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宗教国家日本考 [雑感]

あけましておめでとうございます。

新年あけて早々夜中から、今年は妙に激しいお囃子を聴きながら宗教国家日本考。みっともない憲法を改正したいという首相の真意を考えました。

神の作った地球が回るはずがないとした時代と同じ。思うに、日本国を作ったのが神なのだから、国家権力の暴走を國民が監視するなんて畏れ多いことをよくもサヨクめ、というのが本音と仮定してみます。

西欧近代システム(立憲、資本、民主)への閉塞が、原理的シオクラシー(神聖政治のこと。ユダヤ教、平安時代など)を推している。そこに米国からの自立があるなら沖縄知事もほだされるわけでしょう。

このシオクラシーは明治以後、吉田松蔭らが日本神話を再構築した一神教基督教原理を模した神話をベースにしていそう。だから基督教の「神が作ったものは規則正しい」(無理数を認めなかったピタゴラス等々)という思想も含まれていて、弱者難病者は穢れだから切捨て法案続出なのかもと思うとなんだかいろいろ合点が行くんですよね。この美意識…。そうなったら基督教の救済精神どこへで松蔭はどう思うのでしょう。

また、古来神話の日本を統一するにあたっての暴力部分だけを視て正当化していそう。統一を邪魔するものは、やまたの大蛇、鬼(他者)として片付けます。不当逮捕の増加は噂だけ?布教だから話し合いも進言もできません。美意識に自然環境やら多様性は含まれない宗教。むしろ公共事業と軍事という権力のもつ暴力こそ弱者に役割を持たせて救済する美しい手段として掲げます。ただの利用なんですが…。そして美しいから国際的にも認められて当然という驕りもありそうです。

神は当然、民の為にあるのではないけれど為政者は?日本は一神教ではないことも忘れないで欲しいものです。神が望むことを決めるのは誰?神話にあるという「世は民の為にある」という一節を見落としていないかしら。

秘密法案にしても米国と対等が当然+国の政の神聖視では?
日本の良さは近代契約が無くても(絶対の危険性をあいまいさで包む)から回っていたところなのに、(絶対の危険性をあいまいに絶対たらしめる)という、日本的な素晴らしさを欠如に変える愚弄にみえます。
順法精神の美点も自主規制をさせ活力を削ぐ方向に働かせているようです。内向きが理想なのかしら。


国際的な振る舞いの変化はどうなるかしら。ユダヤ教はじめ宗教的縛りがないとほぼ何をしてもいいのが人間。(日本は主に母性原理故の空気と身内の眼が縛り)このシオクラシーの道義の縛りは、むしろ弱者を序列化、利用することは良しとして無慈悲なグローバルを繰り広げそうな予感も。経済植民地の入れ子の拡大。米国は帝国手法を模倣する先。自国も他国も土壌は汚さないで欲しいもの。願いが過ぎるかな。現実だからしょうがないで歴史は何を招いたかな。

さて、もしこの通りなら心理的ベースにあったものの正体は。
今年はこの国の中空構造を持つ本来の神話と、明治の統一用に作られた神話と、そして今の、美しい秩序で皆が幸せに平和になる為だという神話との違いを確認してみようかな。カルトを他者として処理してきた戦後の反省を活かして。
初日の出に祈ります。日の本の国、日本。太陽が銀河を公転してると話して裁判にかけられませんように。


あぁ、新年早々ややこしい話ですみません。
夕べは手巻き寿司につぐ夜中のお蕎麦でお腹いっぱい。お蕎麦屋さんのお蕎麦なんで丁寧に一人前ずつ50秒ずつ茹でてから水で締めてぬめりをとってエビ天と食べました。茹で加減もよく蕎麦の味が濃くて最高。長く細く
美味しいものの食べられる年でありますように。
今年もよろしくお願いします*\(^o^)/*




【追記】1/6 
こんな『知性』に巡り合えてとりあえずは人心地着きました(^O^)/

田中優子 法政大教授『靖国神社は、伊勢神宮を頂点とする神社本庁組織の中に入っていない。国家によって理念的に作られた神社もどきであって、土地と結びついた伝統的な日本神社ではない。いわば「新興宗教」の類い』http://t.co/yrFpAK0Nh2

岩上安身『今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々〜、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか』http://t.co/4FfRmM9Xan

現代にも勝海舟と尾崎行雄のスピリッツが蘇りますよう切望します。


1/8 西欧が立憲主義に政教分離と絶対的なものを分離させてバランスを得てきたものを、日本はわざわざ曖昧に融合して絶対たらしめる。アイデンティティがないことに気がついての父性的絶対を求める手段が融合という状態は実に興味深い。中空への父性発露。絶対的なものに対して①祀る②俗化する③対峙するという内在化と④否定するの選択肢があると考えると、今回示された方向は②から①に移行しての内在化。西欧の③(分離によってなし得る民主という内在化)は放棄といいつつ、③を知って明治期に始めて触れた概念「愛国」を用いて、それを伝統と言い切る矛盾。
下手なパクリ音楽を聞かされている気分。

1/18 あと一つ脅威にさらされた時の内在化の手段として【⑤真似する!】自民党の改憲案と中国の憲法はよく似ているんだとか。日本の為政者は反射的に脅威国の真似をするんだろな。明治の帝国主義もだし。これを忘れてはいけませんでした。

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ミモザ

あゆこさん、今年もよろしくお願いします(__)
いやいや、難しいお話でした。
質問したら迷惑をかけそうですね(^O^)
by ミモザ (2014-01-05 19:27) 

あゆこ

ミモザさん、今年もよろしくお願いします!ややこしい話にコメント嬉しいです*\(^o^)/* タブー視しないようにしたいところ…どんなことも柔らかく捉えられるミモザさんの語り口を見習いたいです!
by あゆこ (2014-01-06 07:49) 

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