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葛藤と俗化の間の物語『永遠のゼロ』と『ごちそうさん』とゴースト [雑感]

(1)『永遠のゼロ』のなにが問題なのかというと「戦争は批判するが、戦没者には畏敬を払うというジレンマに向き合わない、メロドラマに逃げている」という評論をみた。感情移入できる人物を見事に並べ、戦争の葛藤に気がつかせるのだが、最終的にその葛藤を情に流しているのだという。物語の偉大さを示すと同時に物語のいいところ悪いところの両方、両義性を表しているようだ。環境の横糸を利用しながら、情の縦糸を際立たせる構造。【情に埋没させることで葛藤から救済する物語】でもあるのだろう。興味深い。


(2)『ごちそうさん』は戦争に内在した葛藤を感情移入させながら淡々とエピソードで紡いでいる。例えば、主人公の夫は大阪の市役所の都市計画部門に勤めているのだが、戦中の防火訓練の際、ガソリンをかけ始め「こんなもんじゃない。ガソリンが降ってくるんだ。逃げて下さい。」と叫ぶ。事実、焼夷弾はガソリンをゼリー状で固めたものなのでその知識を持った彼は考え抜いた末にその行動に至ったわけなのだが、組織の一員として[逃げずに消火し街を守るべし]という誰のためかよくわからない【防空法】に反したとして罪に問われる。空襲は怖くないという噂に安心を求めていた主人公。涙して彼をバカなことをしたと責めながらも間違っていないと褒める主人公。そして罪に問われて彼は去り、残された主人公は彼の作った地下鉄によって焼夷弾から救われる。(地下鉄解放は職務違反なので語り継がれていないが心斎橋で救われた方の語りが残されているので事実のよう。)
彼は「人を守る街を作る」という自分に与えた天命を守り抜いた、という物語になっている。「彼の生い立ちも含めて今まではこの伏線?」と友達。そうかも!

日々の生活を育むことも見据えさせながら、『公共性を持った個人のミッション』を大切にする基督教的な要素が【目覚めを産む物語】。恋愛も幻想で終わらせないところも興味深い。情を含んだミッションの縦糸と生活と環境の横糸が鮮やかに配された和服のよう。情が葛藤を気がつかせる構造だ。


(3)『ゴーストライターと佐村河内守』原爆や難聴の悲劇という情を利用しての自己プロデュースへの没入が醜悪であることを教えてくれている。ゴーストが一般化されていて騙される方が悪いのだとしても。
[松本智津夫もそうですが本来の自分とはかけ離れた自分が主人公の物語のなかでは倫理や良心の境界を超えやすくそれになり切れることで、周囲の人間を巻き込む強い力を持つんだと…]とコメントをもらったのだけどその通りなんだろう。
本来の自分とのかけ離れることで、自分と向き合わなくて済む。自虐も含めて責めてくる何かから、守れば守るほどの【防衛の為の肥大化した物語】は強大な力を持って周囲の救済にも接続する。

それは前回の日記の「共棲的服従」に繋がってくるんだろう。
芸能絡みならお騒がせしましたで済むけれど、それが民族のプロパガンダにつながると最悪なので気をつけたい。「国家が国民の面倒をみませんよ」という時はナショナリズムがセットなので、それ絡みの神話にも注意だろう。さらに「相手を蔑むことで自分を輝かしくする物語」までプラスすると醜悪に醜悪を重ねるのだが…その点は大丈夫なんだろうか。蔑むほど格が下がるというものだろうが、物語の作る価値観がそれを自覚させないようにみえる。



物語のなかでも、ファンタジーとは『ゆきて帰りし物語』が定番であるように、物語世界に行くことで、創造性を持って現実を破壊して再構築することで精神性の回復をはかり、現実に向き合うチカラを得る、という働きを持つのだが。(3)のように葛藤から逃げて都合のいい物語(神話)のなかに生きようとするならば、現実とのずれが大きいほどに奇異なものになるようだ。…はたからみると。(はたから見ているうちはいい。)
ただ、ファンタジーは現実に絶望した時の休憩所なので完全に否定するものではないのだけれど。
いや、すでに共同体が狭い世界の狂った物語のなかにあるならば、奇異に映るものの方が現実を見据えているのかもしれない。

『ファンタジーは現実を知っているから作る世界で、子どもの為のものではない。』と上橋菜穂子さん。
閉塞感が産み出す逃げ場になってはいけないんですよね(*_*)



(1)感情移入で現実の葛藤を気づかせてまた情に流して救済する物語。
(2)感情移入で現実の葛藤を気づかせる物語。
(3)現実を覆い隠すために再構築された物語に入れ込む為の物語。

これら毒にも薬にもなる物語だが、次に日本の宗教観や文化との関連も考えてみようと思う。

ここで思い出されるのは
【一神教で絶対善を心にもつ諸国は原発や凶悪犯罪など荒ぶる神に向き合える。それに対して、日本ではそれら荒ぶる神をも俗化してしまう、これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。】
という【俗化するチカラ】の話だ。

絶対的なものに対して①祀る②俗化する(真似する)③対峙するという内在化と④在り方自体否定するという選択肢があるとすると、まず日本人は②を選択するようだ。

日本は〜極悪人にも理由がある…哀れだ、という物語が多い、[倫理より道徳]=理(事実)よりも皆の利益が優先、行政の宗教利用、権力が絶対だからこそ分散し縛るという立憲主義の発想が根付かない、3D貞子(笑)、海外ではあり得ない神のキャラ化『聖おにいさん』が例かな?

そして、「荒ぶる神」=現実にそびえる葛藤を絶対的なものとすると、それが大きいければ大きいほど先ず俗化を図ると言い換えられるだろう。

そういった傾向から考えると、⑴の『永遠のゼロ』といった「葛藤に向き合わず情に逃げるメロドラマ」は、「向き合うべき葛藤を俗化しての昇華」であって葛藤に向き合わない為のツールとしての物語。日本だけの大ヒットは当然なのかもしれない。

お、ここに「STAP細胞」騒動。
論文の公表に際しての騒ぎに対しても「海外の報道は開発への期待と倫理面の問題点を大きく取り上げているのに、割烹着のリケジョ報道が大きいのはおかしい」という指摘がなされていたことを思い出す。まさに象徴的な俗化ではないだろうか。

俗化の作る物語は楽しみを与えてくれるから悪いとは言えないし、絶対善があるからいいと言うものでもなく、絶対神を持つことの危険性、強いものの詭弁の気持ち悪さを備えるのは宗教紛争をみても明らかなのだけど。
このところは、『日本人の俗化する国民性、宗教性』にあまりに無自覚なのが問題なんじゃないだろうか。
さしあたっての問題では絶対的権力に伴う葛藤を、金銭による俗化で目がくらませている間に、物語のなかに入れ込もうと何かが手ぐすねを引いているようにみえるのは気のせいと言えるんだろうか?
豊かな俗化が単純なナチスや中国の平板な全体主義国家内でのつまらない文化に入り込むことに加担していないか?


大切なことをファンタジー『獣の奏者』(著:上橋菜穂子)から学んでみよう。

[新月]俗化と物語をひいて見るために共同体の境界に行くことを恐れないこと。

[新月]物語の役割を区分してみること。

[新月]物語による葛藤の俗化を疑問視すること。

[新月](2)のように『公共性を持った個人のミッション』を胸に葛藤に向き合うこと。

あとは何があるだろう。
教えて下さい。




西門悠太郎さん(東出昌大)が逮捕される!その背景に 「防空法」 が
http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/gochisosan.html

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。…俗化の背景
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

追記『一神教と国家』中田考・内田樹:著が面白そう!

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HanageDarake

あゆこさん、こんにちは。

受け手は無防備でいることの危険性を認識しなければいけませんね。

このドラマは見ていませんでしたが、「明日、ママがいない」についても、「フィクションなんだから」という声がある一方で、そのフィクションから無防備に影響される人も少なからずいるのも事実。
だから、いまだに迷惑メールなんかが横行しているわけで…。(←余談ですね。)

Twitterで「こういう時のためにアニメがある」といったつぶやきを見た時に「なるほどな」と思いましたが、あゆこさんのおっしゃるファンタジーでもそうですね。
代替的な問題提起。
「明日、ママがいない」も「家なき子」ぐらい突き抜ければ、もはやファンタジーとして問題視されなかったのではないかと思います。

話が難しいので、見当違いのことを言っていたら、すいません(^^;

by HanageDarake (2014-03-13 11:57) 

あゆこ

HanageDarakeさん
こんにちは!コメントありがとうございます^o^

物語って無意識にすんなり入り込んで、自分の欲求やら意見とやらに化けてきますから、無防備は怖いです。

相対的に振る舞う習性を持ってるからこそ、集団でプロパガンダの物語世界に入り込んだら…と想像すると、目が回ってきます(*_*)

『明日ママ』
福祉関係って、ノンフィクション番組のカテゴリーとしてとらえがちだし、めったに知らない世界。余計にフィクションなのか、ノンフィクションなのかの判別がつかなくなりがち。だからこそ、丹念な取材のないままイメージで作る物語は迷惑なので、私もイメージ世界として、ファンタジーの仕立てにした方がよかったと思っています。

そうですね!こういう物語の区分も大切ですね。
イメージ世界なのにノンフィクションのように惑わせる物語もある。
見当違いだなんてとんでもないです〜。
教えてもらえて嬉しいです(⌒▽⌒)
by あゆこ (2014-03-15 09:42) 

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