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ぼくが愛したゴウスト 打海 文三 [本]


ぼくが愛したゴウスト (中公文庫)

~初めて一人でコンサートに出かけた夜から、11歳の翔太は周囲に違和感をおぼえる。人間にないはずのものがあり、あるべきものがない「こちら側の世界」の実相が、次第に立ち上がる。家族の愛なしに生き残ることができない少年は不条理に適応しながらたたかい続ける。
完璧ネタばれ。





なんの先入観念もないまま読み進めていたので、展開にびっくり。
ミステリ?パラレルワールドが出てきたからSF?と思ったら認識論?
ラストは夢オチかよ~といってしまえば元も子もないのだけど。
収まりのつかない読後感に何度も意味を考えさせられる。
展開に賛否両論あるみたいだけど、
自分を認識するものの揺らぎ、がテーマだと考えると
この展開が完璧だと思えてる。


もともと、生きている実感は、
周囲の人間との関係性をよりどころにしたり、
身体に感じることで得ようとしたり、
あやふやなものだけど、
この話はその不安感が、章を重ねるごとに大きくなっていく。

まず、パラレルワールドに迷い込んだという確信。
自分以外の体臭は腐卵臭という孤独感。

次に、排除され隔離されるとという特殊な環境に置かれ、冒険ものの様相を帯びてきて、
いつか現実世界に戻れるのかも、という期待感を抱かせたりする。

そして、自分以外は「心」がない。感情は自動的に出力されているだけということに気がつく。
感情の出方は矛盾がないだけに彼は混乱するが、パラレルワールドにリンクしているから、と説明される。
・・・信じていいハズの関係性もここで、彼らを演技している周囲として認識され、揺らいでくる。

でも、愛を受けることで、もう、大丈夫だと言って見せ、日常を生きていく。
しかしこれは全て、電車に轢かれた自分の脳内が作り上げた世界ではないか、という疑念が渦巻く。

それでも、更なる段階の愛を受けることで、もう、大丈夫だと言って見せ、日常を生きていく。
身体で感じることを拠り所にしながら・・・


想像しただけで怖いよ。文中、断定はしていないけれど、
死んだ瞬間、走馬灯のように過去を見る様に、彼は未来を見、
確実に年月を重ねて成長して、関係性の中に生き続けていく状態のようだ。

心がないが感情の出力には矛盾がないという周囲は、夢の中の登場人物の在り方にも重なってくる。

腐卵臭は腐乱臭・・・。
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