SSブログ

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教! [雑感]

一神教という絶対善を心にもつ諸国は原発や凶悪犯罪など荒ぶる神に向き合える。それに対して、日本ではそれら荒ぶる神をも俗化してしまう、これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた、と内田樹さんは語った。これは何故か。日本の宗教はどうなっているのかという課題に、これこそ!という動画を紹介してもらったので文字起こし。聴くだけでは寝てしまうので!
文字起こしに二時間半もかかってるね。私って勤勉?
しかし、これは!
ひとつのアプローチとして大きな価値があると思うので、アップさせていただきます。
いろいろ整理できました。小室直樹さんは宮台真司氏の師でもあるとのこと。分野を超えて大局的です!


〔日本教講義〕  

           ★進行 橋爪大三郎
           →ゲスト 小室直樹 


《日本教とは》

★日本人の勤勉さには日本独特の宗教性があるという話だった。それが日本教。
では、それは具体的にはどういうものなのか?
→日本に入ってきた宗教はいくつかあるけれどもどれもこれも実質的に日本教になっちゃう。
たとえば仏教にしても戒律が厳格なことで有名だが、比叡山延暦寺の開祖最澄が戒律を全廃したり、と確実に少しずつ少しずつ戒律が抜けていった。本来あるべかざるかたちになってしまった。
儒教は、儒教といっても中国ではひとつの宗教。儒教式葬式もあるのに日本にはない。戒律もひとつぬけふたつぬけ・・・

★本質的なものが抜けていく?。加わるものは?日本教とはいったい何?
→要するに役人がそれをつくる。
現実の問題を優先させ、宗教は二の次。
宗教とは違ったもの。儒教も中国では宗教だけれども、日本では道徳。
順番では。仏教では一番大事なものはこの世の真理、悟り。
儒教は政治制度を通じて人民の幸せを、大事なものの順番がある。

★日本に入るとそれは二の次。それより大事なものは?
→「人間そのものに対する好み」
島国日本に暮らしているということが大事。
例えば、キリスト教やイスラム教では人間より神の方がはるかに大事。
日本では人間の都合の方が神より大事。と考えてしまう人種。
それが日本教の特徴。
日本では神様仏様って並べておく。それは仏教の立場からすれば大変なこと。
仏教からすると神様は悟りに至っていないのに、日本人から見れば同じにみえる。
私たちが信じているものは、ある気がしているだけで、人間が大事だということに帰着する。

★慎重に考えると、現実に生きている人間のなかには欲張りもいる。あるがままの人間が大事だとは思いにくい。
足を引っ張って生きている人間がいるからこそ、宗教に頼るのが筋道なのにどうして?
→不思議なところがエッセンス。神様や仏様は人間のためにいる。人間が幸せになるために居る。
本来の神様はそうじゃないのに日本人には理解できない。

★ということは外の宗教から来る前から、そういう考えだった?
→だが、それも理解されない。人間第一だが、表面的には神様仏様をたてておく。尊重する。
表から見て、そう考えてるだけで中身は違う。

★宗教というと行動パターンが宗教だが、日本教ではどういう行動パターンがあるのか?
→行動を作りえないのが日本教の特徴。
不思議。行動の規範がないから、何にもなれない。
無宗教といってるのは日本教を信じているということでも。
だからイスラム教が入らなかった。あのころではイスラム教は最高なのに入った形跡がない。
それは、行動パターンがきっちり決まっているから。
イスラム教と日本教は正反対の宗教。

★何を信じているか。自分以外は価値があると思うのは大嫌いで、自分の役に立てばいいや。
偉そうな人に言われてルールを当てはめるのは嫌。ということは、何でもありがいいのか?
→信じていないけれども、結論を言えば信じているのと同じことになる。
中国の孔子のようにキチンと固まった人が政治(の世界)に出てこないのもそこからくる



《働く神、働かない神》
★ヨーロッパは苦労に苦労を重ねて宗教と政治を分離して、社会を近代化した。
そうしてやっと勤勉に行動できるようになったという経緯がある。
日本はそういうプロセスを踏まないのになぜかよく働く。ウェーバーの考えにたてばとても不思議。では、勤勉に働く原因は?
→日本の神話を御覧なさい。日本では神話時代から神が自ら働いた。
アマテラスもまゆを育てていた。ゼウスは罰として額に汗をかいて働けといった。そもそも、ギリシャ時代は働くのは懲罰だった。
日本では主神が働く。
働く人間は偉いという考えも始めからなかった。これは非常に珍しい民族。仏教がくる前からそうだった。
分析したら説明できると思うけれども、先祖から 働きものだった。

★不満や疑問もなかった。でも今は、働きたくないという考えも見られるが?
→会社なんかでも、窓際族になれば日本人は居たたまれないが、ヨーロッパでは大喜び。
定年の悲哀もない。
ヨーロッパではプロテスタントは勤勉が価値があるといったけれども普通の人はそう思えない。働いていることはやりたいことじゃない。
日本人は仕事好きは宗教そのものだと思っている。

★働くことに価値がある。役に立つことを考えるのが宗教だと?
→だから、資本主義精神の一端を日本人は持っていたんだなぁ。

★はじめから、資本主義国家として成功するようになっていた?
→その意味では。

★山本七平先生の考えでは仏教神学儒教の考えでは日本人を勤勉にする考えがあってそれを日本人を勤勉にしたという考えだが、
小室先生はどちらが正しいと?
→儒教には道徳的勤勉の考え方はいっさい出てこない。勤勉は下層民にやらせることである。

★儒教では政治家が命令して勤勉になるが、日本では政治家が命令したわけでもないのに文化として勤勉が深く組み入れられているということ?
→はい。


《空気を読む》
★山本七平さんは空気という言葉をだした。空気が支配するというのがポイントのひとつ?
→それが日本の特徴。人々が漠然と思うこと。どんな宗教にもドグマ宗教の教義がある。
ところが日本教は断定も何もなくても人がそれをいいと思えばいいことになる。空気が人間を拘束するようになる。
儒教では偉い政治家がいて人々に命令をする。
キリスト教では神がいて人々に命令をする。だから絶対。

★日本人の場合は信じていないからこそ、自分の首をしめる。コントロールしてくれるものを探す。
〔神〕無き日本人は自分自身を拘束する?
こんなことが生まれる理由やプロセスは説明できないのか?困る場合もあるのでは?
言葉にならないし、合理的ではないから結果がいいとは限りませんよね?
→限りません。

★みんなが同じ感覚を持っているとは限らないけれどもうまく回っているのはどういうこと?
→三国同盟の頃ですが、最初はみんな反対していた。ところが戦後全員一致で賛成すると、こういうことになる。
「事ここに至れば賛成せざるを得ず」と訳のわからないことを言う。
日本全体の空気が、そうなったから、経験もあって理性の巧みの人でさえも反対できなくなった。
あっという間に空気に支配されるでしょ。

★「空気の研究」山本七平の本を読んでそういう例がたくさん書いてあって、大変恐ろしいと思ったが、
民主主義の合理性とはひとりひとりがよく考えて自分の意見をもって、それを、例え反対があろうと主張していくことが出発点にあるのに、それをしてはいけなくなっていることがこの『空気を読む』の考え方ですよね?
→日本の会議でよくあるのに、意見がでてこない。結論は予め決まっていて別の場所で決められている。
別の場所の会議でも結論が決まっていることがある。結局だれが決めたのかわからないことがすっと本決まりになっていく。

★こういうことを経験する。これだと討論ができない。日本人はこんなことばかりしてきたのか?
→本質的にはそう。
信長ほどの漢でも、それらしいところにもっていくけれども、「それならわしが決める」とは言わない。
最終決定はしない。秀吉が重んじられたのも、「それはこういう意見があるのですが」と述べるから。
「私が決める」とはいわない民族。
それと正反対なのが近代西洋的な考え方。マゼランが艦長になったけれども、もっと有力な人はなんぼでもいた。有力な人が人々を集めてちからを説いても通らない、マゼランが絶対・・・ところが、日本では頼朝でも最終決定ができない。

★そこの違いは?
→自分たちの絶対の価値というものが独立してあるものかどうかということに深い関連があるのではないかと思う。
神があって全員がそれに従うものだという考えに慣れていれば、神の代理人や神を解釈する人偉い人が出てきた時にはそこに従わなければならないと思う。でも日本みたいに絶対の価値があると思わないときには、偉そうな人が出てくると同じ人間のクセに、と従わない。それにはお膳立てが必要で、だからこそ全ての意思決定は全てのお膳立ての結果になってしまう。

★これが空気。日本とヨーロッパのどの宗教とも違う?
→実はヨーロッパの一神教が変わった宗教。



《日本教キリスト教》
★キリスト教は日本に二回入ってきている。一回めはキリシタンの時でこれはキリシタンの弾圧があって経緯はわりと知られています。明治時代に入って数は増えていないわけですが、キリスト教の影響は直接間接的に及んでいることは明らか。日本に大きな影響を与えていると考えていいのか?
→影響を与えていた。禁止したのは大きな影響を与えたから。日本で禁止された宗教はキリスト教だけ。

★何故キリスト教は禁止されたのか?不思議。
→チカラを持ち始めた。そうされては困るから、徳川幕府は必死に禁止した。
しかし、キリシタンがキリスト教を本当に理解していたかというと、理解していなかったと思う。
踏み絵だとかを強制した。本当のクリスチャンならば踏み絵は偶像に過ぎないと思うはず。


《日本教原理主義》
★ある人の意見ではキリスト教と明治天皇制と似ている、なぜならば神である、人でもある、そして国全体を生まれ変わらせたからだと?
→その意見をとりいれていきたい。ファンダメンタリズム=原理主義は出てきてなかったけれども、明治維新によって全部出てきた。

★どういうカタチで?
→吉田松陰とかあぁいう人々。日本の神話をそのまま教育にいれてきた。

★ファンダメンタリズムとはテキストに価値も全て何でも書いてあり、それを行動や思考の基準にしようとする考え方ですが。それが出てきた?
→徳川時代は神話は作り物とされてきたのに、教科書にも載った。ファンダメンタリズムの典型。

★これは日本教と正反対のものなのか。現状のカタチを取り入れて日本教の姿を変えたものなのか?
→後者。というより、日本教がファンダメンタリズムに徹した。
実際、20年まではその当時の教育を行っていた。

★神話を教えていた。その結果日本のどこが変わったの?
→日本が国家として誕生できた。

★普通宗教と分離して国家が誕生するのですが、日本では分離したのではなくむしろ宗教に徹することで国家が誕生したということ?
→そう、キリスト教の侵入が国家をつくる要因となった。

★キリスト教の代用品ですが、国家が宗教的な国家になってしまった?
→そのおかげで近代的な国家になり得た。

★ということは戦争に負けた後、天皇が人間宣言をして国家は宗教的なものであってはいけない、といわれ近代化のバネを失ったのか?
→そう、だから国家として変なことになっている。

★経済の価値観へのテキストはあるが、他の価値観は混迷を極めている?
→普通に考えれば世俗の経済や政治と違って個人個人が信仰を持った結果、いろんな宗教が育ってくるのはひとつのやり方だが、無関心が主流で信仰を持とうという人はむしろいない。

★西洋のような国家と宗教が分離された近代国家にはなかなかならないですね。
そうすると日本教があいまいなカタチが残ったまま、経済はがんばっているという社会ができあがっていると?
→だんだんがんばれなくなってる。

★というとあまり元気がでませんが?
こうすればいいというメッセージはありますか?
→ふぅ、メッセージなんて簡単にできるくらいなら苦労しない。
仮に私にやることがあるとすれば、他国の宗教を徹底的に理解させること。キリスト教を勉強するのが早い。ユダヤ教もイスラム教も遠い。日本人は知っているようで日本人はキリスト教を知らない。

★まとめ
私たちの宗教が一番難しい。自分たちを理解するためには、世界の宗教をきちんと知る必要があるということがわかった。
学者たちにとっても、工事中。多くの課題を残している。



小室直樹 宗教「日本教」①?

※※※

以上聞いてびっくり。ほんとに天才だわ。

それがまた昨日のなんやかに符号するわ。
午前は、勝間和代の《まじめ批判》を聞いてたのよ。国際的な経済を見通すと日本の足を引っ張っているのは勤勉さだというの。さすが外資系。改善!改善!の人かと思いきや。
官僚も企業も全て場に対して、今までの成功論に対して勤勉であるがために、じりじりと落ちていっている。本来の目的を見失っているのに気がつかない。気がつくほどその欺瞞に蓋をして勤勉に走る。パナソニックが赤字なのも・・・と続く。

つながってきちゃったよ?。日本教。全体の為の個という個のあり方。(あ、[個人]は分割不能な西洋概念だった。日本は[自分]という概念で語らねば。ややこしい。)母性社会が関連するのか???
午後は国際キリスト教大学のチャペルでハンドベルのチャリティーコンサートに行ってきたところ。
キリスト教の雰囲気を感じてきたわ。雰囲気だけね。雰囲気・・・。ん?こっちはつながってないね。


母性社会であること。ニホンザルのボス猿はリーダーではない。女たちが統制をとっている。これは気候が作っている。何かヒントはあるのか? 
? http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-01


《追記》
どんな強烈な体験も深刻にしない。身近な話にしてしまう日本人の俗化傾向も納得。
また『永遠のゼロ』というメロドラマが[特攻への批判][戦没者への畏敬]間の深刻なジレンマを俗化させる※
日米原子力協定所以の稼働理由の[大義名分]でさえも多数決機関に認定されれば、科学や、倫理的な「絶対」より、"今の"皆の都合優先の「相対」の方が「絶対」的な振る舞いをもって歩き出しそうだ。いじめのある教室の日本的振る舞いと同じで大多数のバランス重視。そして諸外国と違い「知らぬが仏」という態度が大人のふるまいと定義される日本。絶対的であるはずの宗教でさえも人の都合で変節させて来たという民族だからこそ、倫理より大多数の利益と設定されたものを信望してみる。また、現在の日本教ファンダメンタリズムが経済成長の方程式なので、経済と『社会』を混同している…そう考えると日本の状況が腑に落ちる。※14/2/25

社会学者小室直樹の資本主義講座 Ⅰ 

nice!(4)  コメント(11)  トラックバック(9) 
共通テーマ:moblog

成熟した社会の行き先は? [雑感]

■自民、過半数超す勢い…衆院選情勢10万人調査 (読売新聞 - 12月05日 )だとか。

右傾化?ダンス規制やら風営法の取締も加速するかも?やだなぁ。(erectraglide2012行っておいてよかった)
鬱憤がたまると右傾化しがちなんだとか?
うむむ

原発という国策はじめ公共事業と徴兵もどきで解消する問題は、ともすると国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。それらは低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。
いじめと救いがない交ぜの教室に似た平衡。大多数はそこそこ気分のよいものを充てがわられればよい。
暴力を監視するのが国民の役割と、社会学者、野村一夫氏は説く。http://www.socius.jp/lec/21.html
が、公の調和の為なら見て見ぬ振りが大人の振る舞いだと刷り込まれた日本人に可能だろうか。

天野祐吉さんのコラム抜粋
「経済成長の達成を公約に掲げているのには驚いた。20世紀の成長市場主義の弊害が世界のあちこちに現れ、時代テーマは「脱成長社会」。今の成長は人間の為の成長ではなく、成長の為の成長に成り果てている。そんなまやかしの目標より、政治家に聞きたいのは、明日の日本像だ。あすのぼくらが住む国の「物語」である。成熟した社会であることを受け入れた「老楽国家」の提案も物語の一つだろう。成長にこだわるから大量生産、大量消費の歯車を回す必要が出てくる。本当に欲しいのは甘い言葉?」


国家に年齢かあるのなら、身体は老朽化しているのに精神はまだ『坂の上の雲』を追いかける少年とは言えないだろうか。それでも生きていけるのはツケを後回しに加速させるマジックが暴力の中に含まれているから。見て見ぬ振りは日本では大人の証。そして、たま〜に老いた姿に向き合えない幼稚な心に自分で驚くという次第かしら。
こんな物語はいやだなぁ。

あ、ちょっと待って、老体の物語は日本は得意ではなかったのかしら?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが…」


誠実な物語が欲しい。

合唱『木琴』と山本七平 [雑感]

雨なので合唱『木琴』を聴いたら、立ち読みした山本七平の論説が浮かんできたので日記に。

中学2年の時、合唱コンクールで歌ったこの曲。話題にあがったので久々に聴いてみたんだけど、インパクト強いわぁ。

http://www.youtube.com/watch?v=LLKhXbert9w&feature=youtube_gdata_player

妹よ 妹よ 今夜は雨が降っていて妹よ 妹よ お前の木琴がきけないお前はいつも大事に大事に木琴をかかえて学校へ通っていたね

暗い家の中でもお前は木琴といっしょにうたっていたね そしてよく こう言ったね

早く街に 赤や青や黄色の電燈がつくといいな 電燈がつくといいな
こう言ったね

あんなにいやがっていた戦争が
あんなにいやがっていた戦争が
戦争が 戦争が 戦争が 戦争が
お前と 木琴を 焼いてしまった

妹よ 妹よ
お前が 地上で木琴を鳴らさなくなり
星の中で 鳴らし始めてからまもなく
街は明るく なったのだよ
私のほかに 誰も知らないけれど

妹よ 妹よ 今夜は雨が降っていて
妹よ 妹よ お前の木琴がきけない



YouTubeのコメント読んだら、なんで雨の日は木琴が聴けないのか、、、と言う問いが。てっきり、七夕気分で星空でならすようになったからかなと思いきや、戦時中は灯りを点すと狙われるので雨の日だと夜は真っ暗になったからだったのか。想像しなかったわ、、平和ボケ。

赤や青や黄色の電灯ではないけれど、灯りを求めて、妹さんは星空に旅立っていってしまったのね。不本意な灼熱の焔に乗って。

こんな音楽も楽しめない時代が現実だった…改めて胸に迫ってきた。

しかも、亡くなってすぐに戦争は終わったんだ(´Д` )
これは、口惜しさにまみれないはずはない。この詞を吐き出すしかない悔しさが切々と突き刺さる。

なんで、原爆まで落とされないと自ら終わらせられなかったのか(´Д` )


あぁそうか、と立ち読み本を思い返しました。以前紹介して頂いた小室直樹『日本教』でも語られていた故 山本七平氏。
夏目漱石同様、西洋のシステムをカタチだけ導入しているという指摘です。
良し悪しではなく文化なので念の為。タテの西洋、ヨコの東洋。尖閣騒動ではないですが、占有、利権独占という概念も西洋譲りらしいので。



『なぜ日本は変われないのか』(山本七平/さくら舎)

「日本型民主主義の構造」なぜ、日本は政権交代しても変われないの?

組織は目的のため、家族は存続のためにあるが、日本には組織(システム)という概念はなく、あるのは「組織的家族(システマティック・ファミリー)」である。そしてその「組織的家族」は「運命共同体」に転化し、組織がその組織を維持する能力しかなくなっても存続していくという。

日本軍がまさしくそうだったんですね(´Д` )

ムラの視野狭窄は必然。


組織という名前の家族を維持する為に、大切な家族が失われたという話でした。

妹よ。


nice!(3)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

『はるかぜちゃん、いじめを語る』を読んで考えた。 [雑感]

はるかぜちゃんは物事に真摯に向き合う姿勢が身についているんだろうね。IQも+されていると思うけど。この向き合う時間の長さが成熟の尺度なんだろうな。

言い換えると子役という仕事によって子どもの時間を持たない悲劇も透けて見えてくるけれども、これは役割として社会が求めたもの。

だからこそ、私たちは「イジメを受け止めている渦中の子ども」の内なる発信を明確な言葉で受けることができたのだと思うわ。

動物でも、ベッキングオーダーで優劣争いするわけだし、いじめが、無自覚なのは本能だから当たり前なのに…真面目にどこか忘れてた。


ありがとう。グサリときました。


◆春名風花、いじめを語る

“いじめっ子"が「じぶんはいじめてない」と思うことについて、
「大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく、その子の正直な気持ちじゃないかな」「ただ遊んでいるだけなんだよね。自分より弱いおもちゃで」と述べました。
さらに、そうした“いじめっ子"によるいじめは「想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない …



***

ちっぽけな優越感はなんぼのものでしょう。

一昨日、酔っ払って絡む彼女を、小ばかにしてて…。いや迷惑ぶりが目に余ったのだけど、毒舌やあからさまに避けると周りにウケるわけ。どこか周りへのサービスもあって加速するのよね。これ。
彼女みたいにならないわよ私って見做す優越感もあるしね。ウケてるからやっぱり無自覚!

酔いが醒めたら…明らかに傷つけたなぁ、って気がつけた。

でもノリだったし、彼女への愛はあるからってことで、どこか自分を許しているんだよね。
なんとか出来なかったんだろうか。
飲み会の一日ならまだしも、談話会の時間が豊富な学校で、毒舌がウケ続けてたら…と想像すると怖いものがある。



***
(り)は(め)より恐ろしい。

それにしても、はるかぜちゃん活躍の場であるテレビに問題があると思うのよね。

バラエティーがいじ(り)の常態化を加速している、っていうの?

キャラ作りが命のタレント。利害や愛で成立している。でも、こどもや視聴者にそんな区別できないもの。テレビは想像力を補う為の機能も果たすけど…。

半面、単に[いじり]をノリの手本として見せつけて、相手がどう思うかって想像力を奪っているのかもね。

ツイッターが安易に鬱憤をはらす道具だから、そこに走りがちってのもあるけど、上手な気持ちの澱の晴らし方のスタイルが蔓延ればいいのにな〜。安易なモデルばっかりに飛び付いてるのかも。

なんだかいい手本を示してくれないものかしら。

あ、発見!
相手を他者と見なすいじりか、そうじゃないか。

いじられる快感を誘う話術!
だれそれがって特定していじるんじゃなくて、お客全体をいじって自分もいじる
「綾小路きみまろ」の境地まで行けば、いいのか〜?(笑)



***
異質な他者への不寛容


あと…
想像力は働かないんだろうなっていう、いじめと同等な無自覚な圧力も当たり前にある…というか様式化?
親戚が集まると、恋人は?結婚は?こどもは?二人めは?持ち家は?とエンドレス。
個人の事情お構いなし。

他に話すことないからしょうがないんだけどね。それらは価値観を変える成長の儀式でもあるよ、確かに。遺伝子と社会のシステム上、必要だから無下にはできないこととわかりつつ…「産めよ殖やせよ」って価値感で測られる世の中よりマシとはいえ…閉口。

許せる相手ならば、自分の事情と価値感をぶっちゃけてしまうと案外、相手も新しい価値感に出会えたって申し訳なさそうに+嬉しそうになるときあるよ。

でも気をつけなくちゃいけない。こども産んで立派に育てろという期待と価値観があるからこそ、それを励みに頑張ってこれた人がどれだけいるか。今より苦労しなくちゃいけなかったからね。離婚しない人もそう。
その価値観に沿わない人は、頑張ってきた自分を否定する人にうつるんだよね。たぶん。

こういうことも想像力でプラスしておいた方がいいと思う。


***


で、また話しを大きくすると、時代の価値観にのって生きてきたって自負のある人たちは、そういう人達ほど、価値観を変えるんじゃなくて、人を切り捨てることを選んでそう。

そう、無自覚にね。
習性化してるから。

なんとかならないかな〜。




◆いじめている君へ〜経済学者の金子勝さんが大人の社会の矛盾を指摘します。

「弱い人が追い込まれ、強い人は平気でいられる」

だから「大人のまねをしないで」 





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

いじめを防ぐ集団作り。教育界は。 [雑感]

『教育現場の集団心理』の勉強をしたのでキーワードをピックアップしてみま~す。
周知の机上の話ではなくて実験やアンケートを基に論証しているので、興味深い内容でした。
([☆]は個人的雑感)


●安定した集団を阻害するものは?
・集団の複雑さ
・情報伝達のゆがみ
・異質な他者への非寛容
・教師のイラショナル・ビリーフ(高すぎる信念)
→[☆]国語力のなさもかしら

そして忘れてはいけない特徴がこれ!
●子供は純粋
・攻撃を見たら、攻撃する子に。 (動画あり)
・子供は純粋さを発揮して更に攻撃性を増す。

攻撃を見せる大人がいるのが現状。家庭に任せていられない状況にある。


ではどうしたら?大切なのは
いろいろなつながり方の体験
ではないでしょうか?



先にあげた現状において集団の安定性を削ぐものをそれぞれ掘り下げると

●集団の複雑さ・・・
4人いるだけでも組合わせは何通りあると思う? 安定させるのは大変!

●情報伝達のゆがみ・・・
自分の記憶できている範囲でしか伝わらないもの。
伝言ゲームをしていくうちに恣意はどんどん入っていくもの。 

●異質な他者への非寛容
異質な他者への評価は自分にとってのリスクが中心にある。
リスクが高い程、偏見は深まってしまう。  

ゆがんだ情報伝達をしていくうちに、どんなリスク情報が入り込むかわからない。
おのずと寛容性は損なわれていくものだと思った方がよいだろう。


では、いじめの実態はどうなっているの?

●いじめ自殺の統計
特徴のひとつとしては、少年の方が多いのはストレスによって活性化する脳の違いから。男性は問題解決脳の活性化によってかん黙になる。女性は話す脳が活性化する。
→[☆]なるほど!



どんないじめがあるの?
●いじめの四層構造  
  いじめられっ子が一人で
  いじめっ子が一人以上
  そして、観衆かわはやしたて
  傍観者 はあくまで無関心という構造がプロトタイプ


~傍観者が増えるほど、いじめ容認の空気を感じとるのかもしれない。。。
→[☆]大きそう。映画『アントキノイノチ』のメッセージだったなぁ。


でも、これだけじゃなくなってきた・・・
●いじめの様相の変化
1985年以前は上記の四層構造が適合していて
仲間外れなど関係性攻撃の比率が高い。

なのに1985年以降は≪短期化、順に一人ずついじめていくという≫というかたちになった。
また、いじめる方が悪いという世論に変化している。


典型的ないじめは動物を観察すればよくわかる。エサを得る為に戦って勝ったものが強者になる。

エサをもらう順番が世界の全てになるのが≪ベッキングオーダー型≫

(闘い続ける鶏の順位が高くなり、順位が変わっていく。youtubeに動画が!)
→[☆]独占の為に戦闘し続ける。いじめは動物としての本能と思い知らされる。

このタイプが主だったのに最近は様相が変化。対面場面での弱者がネットで強者をいじめるなど、道具によって潜在的ないじめが表面に出てきており、複雑さを増している。



では、何が有効だろうか???
●多様性、異質性の効用

多様性、異質性を認めることが大事なのに現状はこんなこと…。
≪専門化社会のブラックホール≫ (柳田邦男)2000.6
なわばりができるとその中で閉じてしまう。たこつぼ型。

:自分の専門さえこなせれば社会貢献になるという視野狭窄
:権威をふりかざす
:自己防衛、自己利益追求優先
:生身の人間への配慮が希薄化

→[☆]社会をみるとあちこちにムラ。成功体験の呪縛が強いゆえ、優先は老後の右上がり?目的は社会の成長なの?存続が目的の組織も。まず大人が解体を。唐突感もあるこの箇所。先生のなかにふつふつとあるメッセージ性を感じてみたりしました・・・。 農耕民族は未来予測するのが比較的不得手であるからこそ、強いものが設定した結論に向かってひたすら勤勉になってしまう。偏狭になることが容易に推測できます。(前出:小室直樹の日本教論より)http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03



日本人は集団に長期に居続ける知恵は発達しているが・・・それだけではいけない。
異質な集団間でチームワーク力を育むことが大事なはずなんです。



では、異質な集団といえば? その前に日本がどんな集団なのかを知らないと!

●多様性を生み出す考え方、文化
二つに区分してみると

一人一人違っていい。良い部分に注目すればよいという『自己高揚』
長所に過度に注目。 不出来は能力次第という見方をしている。

人並み以下は頑張ればいい、人並み以上だと安心する『自己改善』
短所に過度に注目。 不出来は改善点を見つける努力次第という見方 をしている。


どちらが日本人? もちろん後者。 どちらがよいではなくて文化。

アメリカでは、これは人並み以下と宣言されると能力がないからやらなくていいと判断してしまう。
産まれた時に与えられたミッションをこなせれば天国にいけるという宗教。うまくいかないことはミッションではないからと努力しないので格差が大きくなりやすい。だが、『自己高揚』は勝つ時は相手に優しくなれる要素も。『自己改善』の日本人がエコノミックアニマルに徹底し勝っても相手に優しくなれないのもこの違い。 

★★★日本でも集団の在り方でメンタリティが異なってくる。多様な価値が産まれるように工夫することが大事なのだろう。 


→[☆]これ面白い。映画『ガタカ』はその歪みを上手く描いていることがわかる!
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2011-10-30?

短所に過度に注目?ってところは河合隼雄先生の言う母性社会がもたらした平等性が原因かもしれない。基本、平等だからこそ、差異に敏感になってしまうのが母性社会でかる日本の定め。

 

 

・教師のイラショナル・ビリーフ(高すぎる信念)

思い当たる具体例を挙げてみて下さいという問いかけに…⇒休んだことが無く休みがちな同僚が理解できなくて・・・等々の発表があがっていました。高すぎる要求を浴びせられるとつらい!汗。

生徒も高すぎる信念を浴びせられてついていけなければ、承認されていないという不全感だけが残り、うっぷんが周りに行く。



では、集団を安定させるためのポイントは何?三つある!
●安定した集団づくりの促進要因
①居場所のある学級づくり 

アンケートに答えて

     P機能、規範遵守を横軸
     M機能、承認得点を縦軸  として判定してみよう。

規範も承認も両方弱いpmだとグループ間で反目する分団分離型の構造に。
PM両方大切なのは当然。けれども、まとまりと教員や集団への好き嫌いのアンケートをみると、 PM、pMの満足度が高い。Pのルールの徹底ではなく、Mの承認によって満足度が増している。教師のイラショナル・ビリーフ(高すぎる信念)に注意し、承認を与えることが肝要だろう。



②自由時間での集団遊び

③自然環境での体験活動
・自分の事だけでなく、人間を超越した自然への畏敬の念、謙虚さが醸成される。
・子供を超促成栽培しようとする問題大。本来のスピードに。
自然体験後、課題の台詞に感情がこもるようになった例もあるくらい、情緒面で効果がある!


→[☆]日本人の民族性のベースは豊かな自然。日本人のミッションは自然なくして動かないのかも。(前出:小室直樹の日本教論より)http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03



★教育心理学者の杉森伸吉先生の話はこんな感じでした。

?

[]教育界は世界的にも『インクルージョン』の流れに。多様な状況をも包括的に承認していくことに解答を求めている様子。教師は専門に特化していくんじゃなくてオールマイティにならなきゃいけないみたい。今更ながら大変だ~。お疲れ様です(―_―)!!




《ここからは持論》
[1]『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』内藤 朝雄
加害者の「全能感」を現実化する「群生秩序」がいじめの発生と加速を促すと説明。学級を呪縛と受け止め、社会学者内藤朝雄氏は学級廃止論を打ち出している。

今のシステムは場のノリのなかでいじめの容認を加速し、長期化を余儀なくしている。承認活動のない学級は、役割を果たさず害を作り上げるばかりだという。が、見ている限りでは学級のなかだけでも、きちんと承認されて、愛を受け止めている子どもも多い。廃止の必要性に至らないよう祈っていこうと思う。要はまさに、大人の社会が文中の≪専門化社会のブラックホール≫に陥らないこと、教師個人が視野狭窄にならないことにあるのでしょう。

≪専門化社会のブラックホール≫(柳田邦男)2000.6
なわばりができるとその中で閉じてしまう。たこつぼ型。
:自分の専門さえこなせれば社会貢献になるという視野狭窄
:権威をふりかざす
:自己防衛、自己利益追求優先
:生身の人間への配慮が希薄化

承認活動のない学級に集団でいる意味はない。そして、視野狭窄を作り上げている集団、生身の人間への配慮が希薄化した=社会貢献しない集団も、集団の価値はないのでは。

まずは多様性に出口を求めて、それも相入れないならしかたがない。社会的価値のない集団は解体を。
このモデリングが《集団でいる価値》を問い直すはず。この解体の知恵と勇気が未来を作る気がしてならない。

日本人に内在するこういった視野狭窄の原因を頭の片隅に置いて考えていくべきでしょう。

『なぜ日本は変われないのか』(山本七平)「日本型民主主義の構造」なぜ、日本は政権交代しても変われないの?
組織は目的のため、家族は存続のためにあるが、日本には組織(システム)という概念はなく、あるのは「組織的家族(システマティック・ファミリー)」である。そしてその「組織的家族」は「運命共同体」に転化し、組織がその組織を維持する能力しかなくなっても存続していくという。
(山本七平は『空気を読む』の著者)

会社に入ると結果よりも構成メンバーのプライドつまりは利益分配の調整の方が大事になる。この共産的な思考に気がつかず、資本主義の弱肉強食的な特権階級の占有が乗っているという最悪の状態に陥っていないかしら?

★10/9追記?覚書★ 

いじめが深刻化しているのはイギリスもだが、中学生以降は、いじめはくだらないと意見が言う生徒が出てきて解消する。少数派の言葉も耳を傾ける文化がある。  日本がそうならないのは、 ・傍観が大人の振る舞いであると周囲の大人がモデリングをしている。 ・評価が第一、何もしないことが正解だという教育のシステムの成果ではないか。 ・・・こんな識者の言葉も見逃せません。

朝日新聞 【「空気を読む」規範の反転を】 伊藤茂樹(教育社会学) / 「En Rich」のロングインタビュー http://blog.tatsuru.com/ 内田樹  等々

 

この視点も大事

母性社会日本の病理(1976)河合隼雄 文化は「平等主義である母性」と「能力主義である父性」に二分化される。母性社会日本では、その【場】における能力差は差異を感じさせ易く、たやすく人格否定に結びつく。平等だからこそ序列を求めてるんですよね。(例:年功序列など) そして、平等だから人並みである為の努力を要求する。人並みではない階級を制度として要求する。こんな視点も無視できないでしょう。


【追記】8/20

◆ぺッキングオーダーはどうして?

いじめは避けられない本能なのかしら。ベッキングオーダーという動物の順列争いは、人間が限定された場所にエサを与えるからじゃないかしら。

ニホンザルは、野生の状態では優劣を争う習性がないのに、サル山で人間に飼育されるとエサを得る順番の為だけに序列争いが発生している様子。日本は基本、肥沃な土地なのでエサが豊富で野生でいる分には順列がいらない。(まさに土地さえあって勤勉にしていれば争わなくても利益が得られるという日本民族の基本の姿なのでしょう。)人間に飼われて限定された場所に限定された量だけエサが置かれると途端にあからさまな序列を必要とする。

人間にとってサル山のエサに当たるものは、評価や地位、財産といった欲が限定品にみえるエサなのでしょうか。実は肥沃な大地と木の実がそこにあるけれど、甘いお菓子の美味しさのもたらす恍惚感には勝てないみたいなことかもしれません。

そして、人間にとってのエサは『生きていくために必要な物資』だけじゃなくて、『承認』=正当性と『自己実現』=万能感いう言葉でもくくれそうです。

マズローの欲求段階説によると、人間は『生存』欲求が満たされれば、次の段階の欲求に向かうといいます。最上層の欲求である『承認』や『自己実現』という心のエサを ”自分になりに” 補充してあげないと生きていけない、という本能(システム)が出来ているようです。

◆いじめが”『承認』『自己実現』(万能感を満たす)=心のエサ”の補充に直結していて、つまり本能による反射だったりすると、いじめている側に自覚などなくて当たり前なのかもしれません。空腹だから食べただけ。 内在論理を正当化しないと自己承認のベースが崩れるがゆえの慣性の法則でもあり。ちっぽけな優越感を満たしたいイジメ。大津の場合は悪いことをした自分を否定したヤツだからいじめたんでしたっけ?

大人の社会でも旧態に固執して苦労してきた自分を否定したくないから、批判したやつを権力でいじめる。システマティックファミリーやムラという視野狭窄が、なわばりと無関係だからと切り捨ては当然だという、無関心というかたちでいじめる。。ただの反射活動も迂回もしたりして、土地や命という人の尊厳にかかわるものを奪うという大きなことになっています。

エサはお菓子じゃなくてもいい。ムラで培ったプライドは社会になんの意味があるのか。腹八分目ということを忘れて飢餓感だけが暴走していないかしら。

今、話題のお医者様、南雲先生によると一日一食にして飢餓細胞を働かせた方が身体にはいいようですが。・・・・・・心にはさて。


加害者の人権とは? 大津のいじめ問題を考えた。 [雑感]

周りの子ども達は、なんとなく収束していた問題だったのに、今回、報道とりあげられることで、再びどういうことだったのかを考え直しているところのよう。加害者は転校しているらしいので安心している面も少なからずあるかしら。自責の念にかられて、できることをしようという気持ちを反芻している子どももいるんだろうな。
ていねいにすくいあげて欲しいと思う。

そして、証言に対して、何時何分いつどこで???がはっきりしないと被害にあってることにならない、なんて子どものケンカみたいなことを言う大人たちをどう思ったろうか。
「強い立場なら、もみ消せる。」 水俣病、被爆の補償しかり。
社会の構図を学んでしまったというべきなんだろうか。

被害者少年は、アホじゃなさそうだし明るくて誇り高い子だったと報道から伺える。
報復もあったろうに大人には状態を伝えている。「大丈夫」という台詞はいじめられている子の定常句。誇りや気遣いの証だったりもするのに、学校の言葉尻をとらえた対応の様子には驚きをもってしまった。・・・友だちには気を使わせたくなかったのかな。友だちが本人から直接訴えられたって話はなさそう。スクールカーストの中に身を投じていれば、友だちに過度の期待を持ってもしょうがないことがわかっていたからかしら。

担任の裁量が疑問視されているけれども、やっぱり大人が善悪の基準を作ってるのだから、暴走を加速させてしまった罪はあると思う。動物にはない、暴力への快楽は誰にでも内在するのだから。大人に一回許されれば「それでいい」と低い方へ低い方へ、水のように流れていくのが子ども。やんちゃな子が集まっているクラスなら尚更、あやふやにされた基準値がさらに欲望に任せるままの方向に行ってしまったことは想像に難くない。

きっと、加害者たちは役に立つし大人に関心を寄せていて、かわいい生徒だったと思う。親も貢献してたりすると尚更。そういう面が指導者の目をくらまして見過ごされていたんじゃないかしら。
ある意味、指導されてこなかった、加害者たちも見捨てられていたんだと思ってしまう。

そして、「人権」とは???
力のある大人に擁護されることによって、これだけのことをしても内省しない人生を送るのかもしれない加害者に同情を寄せる。加害者の「人間として生きていく」という、人権をキチンと守ってあげるよう力を尽くして欲しいと切に願う。。

「人のせいにしない。」=「自分があるということ。」
加害者にもしっかり自分の人生を生きていって欲しい。



≪補足≫
人が自分の権利を「主張」したいなら、それ相応の「責任」が発生する。
・・・悪いことをしたら責任を問われる。
これも立派に人権を行使されている証拠。大人扱い、人間扱いしてもらってるってことなんだよね。
罪に問われる権利ってもあるのかな。

人を苦しめても、制裁がない不思議。それを成功にしてしまう体験は、やっぱり間違っているもんね。
保身の為に権力ある大人が使う「人権擁護」の言葉は、ただの都合のためであってほんとうに詭弁だと思う。

そう。亡くなった子のためでもあるんだよね。
友だちを止められない。なんで???こうなってしまったんだろう。

そんな問いを自分に繰り返していたと思うから。



≪追記≫
NHKドラマ『limit 刑事の現場2』
「悪人には人権なんて無いんだよ。バーカ」
http://nicoviewer.net/sm12825574
を見ていろいろ考えたこと。。

シリーズ?また文化論~能の文化を見ても、日本人は人間の醜悪な面を「能面が示すように、固定されたものではなく、状況によっていろいろな面を持つ。」と肯定している気がしている。親鸞らの「悪人正機」説(すべての衆生は「悪人」だから自分は「悪人」であると目覚させられた者*1こそ救済される・・・)もある。格差とコンスピラシーの中に生きている私たち。加害者は他者じゃない。加害者への人間否定は日本人には向いていないと思った。同時に、人権をここ*1に当てはめると、罪の擁護は人権=救済される人になる権利 を守らない。


鹿をもって馬となす。原発を「安全」という人達~原子力推進システムの再稼動。 [雑感]

【馬】を「原発の安全性」。
【趙高】を「原子力産業(兵器を含む)で均衡を保つシステム(世界規模)」

と置き換えると、現状がすっきりみえる気がするのが下の話。


*馬鹿の語源の説として、「鹿をさして馬となす」があります。

 始皇帝が亡くなった後、権力を握っていた宦官の趙高が、果たして自分はどれほど恐れられているか確かめるため、二世皇帝である胡亥に鹿を「馬である」と言って献じました。二世皇帝は「何を馬鹿なことを言っておる、鹿ではないか、なあ」と群臣達に言ったものの、群臣達は趙高の権勢を恐れ、「陛下、あれが馬であることをお解りになりませぬか」と答えたとか。
 もちろん勇気ある者、もしくはその場の空気を読んでいなかった者の中には、「陛下の仰るとおり鹿でございます」といった者もいましたが、それは趙高に処刑されました。

このことより、「馬鹿」とは自分の権勢をよいことに、矛盾したことを押し通す意味から転じたという。


馬鹿には増えて欲しくない。



原発については、火力発電との二重稼働を前提にしているからコストが膨らむのだ、と新聞記事。
いっそのこと、廃炉にすれば、値上げなどは発生しない。

ところが…
廃炉にすることで、原発関連の資産は負債に転じる。株式会社という仕組み上、電力会社は潰れていくようだ。
ただ見かけの損益のバランスが価値を持つ世界。

なんらかのシステム上の出口がないと、電力会社も、産業におんぶしている政府も、原発にしがみつくのは当たり前だとも思う。

こんな仕組みにふりまわされて、経済学者さん何とかならないの?


また、巨大な原子力産業の世界的な潮流のなか、日本の役割は「原爆を落とされた被爆国でも原発を受け入れている」とアピールする駒だった。ここでの再稼動はまたしても、その駒の役割を果たそうと、日本人らしい勤勉さを発揮している結果なのだとうつる。


地震国、日本。地殻の変革に対する警告は無視なのか。

安全を想定をすること自体が自然に対する傲慢。この傲慢さは、移り変わる自然と共に生き、諸行無常を生活に織りいれてきた民族性に相反している。民族性の放棄と同義ではないのだろうか。(※玄侑和尚『無常という力』参照)

寒村の土地を蝕むことを止め、自国の資源を見つめ、ダイナミックに原子力から転換した国を手本にし、せめて脱原発に向けての方針を示しながらの再稼働を望む。




※【趙高】を置き換える言葉が実はすっきりしてない。



再稼働考察2013.3.31
長期スパンでのリスク論者と短期スパンでの資本家寄りリスク論者との対話が成り立っていない様子が見て取れる。
短期スパンでのリスク論者は、内実は軍事が経済を、暴力が国家を成り立たせてきたことを内なる前提としている。だから、長期スパンでの「倫理」的な思考と経済と国家を維持する為の「損得」勘定をもとにした思考は平行線なのは当然だ。
「原発」は資本主義的な目先の「損得」で考える思考システムの象徴であることが、日の本にさらされて、尚且つ容認されようとしている。「原発再稼働」は短絡的な経済思考システムの再稼働の象徴ということなのだろう。
これは皆の都合という「道徳」ではなく「倫理」の問題ということだろう。

これらに携わる、世界に目を向けた人々が国内と国外に向ける顔が違うことも抑えておいた方がいいのかもしれない。そして愚かなのは経済システムの価値観を鵜呑みにしてミッションを得たかのように冷笑してまわる人々だ。一体、何を産み出すのか。

【参照】 無常という力  民族の要諦


nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

野田総理の「再稼働の講演」受取り方はいろいろだなぁ。 [雑感]

新聞を読んだ。

1、再稼働こそ「精神論」?

「精神論だけでは、停電が起きれば悪影響が」と野田総理。最大限の節電努力すべきという人も「精神論」として一刀両断するのはおかしい。そして、安全基準は暫定的。「原発事故は起こさない」との決意もみせた。だが、決意がある、事故は防げる、だから安心という姿勢こそ「安全神話」の再現で「精神論」ではないのか?
国民の二分化を引き起こしている論議。片方を切り捨てる精神論は溝を広げるだけではないのか。
と朝日論説委員はまとめる。



2、「停電恐怖物語」

民俗学者の五来重さんによるとキリスト教は「天国が実像で地獄は影」、日本仏教では「地獄が実像」とのこと。だから日本人はおどしに弱い。必要な時もあるけれど根拠もなくて困った恐怖アピールもある。例を探したらありました。野田総理の再稼働のお話がそれです。安全神話に停電恐怖物語、まさに好対一で見事です。

(天野祐吉さんの広告コラム、かなり抜粋)


・停電になって経済が混乱するという恐怖アピール
・地震が来るから原発は怖いという恐怖アピール

もし単純な、ニ項対立だというのならば

どちらが対策がとれて、
どちらが取り返しがつかないか。
というところではないのか。

暫定的な稼働、とは言えないのかな。

政治家に両項を満たす日本的なダイナミズムを発揮して欲しい。


3、同意の理由、「野田首相が原子力の重要性について国民に対してしっかりと呼びかけた」
■おおい町長、再稼働に同意へ



ネットの書き込みを読むと

「反原発が安全神話を産んだ。」
説を信じたいくらい、反作用が発生していて、ニ項対立した極論が飛び交う。

というより、意図的にムードを反らす雰囲気さえある。
意識はちょっとした節電で満足させて、無関心に押し流されていた、あの頃に戻したいかのよう。

予めのお膳立てに弱い日本人。
他国のダイナミズムを知らず、決まったこと、長いものには巻かれていくのだろう。

いいの?


↓日本人が勤勉な理由、未来予測に不得手な理由、現在しか見ない理由などなど、よくまとめたブログを発見。
リンクを添付します。
http://kyosukeyamashina.blog62.fc2.com/blog-date-20120601.html2

nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

首都直下型「30年以内に70%」なの? [雑感]

地震学者自身「パーセントはなんの意味もない。」と知っているらしいわ。
余震がある=活発化しているという一つの前提のもと、98%の予報は2011年3〜12月までの余震頻度をベースにしていたからとんでも数値だったけど、余震が収まってきたから70%と低くなった。だから、これから余震が収まってきたら%が小さくなる算定になってくることになる。よくわからない…。


事前の地震、余震がどんな頻度だったのかは、下にリンクした動画がとってもわかりやすかった。

■Peter Barakan 再稼働?冗談じゃない!これを見たら誰でもそう思うはずです。
http://www.youtube.com/watch?v=eKp5cA2sM28&feature=player_embedded

2011年1月から3月、決して地震の頻度が上がってきてるとは思えないのにあの地震!
活発化してるかどうかのみきりは出来てなかったわけで…。

というか、1月から3月の地震頻度をみると日本はこれが定常的な状態だと思い知らされるわけだけど…

活発化してることは3月9日で初めてわかったのかな?
「この地震は今までの想定と異なる。十分注意しないと…」と発言していた地震学者もいたらしい。

けど、分析も確証も追い付かないまま、警鐘のタイミングをはかりかねていて…あの惨事。自身の従事していた仕事に対してものすごい疑念にかられているのだろうなと想像すると、いろいろ痛くなってくる。

だからこそ余震=活発化という、一つの正しい方程式を武器に「仕事」をしているのかな。

確率は下がったとはいえ、それでも首都直下型「30年以内に70%」
98%というとんでも数値を勢いに任せて発表した言い訳プラスアルファ。

経済活動を優先にした、今まで信じてきた、幸せの方程式にメスを入れる仕事を選んだってことだと解釈してみる。
トーンダウンして欲しくないな。

科学者の良心を信じよう。

そして、あくまで噂だけど海底調査の為の掘削ポイントが地震ポイントと一致?という話もあって、無邪気な科学に怒り、科学が踏み込んでいく限界にしみじみし、日食の感動と、今回、太陽の直径を導くに至った月探索船「かぐや」の功績に、やんややんやと思いを巡らすというかなりの矛盾のなかにいるのでした。

さて、これから太陽の直径は変わるのか?太陽の影響による天変地異も心配だわ。
地震同様、こちらの%もどうなる?


首都直下型「30年以内に70%」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2027749&media_id=2
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

何でも俗化させる日本人 内田樹が語る「ナショナルストーリー」 [雑感]


嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト



アメリカで「ナショナルストーリー」がヒット。素人から投稿された「嘘のような本当の話」をまとめたものだ。

じゃあ、日本でもやってみないかと内田樹さんと高橋源一郎さんに白羽の矢がきて承諾。で、日本で「嘘のような本当の話」を募集したのだけれど、そこで日本的な特徴が見いだせたらしい。

それは、
「日本では俗化してみせる」
んだそう。どんな強烈な体験でも深刻にしすぎない。身近にある話にしてしまうのだという。

その理由として、内田樹さんの解析は、日本には「絶対的な善」がいないから、「絶対的な悪」に立ち向かえない、耐えられないんだという。つまり、アメリカでは一神教を信仰している民族だからこそ、強烈な体験を語れる。
良い悪いではなく根っこにあるものの違いが体験談の表現にもでてきているという。

原発の扱いにしても、西洋では「荒ぶる神」として丁寧に囲って厳正に対策をとっていたけれど、日本では「俗化」させていた。これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。

『刑事ドラマ』を見ていても、アメリカでは犯人はマッドで理解しがたいという設定が多い。かたや日本では・・・ご存知の通り。
※※※

ん?と思う部分もあるけれども、ひとつの整理の仕方だと思う。

また、震災後、地震、津波、原発と「荒ぶる神」の脅威を知った後の投稿はどう変わっているか、も語っている。変わってきているのは確かだけれども、表現様式は急に変えられないのでどうしていいのかわからない。だいたい強烈な体験後は黙るしかない。すぐ言語化できる人もいるけれども、戦争の体験は何年経ってから語られたことか。強烈な体験は言語化を急ぐと鬱になる。表現が変わるのはまだまだ先かもしれないという。

けれども、「荒ぶる神」を「無かったこと」「俗化」させようとする恒常的な心理を、時の権力が巧みに利用するようにみえる昨今。
私たちの「俗化」の傾向は自分たちでも意識していきたいところだと強く思う。


そこでまた思うことだけれど、私には日本における正体の見えないホラーの方が怖い。湿り気が違う。こんな怖いものを迎えられている日本。
一神教に頼らなくても、日本は「荒ぶる神」をどう奉ってきたのかを歴史的に紐解くところに、心理的な活路があるんじゃないか、とも思ってみる。


と書いてる矢先に…
テレビを見ていたら、映画「リング」の「貞子」が始球式をしていた。完全なる俗化。街頭で子どもを脅かしていた。なまはげ?宣伝でメガ貞子がトラックに乗せられていた。これはねぷた祭り?日本の「荒ぶる神」への扱いはこうなるの?活路は?
この映像を見たら頭が少しごちゃごちゃしてきてしまった。そして、話がまとまらなくなった。

素人の話を集めた印象はまだある。「プロは話に縛りをつけるられる。編集も縛りをつけるのか仕事。自分たちで縛れないならば、外から縛らないと」
多いに納得。

自分では縛れないな。
きっと貞子の呪いだわ〜
と私も話を俗化させてしまうのでした。



リング [DVD]


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

311~あれから一年。番組を観て思ったこと。 [雑感]

あれから一年。総括の報道…。種類の異なる数々の理不尽に振り回されて、正しく怖がり、正しく怒ることへの疲労がまざまざと映し出されていた。

報道の中で印象に残ったヒトコマは、

1、借金も津波で流れればよかったのに、という被災者。

2、周りにも不幸な人がいるのにこんなお祭り騒ぎ腹立たしいという投書。それを受け入れてそれでも活動と番組を続けたいと言うパーソナリティ。

3、震災には復興を、原発事故には解決を!震災と事故は分けて考えなければいけないのに…と言う識者。

4、「震災後、より安全になった原発…」と発言する原子力機関日本代表。そして捨て場をなくしている核廃棄物の現状。活断層から200メートルの原子炉。

5、震災当日、新日本フィルの演奏会敢行。響き渡るマーラー葬送行進曲、冒頭のトランペット。

6、過去の津波の被害をもっと報道していれば、海の近くに学校なんて立たなかったろうに、と自らを
責める記者。

こうリストアップすると自分は手掛かりを被災者側に求めてないのだろうかと思ってしまう。受け止めるには弱すぎる。心の負担を抱えきれないのだろな。

ともあれ「解決」と「復興」を望む気持ちは変わらない。

放射線、人工も自然も影響は同じ…なの?内部被爆しやすい物質が飛んでるのに( ´ ▽ ` )ノ [雑感]

放射線、人工も自然も影響は同じ…と言う記事があった。(朝日新聞)ウランやトリウム、カリウムを含む鉱物の多い地域は線量が高く、インドのケララは毎時〜3.9マイクロシーベルト。イランのラムサールは〜17。空からくる放射線を考えると飛行機で成田とニューヨークを往復した時の総線量は181。自分なりの許容範囲を考える一助として特集されていた。でも!それだけで比べていいの??
不安を取り除く為に特集したらしいけど。ん?こどもだまし?チェルノブイリは内部被爆が深刻だったんじゃなんじゃないの?内部被爆しやすい、体内物質と置換し易いプルトニウム、アメリシウム物質が花粉みたいに飛んできてるのに、線量の大きさだけで、自分の許容範囲なんか決められないと思うんだけどな〜。放射性物質は鉱物として閉じ込められてるんだから。詳しくは児玉龍彦教授で検索してね。彼の話しを混ぜ返す動きがあるようで、いやなこの頃。

気休めは良くないよ。


同じく朝日新聞の『プロメテウスの罠』に震撼。浪江町から避難してきた親戚達と共同生活をしていた矢先、車で通りかかった防護服に身を包んだ男たちが、「なんでこんな所にいるんだ、頼むから逃げてくれ。」と言い走り去った。テレビでは心配ないと…
当時毎時60マイクロシーベルトの津島地区の住民は何も知らされていなかった。

自主避難が正解だったのね。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

放射能汚染  自然と共存する文化 vs 人工物を必要とする文化 [雑感]

今回の福一の事故によって、
自然と共存して生きてきた生活が
いたるところで断ち切られている。

土と共に生きてきた。
海と共に生きてきた。
川と共に生きてきた。

そんな、今まで古来から続けてきた生活を、心の在りかを奪い去った。
分断したのが今回の事故だった。


事故の発生源である、原発。
原発が作る電気は、土から離れても生きられる生活形態を次々と作り出してきた。


ということは、

『便利な生活が、自然との共存を断ち切った。』

という図式になる。

・・・考えるほどにやりきれない気持ちになって
どうようもない無力感に襲われてしまう。




でも、ちょっと待って。これは日本内だけの悲劇じゃない。

安く、安く、便利、便利を求めてきた私たち。

安い綿花を作るために、第三国にのりこんで、巧妙に利権を発生させて、
自然と共存してきた生活を断ち切らせて

安い安い安定したもの生産し続ける為に土地を農薬だらけにしてきたのは、
誰だい。



この手軽に欲しいものが手に入る。この快楽から逃れられない。

私だわ~




いまだ続く帝国主義。周りがやっているからね。綺麗事などいっていられない。負けていられない。

『便利な生活が、自然との共存を断ち切ってきた。』

結局、この図式の『リピート』なのだと思い知らされてしまう・・・。








そして、今の対応がなんの『リピート』なのか、を考えた。

あ~なるほど。〈戦争〉だ。

大勢死んでも、戦争によって繁栄が待っていた。

軍事産業や一部の人間は着実に利益を得て、力をつけた。



その記憶が偉い方々の根底に深く深く、着実に流れている、と確信する。

大勢死んでも、自分たちは〈利益をしっかり得るのが当たり前〉だという選民意識。


そういうことなんでしょう。




↓ もう・・・言葉もない・・・・くらい象徴的。

~1983年1月26日石川県羽咋郡志賀町で開かれた「原発講演会」(地元の広域商工会主催)での高木孝一敦賀市長の講演内容

そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております

http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51829332.html

そういうことでしょう。



あと、母性社会。母なる何かが守ってくれるはずだ、という幻想を抱くおめでたい性質がゆえ。
怖いものは見なければ、いなくなる。考えなければ、いなくなる。

はずはないんだけど。   
昔話や神話の何かに、そんな状態を語るエピソードがどこかにあるかも?!

さがしてみよう[晴れ]
nice!(0)  コメント(0) 

福島原発は廃炉に。 「安全神話」という思考の津波にも流されて・・・ [雑感]

会長の会見で確信。
今ごろ

「廃炉にせざるを得ない」

どこを見て話してるの???
口調も他人事に聞こえる。

視線はどこに?
既得権で繋がったお偉方?
設備に投資した価格?
今までの奇跡的に持ちこたえてきた功績?
そして、株価。
…腐ってる。


テレビで誰かが
「安全、安全って繰り返すうちに自分でも信じ込んでしまったのでしょう」とコメント。

…ズバリそうでしょう。


とっくに使用期限済みのオンボロ炉を、危ない、と指摘されながらも使用を続け、
賄賂を渡し、渡し、法まで変えて、指摘は無視して、ごまかすことに腐心する体質。

誰かが怒ってくれないと、こうなっていくんだな。
ほんと民間の企業?
甘えられると知ると、どこまでも甘えるお子様な企業体質。

実際、利権をキープしようと対策を邪魔して、
実際の対策から逃げようとしてるトップに吐き気まで覚えてしまう。




お子様の定番。
何かあったら誰かのせい

想定外の津波のせい?

津波の危険はとっくに指摘されてたのに、
実質は4m弱の対策しかしてなかったなんて記事も。

この人達、嘘で塗り固める習性が身について、自分をも安全って信じ込ませてる!って確信ができた今、
やっぱり?と思わざるを得ない





政府も、まずは当事者のいうことを聞かないと始まらないわけで…。

菅総理は、どれだけ相手が腐ってる嘘つきか見切れず、うっかり信じ込んで騙された。
自分達をも騙せる習性のある、たちの悪い宗教家みたいな人達に囲まれたわけだから、同情の余地あり。

「安全神話」。大丈夫なんて当事者が信じたいだけだった。

人間不信から始めないといけない仕事だった。

左翼は、いままで原発を反対して際物扱いだった。
左寄りとされる思考でさえものまれた。
いや、左寄りはどこか純粋で腐った体質に慣れないままだったからこそ、のまれてしまったのかも知れない。

かといって、右寄りの自民党が正しい判断をしたとは、全く思えないわけだけど。




諸外国の信頼失墜~今はいいから今後くれぐれも信頼回復お願いします。
(メディアの質問を聞くと、先のこと、周りのことに目を向けさせようとやっき。政府は洗脳集団をかきわけている現状。今どうするか、最大限に集中させないでどうする。)




こいつら「安全神話」に洗脳されてやがる。

それを見切ってかき分けて周囲に流されてないのが、枝野官房長官の発言と思えた。


「廃炉にしなければなりません。」



『安全神話』という思考の津波。


流されるな!












※日常編

放射能予報が天気予報みたいにテレビから流れる。
落ち着きたいという思いが、慣れをつくる。

農薬、遺伝子組換、添加物、廃棄物にダイオキシン・・・様々な毒物とも
「知らない」「気づきたくない」「必要悪」「拒否」「戦闘対象」と
人々は意識を5段階(勝手に設定)に分散させながら共栄?してきた。。
放射能ともそうなる予感もある。

東京は冷戦時代の放射能より、まだ少ないLevelらしいが、危険要素は大地を容赦なく蝕んでいる。


「沈黙の春」は来ないで欲しい。


首都圏の原発崩壊マンガ
『コッペリオン』(設定2036年)は預言ではなくて警告だわ。



COPPELION(1) (ヤンマガKCスペシャル)





※注意
あ、主人公の制服にカタルシス覚えないでね。

現実は意識の『写し世』。『浮世』

カタルシスと不安の意識が、集団で【こうなる!】って、ひとつのイメージを作ることは禁物です。
お???~もしかして日本人はここらへん意識しすぎて、5段階分割のうち「知らない」でいることを選択したがるのかなぁ。なんてね。
佛教だか、ユングのウケウリです。
『集団的無意識』参照


SFは警告。



『正しく怖がろう』というキャッチフレーズに賛成です。

大震災~東京での共感は保身と罪悪感に2分割されてる感じ。 [雑感]

足りないブームはヨーグルト。無くてもいいのに足りないと焦るし、欲しくなりがち。
日替わりだわ。

その横でブームで品薄だったSBラー油が山積みに。
無くて走り回った人もいた米も山積み。防災ご飯まで。
並んで買った人もいるペーパーもある。

・消費で気分をごまかす習性が強い傾向。
・東京はすぐ入手できるからストックする習慣がない。
・助け合いが希薄だから、独占せざるを得ない。
・顔見知りじゃないから独占してても恥ずかしくないってのも。
家族を守る為、何もないなんて保証できないから何が良かったかはわかんないけどね。

皮肉だわ。




東京も
大きな揺れにあって
テレビで擬似体験。
振り払っても感じる地震酔い。


揺れのない地域と明らかに心持ちが違う。

被災地との共感、シンパシーが明らかに違うみたい。


その共感は

明日は我が身とばかりの保身と
共感しながら自分が助かってる罪悪感

のどちらかに動いている印象。


どちらも行動で満たされていく。具体的に出来ることを求めてる。

誰もが共感して不安に傷ついていて、自粛ムードは活性化に繋がらないって言われてるけど当然かも。
報道も悲惨になり過ぎないようにコントロールされてる感じ。
それに地震の爪痕が生活圏内に突然に現れるもんだから、いちいち傷ついてみたり、慣れが必要ね。



街頭やネット、友人間でも様々な団体が募金集めに走ってるわ。罪悪感の補償。

でも、うち既に一万円したし…。(どうなの、この金額、と自問自答。気持ちとの釣り合いは?)

でも、募金集めしてる人達の癒しの為にも募金した方がいいのかなっていう感じに。
詐欺もあるから構えながら。


街頭募金で「募金してます。バスケ部員です~!」って何の繋がり??

ま、募金してない人が、身近な人が募金活動を始めた姿を見て、何かを考える効果があるはず!と考えて期待。



とりあえず自分の罪悪感の補償の為に、募金、発起人バックアップ、被災地に身内の居る方へのフォロー、そして当たり前の生活のキープ、冷静な情報の収集、心の安定に勤しみますわ。




それにしても水!!
地震直後から店頭にない(笑)
Stockは少しあるので慌ててないけど焦りは付きまとってる。。

けれども、緊急でない大人が買いあさって、需要が崩れ、必要な人が足りなくなるのは忍びない。

買うのは自由ではない。
誰が何を必要としてるのか、
冷静に見極めよう。

なんて思っていたら…



赤ちゃんのMilk用に支給された水1.5㍑。
綺麗なお母さんが、
ちょっとでも口に入るからと神経質に炊飯にも使って使い切り、
これでは足りません!

と言ってみせるテレビ


神経質になるのもわかるけど、イザッて時、困るって思わないのかな。
当たり前を取り戻したいって感覚が、ズレてる気が。

譲りたい気持ちも興ざめ



昔と比べ、人と比べ、
ずっと足りない足りない
スパイラル


これも東京かな






米も今はあってうちに置ききれないけど(笑)、津波に、放射能の土壌汚染。今年は不足?

大事に食べましょうね。

計画停電 被爆 エネルギー 不安との付き合い方 [雑感]

近所には東芝があるのですが、東電だけでなく協力関連会社として、かの地にお出かけになる方もいらっしゃるらしいです。救世主という言葉でしか救えない気がします。


今日は友達が「広島で被爆した親戚が3人とも癌だったけど70歳まで生きたよ~。」って話をしてくれました。救世主の幸運を祈ります。


水にも・・・って話になってますが、「タバコ吸ってると思おう」なんて言いあって不安をはねのけているところです。ふぅ。


太陽光発電が有効ですが、東京都の補助が3月までなのに東電が忙しすぎて書類が作れてないので、そっちの問合せも殺到してるとか。都がなんとかして欲しいですね。


太陽光発電を撤退する動きが大手にありましたがどうなるか、注目したいところです。


計画停電の区分 不公平感
関西中部電力からの「応援融通」限界事情はこちら↓
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110320/dst11032020370087-n1.htm



●送電装置は住所で区分されていない。
 手動でオンオフしている。    (意外にアナログ・・・

主要幹線道路、電車沿線の制御に関わる箇所は外されていて、そことたまたまかぶってる地域は免れているようです。当然ずるいですよね。
我が家は停電をすっぽかされてる地域。ずるいと思われても、つぎはぎで成長していく都市。停電区分の想定などしているはずもなく、今さら理想を掲げても意味がないのでは?・・・と妙に言いわけしつつ、ごめんなさい、とのんきに謝ってみたりしてますが、それもいまだけ、夏場だったら、うちも停電してます。と言い張るでしょうね~。
夏はもっと不公平感もヒートアップしたはずですよね。想像しただけで恐ろしいです。


原子力の依存についてはこちら↓
http://www.nuketext.org/mondaiten_tsukurisugi.html


原発一基はトイレのウォッシュレットの為に造られたという噂がありましたが、あながち嘘ではない思います。
快適さを追求する企業精神もエネルギー供給とのバランス感覚を持っていないと、原発増産の方向にまっしぐらだと自覚して欲しいですね。
消費者は快適さに弱いですから・・・はい

店の照明もいいじゃん、これで~とマジメに思います。
自動販売機は異常かもしれません。

ところが、近所の小学生ママは田舎育ちなのに暗いと不安で駄目なんだそうです。ということで私の中では眩しすぎる照明は見栄えだけじゃなく 『不安を回避したいという人間の本能に、過剰に反応した結果』
という位置づけも加わりました。

『不安との付き合い方』これはホント人間の不朽のテーマのようです。

放射能、余震、そして花粉・・・退散!!!

集団行動バイアス [雑感]

うちに米がないのに店にない
勘弁してほしかった(過去形)
小売りのおばあちゃんありがとう。また買いに行くね


昨日は100円ローソンでレジの人が『万札でレジが閉まりません』って訴えてるし


あるはずの物がない!
空棚を見ると焦るわ

東京は不安を物で埋めてるみたい


テレビ見てて自分達も宮城みたいになるって確信をもってしまったみたい


昨日のテレビで、スーパーはこんな有様です!戦場です!って放送が。

あらら、近所のスーパーだわよ。
ちょうど計画停電が午前と夕食時の2回あるGroupなので、準備もあるしね。

昨日あったトイレットペーパーも今日はドラッグストアにない。ガソリンスタン
ドは長蛇の列。ふぅ。見てるだけでうんざり。ストックあってよかった



これも一種、集団行動バイアス

人間はもともと有事を認めない生き物。誰かが焦ると焦るので避難の時は、率先
して逃げる人が必要ってのが集団行動バイアス。

これが、消費の方向に向かっている様子。


私は買い物すれば終わりだけど、そんな緊張の現場に居続けるレジの人が泣きそ
うで可愛そう。


夕べは、いつ停電になるかわからなくって何もできないから、湊かなえの『夜行
観覧車』を手に。あれ?読破?停電回避できちゃった?。おかげで昼間の緊張も
緩みました。薄気味悪い本だったけど(笑)

停電回避、拍子ぬけで怒る人いるんだろな~。電気は貯められる量決まってそう
だし
ヤシマ作戦~。数学で正8面体見て使途思い出したとこ(笑)
よろしくだわ。



あるはずのものがない。
あるはずの家がない。
いるはずの人がいない。


わけじゃないけど
一つ抜け落ちるだけで
指からこぼれて錯覚に陥るんだろな。





え???
原発それどころじゃないね
外出禁止???それも狂いそう。

原発崩壊マンガ、『コッペリオン』がぐるぐる渦まいてきた~

舞台は近所。

競馬場に人が積まれ、
競艇場に諸外国の核廃棄物が不法投棄されてんの。ひ~

主役は制服の女子高生(笑)
ただし、放射能に免疫ありの作られし人ってやつ。




変な心配しないで今日は寝よ。停電だし。

そうだ、自転車通勤40分往復Tryして脚ガクガクだった。
痛いわ~。
ふふふ、これから鍛えるわよ。

今夜はきっと寝れるわ。


ぼやきでした

笑いに魅かれながらも引け目 不安と執着の真ん中へ [雑感]

新インフル、佐藤健君やらマキシマムザ亮君も活動停止らしく、若い子直撃なのね。
縁がないことを望みたいものです。ブルブルっ!

毒舌の有吉弘行面白い。嫌われない毒舌の薦めという本を出したらしいけど、お前、嫌われてるよと言われたとかで(笑)。巧妙な毒舌という今までないスキマに入りこめての処世。メデタシ! 
トークを見てて思ったけど、笑い方が魅力的。そこだよ、毒舌をなんとなく帳消しにしてるのは。
私は笑い方フェチだったらしい。石黒賢もいいね。あまり見ないようにしてるけど。

あぁ、真似したい。男なんだけど。
長女体質だからかな、かわいく思われたな~と思うと、その行為自体、嫌になっちゃうひねくれ者なので処世には不向き。笑い方に意識が行きすぎて困ってしまう。こんな私には、要ビジネスライクなスキル。
ただ、眩しいなぁ。
負けた気分。

笑い方が眩しい人は 自分で楽しむ方法が、ちゃんと確立されている人なんだろな。
幼いころから、信頼できる大人や仲間がいて、愛されてきたからこその笑い方。
あるいは、自分で強くココにありたいからと、処世の為にと、意識的に磨きあげてきた笑い方。

夫婦は前世は敵同士だったという説がある。ワケわかんないんだけど。
【自分を魅くもの】自体が自分の課題なんだろう。


あんな笑い方はできそうにないから嫉妬まじりにキーワード。

だからぁ、男の笑い方は真似できないって←自分にツッコミ



[バカボンド]より
板倉様がとらえられた武蔵につぶやく言葉

バガボンド―原作吉川英治「宮本武蔵」より (1) (モーニングKC (619))



引け目
それ自体は
心に生じた
小さな波にすぎぬ

不安の方へ
振れれば心は
閉じる

見まいと
固く閉じた
心の中では
不安は
やすやすと恐怖にかわり
敵意へと育つ

その逆も
また厄介だ

崇拝する
同化したがる
寄りかかって
執着のできあがり

目も心も
開いているようで
閉じているのと
同じ

強ければ
何をしてもいいのか?
違うよなぁ

(中略)

別れ道は
いつも
心のうちに
あるわな

真ん中が
いちばんいい

音楽の役割 [雑感]

ロッキングオン読んでいたら、マニックスのメンバーニッキーワイヤーが
希望の歌をストレートに奏でる時期はあると思いますか?という問いに、
「いや、それはどんなバンドにとっても不可能なんじゃないかな。
そもそもロックバンドなんていう特殊な自己表現を選ぶってことが、その本人達の精神面に欠陥があるってことを証明しているわけだからね。そういう一種の異常者に自己救済や状況改革を期待すること自体間違っているんだよ」と応えていた。
自虐的でもネガティブでもない。希望を口にしないことがが希望。
messageではなく、彼らはリスナーがお気楽に聞いてくれることにホッとしている。
・・・とライターは続けている。

coccoと筑紫哲也の対談で、coccoは私には歌うことしかできない、筑紫哲也は、いや若者につながる歌がいいんだ、とお互いの限界を共感しあっていた。

アーティストの意図とはかけ離れていても、わずかに触れ合った感受性でもいい。
聞くことで、聞かれることで、何かを共感しあえた、と思えることに音楽の価値はあるんだろな。
コメント(0) 

テポドン2? 天声人語2009/4/6付 [雑感]

北朝鮮からうちあげられたミサイルだかなんだかを、国内では「衛星打ち上げ成功」とか言ってる。
そして、諸外国の対応は・・・。
これをうけて、天声人語では馬鹿の語源となった故事*と「金王朝」の現実を重ね合わせた。

あんに言わせるとキモイ国じゃん。
・・・ハハハ、確かに。
でも日本も、そうだったんだよ~というと、びっくりしてた。
科学的に不可能なことでも、行ける行ける勝てる勝てると信じてた時代。
勇気を出したら投獄されてたり。あっそれは単に粛清か。

世の中、ほっととくと右向きになる様子だから、
バランスをとるためにも、左に振れておこうと思う。


*馬鹿の語源の説として、「鹿をさして馬となす」(「史記(秦始皇本紀)」の故事)があります。
 始皇帝が亡くなった後、権力を握っていた宦官の趙高が、果たして自分はどれほど恐れられているか確かめるため、二世皇帝である胡亥に鹿を「馬である」と言って献じました。二世皇帝は「何を馬鹿なことを言っておる、鹿ではないか、なあ」と群臣達に言ったものの、群臣達は趙高の権勢を恐れ、「陛下、あれが馬であることをお解りになりませぬか」と答えたとか。
 もちろん勇気ある者、もしくはその場の空気を読んでいなかった者の中には、「陛下の仰るとおり鹿でございます」といった者もいましたが、それは趙高に処刑されました。
このことより、「馬鹿」とは自分の権勢をよいことに、矛盾したことを押し通す意味から転じたとか。


おおっと。忘れてた!
お局の行動パターンに、自分の影響力を確認するために、自分の仕事を突然、放棄してみせる・・・というのがあった。ある意味爆弾。
世の中、いろんな見方があるわけなんだけど、彼女の(ベスト、絶対)と異なることをすると噛みつかれる。だから、手を出さなかったりしてるんだけど・・・。放棄されて、途方にくれたある人が聞いた言葉が象徴的でした。
「おかあさんがいないと何もできないんだから」
そういうモードにならないと仕事のできない人っているし、仕事がそれを作っちゃったので責めはしないけどね(笑)
子供にへんなマジックをかけることだけはしたくないものです。
コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。