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何でも俗化させる日本人 内田樹が語る「ナショナルストーリー」 [雑感]


嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト



アメリカで「ナショナルストーリー」がヒット。素人から投稿された「嘘のような本当の話」をまとめたものだ。

じゃあ、日本でもやってみないかと内田樹さんと高橋源一郎さんに白羽の矢がきて承諾。で、日本で「嘘のような本当の話」を募集したのだけれど、そこで日本的な特徴が見いだせたらしい。

それは、
「日本では俗化してみせる」
んだそう。どんな強烈な体験でも深刻にしすぎない。身近にある話にしてしまうのだという。

その理由として、内田樹さんの解析は、日本には「絶対的な善」がいないから、「絶対的な悪」に立ち向かえない、耐えられないんだという。つまり、アメリカでは一神教を信仰している民族だからこそ、強烈な体験を語れる。
良い悪いではなく根っこにあるものの違いが体験談の表現にもでてきているという。

原発の扱いにしても、西洋では「荒ぶる神」として丁寧に囲って厳正に対策をとっていたけれど、日本では「俗化」させていた。これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。

『刑事ドラマ』を見ていても、アメリカでは犯人はマッドで理解しがたいという設定が多い。かたや日本では・・・ご存知の通り。
※※※

ん?と思う部分もあるけれども、ひとつの整理の仕方だと思う。

また、震災後、地震、津波、原発と「荒ぶる神」の脅威を知った後の投稿はどう変わっているか、も語っている。変わってきているのは確かだけれども、表現様式は急に変えられないのでどうしていいのかわからない。だいたい強烈な体験後は黙るしかない。すぐ言語化できる人もいるけれども、戦争の体験は何年経ってから語られたことか。強烈な体験は言語化を急ぐと鬱になる。表現が変わるのはまだまだ先かもしれないという。

けれども、「荒ぶる神」を「無かったこと」「俗化」させようとする恒常的な心理を、時の権力が巧みに利用するようにみえる昨今。
私たちの「俗化」の傾向は自分たちでも意識していきたいところだと強く思う。


そこでまた思うことだけれど、私には日本における正体の見えないホラーの方が怖い。湿り気が違う。こんな怖いものを迎えられている日本。
一神教に頼らなくても、日本は「荒ぶる神」をどう奉ってきたのかを歴史的に紐解くところに、心理的な活路があるんじゃないか、とも思ってみる。


と書いてる矢先に…
テレビを見ていたら、映画「リング」の「貞子」が始球式をしていた。完全なる俗化。街頭で子どもを脅かしていた。なまはげ?宣伝でメガ貞子がトラックに乗せられていた。これはねぷた祭り?日本の「荒ぶる神」への扱いはこうなるの?活路は?
この映像を見たら頭が少しごちゃごちゃしてきてしまった。そして、話がまとまらなくなった。

素人の話を集めた印象はまだある。「プロは話に縛りをつけるられる。編集も縛りをつけるのか仕事。自分たちで縛れないならば、外から縛らないと」
多いに納得。

自分では縛れないな。
きっと貞子の呪いだわ〜
と私も話を俗化させてしまうのでした。



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