守るか、帰属の【安心】に浸るかの二者択一?はやめたいです。権利の父と帰属の母を分断するようなものですから。

弱肉強食の進むなか、西洋システムで民の声を照らす唯一の有効手段、民主主義(デモクラシー)の御守りを、帰属のもたらす安心感に盲目的に囚われてるうちに、いつの間にか手放してもいいの?という選択なんだと思います。

そして、セクト化を防ぐ為には…自覚する。
過激にならない為に、いろんな意見をとりいれる。そこしか道はなさそうです。

Xmas…も過ぎました。いろんな宗教をとりいれられる日本人ですもの。道はありそうです。



※空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!

【追記】論拠があいまいな例がありました。
◆報道ステーション「これまで外交上の機密が漏洩した例が一つもないのになぜ秘密保護法が必要?」安倍氏「確かに報告されていないが本当にそうとは限らない。だから立法による厳罰化が必要」
→やはり危険性…という論法のようです。はっきりした論拠はないようです。

石破氏もインタビューで「中国や北朝鮮は民主主義と違って、どう方針が変わるかわからない国です。整備は着々と進んでいるのだから何とかしないといけません。我が国は民主主義であることで遅々として物事が決まらない。米国からは秘密がすぐ漏れるからと情報を渡してもらえません。これはなんとしても、12月の予算編成の前に決めなければいけなかったことなんです。」とのこと。論拠は可能性です。
北は紛れもなく緊急事態なんでしょうが…可能性の盛り込みが過剰にみえます。

民主主義を放棄しないと中国や北朝鮮と渡りあえないと宣言しているようです。こういう危険な国に情報を渡すとは思えませんが、米国は半ば経済を戦争で支える国なので、米国保守にはおあつらえ向きなんでしょう。しかも、日本も戦争で経済を回す流れを着々と進め、ロボットで確かに儲かる都合のいい国なので体制なんてどうでもよくて情報を回してくれるのかもしれません。太平洋戦争開戦時のように無用な疑心暗鬼をもらたす情報でなければよいのですが。成立時、若手議員から上がった「空気読めよ」のヤジが今の民度を物語っていそうです。言論のない一元的な議会。空気が絶対。

司法が論拠に基づかなくても成り立ったりもしているので秘密保護法は正当に運営できるとは思えず不安大です。北朝鮮とわたりあう為だけに捧げる儚いデモクラシーじゃないとよいと思っています。

nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。