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立憲主義って? [雑感]

立憲主義って、権力から民の自治と権利を憲法で守る考え方。

古い順に、①王の権力を縛る→②三権を分離して制御→③多数派意見を縛るもの、として強化され成熟してきたんだとか。


それを理解していない政権が、でこぼこで多様な意見を、もっともらし〜くローラーで潰しているようにみえる。


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制御するはずの宗教も報道も出版も、権力に取り込まれることに価値があるかのように振る舞い、権力を分離できず俗っぽい方向に行くことが日本の宗教性であることを端的に証明している。

少なくともニューヨーク・タイムズを読むような米国リベラル派やEUの知性派からは、未熟な共同体という烙印を押されていそうだ。

内田樹【アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう。】New York Times の社説の翻訳→http://t.co/7mowhZlzTP


【追記】
右向け右の風潮に危機感を覚えている。ヘイトスピーチ団体が思想警察をして騒ぎ→カルトの特性を持つがゆえに議論ではなく無闇な分裂を扇ぎ→承認が褒美となっていくこの流れは世界からどう映るのか?

TVでマイケル・サンデルの白熱教室 「日中韓の未来の話をしよう」を観た。http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard.html 日中韓の学生間で冷静な対話が織りなされていた。自国の誤りに向き合うことは愛国心に矛盾しないとサンデル氏。議論を諦めさせようという意図の分かり易い物語に逃げていることが元凶。日本人の苦手分野らしいが、まず議論する知恵を捨ててはいけないんだろう。

ETVの白熱教室アンコール「お金と感情と意思決定〜経営学」〜デューク大、ダン教授の講義〜も面白い。私たちは考えたくないからデフォルトに誘導されている。それなのに選んだ理由をもっともらしく述べてしまうのだとか。
(その状態を【ソーシャル・プルーフ(社会的証明)】というらしい。)
米国人は異なる意見を言うことを是としているがアジアでは…。

http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/behavior/140411.html
今のアジアは【議論することをデフォルトにする】努力が必要なんだろな、とふと思う。

日本人は理より情に流されがちだという特徴も知っておこう。ソーシャル・プルーフやら流される要因ばかりだ。作られたデフォルトは情と理を区分しないとね。行政のお膳立てを崇めていた日本文化(日本教)から離れる時期。思考や議論や表現をローラーでつぶし、道が平坦になったと喜ぶ権力の進む先を考えたい。


あきたにしました 春の巻 [家庭内外行事]

GWの一ヶ月前に思い立ち、GWに再び大曲に行くことに決めました!前回、参加できなかったメンバーが参加できる[ムード] ことと、展示されていた角館のポスターの影響です。紅葉と武家屋敷、しだれ桜と武家屋敷、新緑と武家屋敷のポスターがあって、そのうち、GWならば、桜と武家屋敷が観ることができるじゃないですか!と前回同様、大曲→田沢湖→乳頭温泉郷(宿泊)→角館→大曲コースを念頭に予約開始。
んんん?
のんびり乳頭温泉郷に宿泊して、しかも家人の為にバリアフリーで、なんて考えていたら甘い甘い。バリアフリーなんてとんでもない。観光地のホテルはどこも満室でした…。
うーむ。連れは温泉に執着ない人たち(残念ながら~_~;)だから、大曲早朝スタート→角館→乳頭温泉→田沢湖に変更して、大曲のホテルを予約するコースでいいや、と言ってもこちらもすんなりとは行かず禁煙の部屋はシングルしかなかったりの制約が。やっぱりGWです。
ホテルがなんとかなって、次はレンタカー。駅レンタカーは順調予約。そして、4/7に[こまち]予約。5/3の午前中は既に埋まっていて、午後2時台発に。5/5の帰りは午後3時台発。
予約完了?!

で、行って来ました。
3時間の電車はまったり。前回、車窓から見えた田圃は黄金期でしたが、今回は一面茶色。季節を感じます。

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大曲駅に到着したら、駅近くの居酒屋『三平』へ。18:00からの予約。予約でもカウンターという混み具合。楽しみです。

おきめばる くろそい みずだこ いやもう新鮮
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塩辛ピザ 塩辛の量が計算されてる!
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煙たそうな顔をしたお兄さんが焼き鳥を焼いてくれました。でも、サーブしてくれるときは「めっちゃ笑顔」と連れがニヤニヤ(笑)
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羽根つき餃子はパリパリ、ジュッ!
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だし巻きはほんわか本格ふわふわ
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満喫できました。しあわせ[ムード][ムード]

翌朝8:30、レンタカーを借りて大曲駅出発。まずは、混むであろう角館へと出発し、家人のための車椅子は前回同様、公営の桜通り駐車場で調達すればいいや、と予定したのですが甘い甘い。まず、角館に到着したのに駐車場がよくわからない。あれ?混んでいてどこがどこやら。有料駐車場で盛んに呼び込みしているということは公営駐車場がない?桜まつり期間は大型車のみ?川を越えたり戻ったり、ぐるぐるぐるぐる。駐車場脇の詰所でたどり着こうと思っても一方通行で入れない。そんなぁ…。片側からたどり着ける自信ないわ。観光協会に電話すると、駅の観光センターをご案内頂いたので行ったのですが…車椅子は出払っていたので、あるという場所を問い合わせて頂いて、地図にマークしてもらいました。ありがとうございます!
それって『たてつ』?たてつに駐車して聞いたら、その先の観光課では?とのこと。駐車したまま、歩いて車椅子を取りに行って調達。ありがとうございます!たてつの方には道道でも声かけして頂いたり、ほんとに秋田の皆さんは温かくて感謝感涙でした。

無事、車椅子も確保できて、みそたんぽで腹ごなししながら散策。目当てのしだれ桜は散ったところでした。惜しい!
と思いきや、たてつ横の田口家庭園に入ったら、満開の桜。山吹の黄と紅葉の赤と屋敷の黒のコントラストが美しい。
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そして、武家屋敷通りももちろん、桜がなくても古い樹木の重厚感と新緑の鮮やかさと、武家屋敷の風格が素晴らしい。やっぱりいいですね。桜はまた、チャンスを狙えということですね^o^
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12時に乳頭温泉郷に向かうことに。角館から一時間くらいかしら。車は田沢湖まで前も後ろもいる状態。田沢湖から乳頭温泉郷まではいたりいなかったり。こちらの道すがらはソメイヨシノが満開で美しい!ところが助手席の連れがそのタイミングで酔ってしまっただとかヒマだとかでグースカ寝ていて写真はとれず終いでした~_~;シラカバと桜と雪と絶妙な色合いの風景も美しかったなぁ。

そして、秘湯、鶴の湯までの長い山道を泥の水たまりをはねつつ、ぶな林の足元に残る雪の多さに目を見張りつつ走行。水芭蕉が群生しているスポットも道中に。可憐だなぁ。13:30

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到着。今回は入浴できました。
ただ、脱衣所が混んでましたGW。木枠で出来た2畳ほどの浴槽と建物の風情を味わいながら、身体にお湯をばっちゃんと一心にかけているおばさまから水滴がかかってきます。あらら。
黒湯だけ入りました。白湯と女性露天風呂もやめて、中湯は混んでいる混浴露天風呂を通過する勇気なく(笑)またの機会にね。
そして、空腹で鶴の湯別館まで行きましたが、14:00でランチ終了ありつけず。そこまで温泉に興味のない連れどもに遠慮しつつ?蟹場温泉でひとっ風呂。奥の湯が熱くてクラリ。露天風呂の開放感にゆったり。
とのんびりしていたら、連れにお腹が減って力がでない宣言をされて、ご飯どころ探しにシフトしました。
だいぶ田沢湖に近くなったところでカフェ『ぶなの森 FUU』のみつけましたが、荷物を出そうとしたら温泉セットがない…。一生懸命思い出したら、写真を撮る時にベンチに置いたんでした。慌てて戻ったらちゃんとありました。
山道慣れましたね。気を取り直して、窓側の席でぶな林を見ながら遅いランチ。15:30

【クリームスープのモーモーパスタ】色合いもステキ、優しい味わいが空腹に染み入ります。
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【春の山菜ピザ】 野草味が新鮮です。
【田沢湖地ビール】桜酵母使用の限定品。桜風味ですって!

田沢湖周遊ドライブ16:30
頭痛だとかで寝ている連れ…。私も痛いのですよと途中で運転交代。太陽の加減で湖面が眩しくて湖は前回ほどはっきり見えません。惜しい。お気に入りのお土産物屋さんでこごみ1パック150円!安い。

干し餅が可愛い。そのまま落雁を想定して食べたら人間の食べる味ではなく…。砂糖水に漬けてレンジでチンして食べましょうね。この食べ方なら美味しいです^o^
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秋田もろこし 職場で小分けして配るのに都合がいいし紅葉の形が可愛くて大好評でしたが、画像なし笑
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湖面の碧さと水深の深さを見届けました。美しい。魚の餌を撒いたのですが、今回、魚影はみれず残念。戦争による愚策で絶滅してしまったクニマスの復活を悲願して田沢湖を後に。
天災のように受け止めているような自然。戦争の愚って怒りの矛先が無いように工夫されているのかしら。なんて考えながら。
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あとは大曲に戻るだけとぼんやりしていたら、46号線を直進して角館で新設のバイパスにのってしまい…秋田市に行ってはいけないのですよ。4.6km後戻りして角館市内から大曲へ。
ふぅー

気を取り直して向かう先は大曲の割烹『つくし』
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お、美味しい!濃いぃ[梅ちゅうハイ]からフワフワの[河豚唐揚げ]から大きな[ツブ貝]の柔らかい味わい、[かわ蟹味噌]の味付けの絶妙さ、最高です。オススメありがとう。

海の幸よ。美味しいものが食べ続けられますように!と願う美味しんぼでした。

あぁ、美味しい秋田。行ってよかったわ。
また行こうっと。

映画『ホテル・ルワンダ』隣人を監視しろ [movie]

20年前の今日悲劇が始まりました。
ラジオで煽られ虐殺を始めた隣人~_~;

評価ランキングで上位にあったので、なんの先入観もなく選んだ一作でしたが、当たりでした!

異常事態でも、人道的に行動した臨時支配人の実話です。

94年、アフリカのルワンダで民族間の対立が大虐殺に発展し、100日間で100万人もの人々が惨殺さる中、ルワンダの高級ホテルに勤めていた一人の男がホテルに1200人もの人々をかくまってその命を守り抜いた。この実話を「父の祈りを」でアイルランド紛争を描いた脚本家テリー・ジョージが映画化。主演は「トラフィック」のドン・チードル。国連兵士役でニック・ノルティ、報道カメラマン役でホアキン・フェニックスが共演。[映画com解説]

『ごちそうさん』で描かれた戦時統制下でも身の振る舞いをどうしたものかと考えさせられました。「おかしいと思ったら、いわなあかん。無力な大人の責任や。偉い人はそれをいわせなあかん。どっちも無責任やったんや。」
おかしいと思ってるうちに、異常事態に転がるのはどこも一緒なんですね。

ラジオで煽られ、おかしくなる隣人。
「油断するな。隣人を監視しろ」を合言葉にジェノサイドに突き進む。
こんなとき、自分ならどうする?と考えてみたいです。

こんな異常に世界中が黙っているはずはないと思われたのですが、決死の報道にも他人事の私たち。国連は静観していたのですね。

静観はルワンダに経済的な利用価値がなかったからなんでしょう。東北で震災の復興が進まないのもそういう理由が本音ですし、いろんなことの縮図も描かれているようです。

そして、報道をみながらも「酷いね」とディナーを続けた私達ですが、今の日本はほんとに大丈夫なんでしょうか?
ネットに煽られ『アンネの日記』が破られた事件は予兆と捉え、危機感を持った方がいいのかもしれません。混乱時、国内でも風評がもとになっての特定の民族の虐殺がありましたし。

史実から学ぶのは大切なこと。

どこでもジェノサイドは起こり得る。
映画を観て身に近づけて、しっかり考えることは大事ですよね。自分だったらどうしただろう。残虐な場面も控え目ですので中高生でも大丈夫。テンポもいいのでオススメですよ!

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【追記】
何にも知らなかったんだなぁ。民族紛争って怖い…って思っていたら、民族のくくりなんて、ある程度勝手に作れるものだと思っていいんでしょうね。日本国だってね。
フツ族とツチ族は人種も言語も文化も宗教も同じで、ルワンダがベルギーの植民地になったときに、わざわざ分割、対立させて統治する手法をとるために、農業と遊牧などの職業などによって適当に分けたんだとか。はぁ?  意図しないで所属しているのに、くだらない怨念のハケ口にされていい迷惑。理不尽な怨念や、理不尽な統治や一部の金儲けの為に利用されて、惨殺される無念。わざわざ対立すること、させられることの無意味をここで学んだ気がします。



葛藤と俗化の間の物語『永遠のゼロ』と『ごちそうさん』とゴースト [雑感]

(1)『永遠のゼロ』のなにが問題なのかというと「戦争は批判するが、戦没者には畏敬を払うというジレンマに向き合わない、メロドラマに逃げている」という評論をみた。感情移入できる人物を見事に並べ、戦争の葛藤に気がつかせるのだが、最終的にその葛藤を情に流しているのだという。物語の偉大さを示すと同時に物語のいいところ悪いところの両方、両義性を表しているようだ。環境の横糸を利用しながら、情の縦糸を際立たせる構造。【情に埋没させることで葛藤から救済する物語】でもあるのだろう。興味深い。


(2)『ごちそうさん』は戦争に内在した葛藤を感情移入させながら淡々とエピソードで紡いでいる。例えば、主人公の夫は大阪の市役所の都市計画部門に勤めているのだが、戦中の防火訓練の際、ガソリンをかけ始め「こんなもんじゃない。ガソリンが降ってくるんだ。逃げて下さい。」と叫ぶ。事実、焼夷弾はガソリンをゼリー状で固めたものなのでその知識を持った彼は考え抜いた末にその行動に至ったわけなのだが、組織の一員として[逃げずに消火し街を守るべし]という誰のためかよくわからない【防空法】に反したとして罪に問われる。空襲は怖くないという噂に安心を求めていた主人公。涙して彼をバカなことをしたと責めながらも間違っていないと褒める主人公。そして罪に問われて彼は去り、残された主人公は彼の作った地下鉄によって焼夷弾から救われる。(地下鉄解放は職務違反なので語り継がれていないが心斎橋で救われた方の語りが残されているので事実のよう。)
彼は「人を守る街を作る」という自分に与えた天命を守り抜いた、という物語になっている。「彼の生い立ちも含めて今まではこの伏線?」と友達。そうかも!

日々の生活を育むことも見据えさせながら、『公共性を持った個人のミッション』を大切にする基督教的な要素が【目覚めを産む物語】。恋愛も幻想で終わらせないところも興味深い。情を含んだミッションの縦糸と生活と環境の横糸が鮮やかに配された和服のよう。情が葛藤を気がつかせる構造だ。


(3)『ゴーストライターと佐村河内守』原爆や難聴の悲劇という情を利用しての自己プロデュースへの没入が醜悪であることを教えてくれている。ゴーストが一般化されていて騙される方が悪いのだとしても。
[松本智津夫もそうですが本来の自分とはかけ離れた自分が主人公の物語のなかでは倫理や良心の境界を超えやすくそれになり切れることで、周囲の人間を巻き込む強い力を持つんだと…]とコメントをもらったのだけどその通りなんだろう。
本来の自分とのかけ離れることで、自分と向き合わなくて済む。自虐も含めて責めてくる何かから、守れば守るほどの【防衛の為の肥大化した物語】は強大な力を持って周囲の救済にも接続する。

それは前回の日記の「共棲的服従」に繋がってくるんだろう。
芸能絡みならお騒がせしましたで済むけれど、それが民族のプロパガンダにつながると最悪なので気をつけたい。「国家が国民の面倒をみませんよ」という時はナショナリズムがセットなので、それ絡みの神話にも注意だろう。さらに「相手を蔑むことで自分を輝かしくする物語」までプラスすると醜悪に醜悪を重ねるのだが…その点は大丈夫なんだろうか。蔑むほど格が下がるというものだろうが、物語の作る価値観がそれを自覚させないようにみえる。



物語のなかでも、ファンタジーとは『ゆきて帰りし物語』が定番であるように、物語世界に行くことで、創造性を持って現実を破壊して再構築することで精神性の回復をはかり、現実に向き合うチカラを得る、という働きを持つのだが。(3)のように葛藤から逃げて都合のいい物語(神話)のなかに生きようとするならば、現実とのずれが大きいほどに奇異なものになるようだ。…はたからみると。(はたから見ているうちはいい。)
ただ、ファンタジーは現実に絶望した時の休憩所なので完全に否定するものではないのだけれど。
いや、すでに共同体が狭い世界の狂った物語のなかにあるならば、奇異に映るものの方が現実を見据えているのかもしれない。

『ファンタジーは現実を知っているから作る世界で、子どもの為のものではない。』と上橋菜穂子さん。
閉塞感が産み出す逃げ場になってはいけないんですよね(*_*)



(1)感情移入で現実の葛藤を気づかせてまた情に流して救済する物語。
(2)感情移入で現実の葛藤を気づかせる物語。
(3)現実を覆い隠すために再構築された物語に入れ込む為の物語。

これら毒にも薬にもなる物語だが、次に日本の宗教観や文化との関連も考えてみようと思う。

ここで思い出されるのは
【一神教で絶対善を心にもつ諸国は原発や凶悪犯罪など荒ぶる神に向き合える。それに対して、日本ではそれら荒ぶる神をも俗化してしまう、これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。】
という【俗化するチカラ】の話だ。

絶対的なものに対して①祀る②俗化する(真似する)③対峙するという内在化と④在り方自体否定するという選択肢があるとすると、まず日本人は②を選択するようだ。

日本は〜極悪人にも理由がある…哀れだ、という物語が多い、[倫理より道徳]=理(事実)よりも皆の利益が優先、行政の宗教利用、権力が絶対だからこそ分散し縛るという立憲主義の発想が根付かない、3D貞子(笑)、海外ではあり得ない神のキャラ化『聖おにいさん』が例かな?

そして、「荒ぶる神」=現実にそびえる葛藤を絶対的なものとすると、それが大きいければ大きいほど先ず俗化を図ると言い換えられるだろう。

そういった傾向から考えると、⑴の『永遠のゼロ』といった「葛藤に向き合わず情に逃げるメロドラマ」は、「向き合うべき葛藤を俗化しての昇華」であって葛藤に向き合わない為のツールとしての物語。日本だけの大ヒットは当然なのかもしれない。

お、ここに「STAP細胞」騒動。
論文の公表に際しての騒ぎに対しても「海外の報道は開発への期待と倫理面の問題点を大きく取り上げているのに、割烹着のリケジョ報道が大きいのはおかしい」という指摘がなされていたことを思い出す。まさに象徴的な俗化ではないだろうか。

俗化の作る物語は楽しみを与えてくれるから悪いとは言えないし、絶対善があるからいいと言うものでもなく、絶対神を持つことの危険性、強いものの詭弁の気持ち悪さを備えるのは宗教紛争をみても明らかなのだけど。
このところは、『日本人の俗化する国民性、宗教性』にあまりに無自覚なのが問題なんじゃないだろうか。
さしあたっての問題では絶対的権力に伴う葛藤を、金銭による俗化で目がくらませている間に、物語のなかに入れ込もうと何かが手ぐすねを引いているようにみえるのは気のせいと言えるんだろうか?
豊かな俗化が単純なナチスや中国の平板な全体主義国家内でのつまらない文化に入り込むことに加担していないか?


大切なことをファンタジー『獣の奏者』(著:上橋菜穂子)から学んでみよう。

[新月]俗化と物語をひいて見るために共同体の境界に行くことを恐れないこと。

[新月]物語の役割を区分してみること。

[新月]物語による葛藤の俗化を疑問視すること。

[新月](2)のように『公共性を持った個人のミッション』を胸に葛藤に向き合うこと。

あとは何があるだろう。
教えて下さい。




西門悠太郎さん(東出昌大)が逮捕される!その背景に 「防空法」 が
http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/gochisosan.html

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。…俗化の背景
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

追記『一神教と国家』中田考・内田樹:著が面白そう!

『愛するということ』『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム [雑感]

大雪です。各地で事故、孤立、立ち往生…祈るしかありません。無理して雪道を移動しないで>_<…
いのちあってこそですからね!

さて、対処の仕方にあるべき共同体のカタチが見えてきそうなものですが、公共放送はオリンピック優先ですか?自衛権優先ですか?
『愛』を求めているだけで、与える『愛』を備えているのか、見続けましょう。

ということで『愛』を勉強してみました。


エーリッヒ・フロム『愛するということ』
100分de名著 
第一回「愛は技術である」

現代人は資本主義市場での“好都合な交換”に慣れているため、相手が条件にあうかどうかばかりを気にしている。そして“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。果たしてそれは正しいのだろうか?フロムは、相手が見つからないのは、その人に他人を愛する力が足りないからだと言う。第1回では、愛には技術が必要であることを学ぶ。(HPより)

恋愛には加えて出会いの場が必要かな。でもこれ、男女の恋愛だけの話じゃなさそう。

第二回「傷つくのがこわい」

ユダヤ人として2度の世界大戦を経験したフロムは、ファシズムの心理と恋愛には共通点があると考えた。他者と一体化したいという願望の対象は、個人間の関係にとどまらない。民族や宗教など様々だ。人間は自分を集団に融合させることで、孤独を忘れようとする習性があるのだ。第2回では、愛を通して人間の負の側面を見つめる。

自由の孤独に耐えられないから、絶対権力に服従しようとしてしまう私たち…。
孤独から抜け出す手段として①祝祭的興奮②集団への同調③創造的活動 が挙げられるのだけど、一時的なもの。
だから『共棲的服従』に突き進む場合も!
〜お互いが孤独を埋める為のSMの共依存関係に陥ることもあるんです。

そしてそれが社会にまで発展することもある。
大きな力に支配され不安を解消したいので民衆はマゾヒスト化し、他人を支配することが生き甲斐の権威主義的なサディストに夢中になる。

それがナチス。孤独から逃れたいという欲求は、国家や国際社会を破壊する大きな力になったんだそうです。

自由の究極が孤独で
それに耐えられないから
集団を求める。
全体主義に突き進む。

お互い寄りかかるから関係が成立してしまう。

●サディスト…自分を崇拝する他者を取り込み服従した人を自分の手足として使う。
●マゾヒスト…自分を指示し命令し保護してくれる人物の一部になりきることに快楽を感じる。

とまとめられ弱者強者、善悪ではなくてお互いが求めあっている。

(フロムは民衆が全体主義に突き進んだ理由を心理学的立場から分析したベストセラー『自由からの逃走』も書いています。)

お任せの方が楽。集団同調で不安を解消する愛国は世界で時々現れるものですが、まさに今、日本でも。

『愛国』国を愛することは大事だけれども、その名のもとに自分たちを判断が失われていないかどうか、はいつも考えていないといけないということ。
愛国に委ねる原因の一つとして孤独から脱出する為になっていないか、考えた方がいい。

そこから抜け出すために必要なのは?
『私たちには、もう1つの道が残されている。それは、他者(社会)の中にありながら、なおそこで愛情を感じつつ諸個人が十全に自らでありうる社会関係を見出すことである。』
人類全体への愛がないと生き延びていけないのだから。

以上

次回三回めは「生身の人間と付き合う」愛されることばかり求める現代人に人を愛する技術は身につくのか?
がテーマ。面白そうです。

◎意味はよく取れていないのですがオマケ
「愛とは、自我を相手のうちに解消するものでもなく、相手を所有してしまうことでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我の確保のうえに立って、個人を他者と結びつけるような愛である。愛のダイナミックな性質はまさにこの両極性のうちにある。すなわち愛は分離を克服しようとする要求から生まれ、合一を導きしかも個性は排除されないのである。」


【雑感】
「いいね」で『承認欲求』を満たしてどこか孤独感を晴らす自分を振り返ると、隷属者たちにとっても承認欲求を満たす手段が他にないと「共棲的服従」から抜け出せない恐れを感じます。

SNSの数の承認とニーズがより強い「集団回帰」を誘導しあっていて『所属欲求』を満たし、(いいね)やRTに隷属…。マズローの欲求段階の二段階を安易に満たすSNS。何処でもいいから承認してくれる場所へ連れ出して、孤独からの引き剥がして欲しいという欲求に隷属してしまう。孤独を晴らせる快楽の中毒性に乗って、強大な権威との一体化をより強く求めるようです。その欲求があるからこそヒトラーのような人が救済者として自然発生するのかもしれません。

マゾヒストですか…統治権力の根にある暴力性を掲げれば掲げるほど、ニーズがあるさまは、まさに隷属への快感をそそる結果になっているのかもしれないですね(・_・;

理を作り出すはずの個の分離が、孤独を作って、分離した個による自由が競争と格差を産んで、反動としての統合が無用な差別と極端な隷属を産んでいる。
分離と統合の負の要素をかき集めるのが、全体主義ということなんでしょう。

また、隷属の根拠を削がれると快楽が得られないので、教義を繰り返し、必死で異論を否定して回る姿は、異説を論じ合う学問のカタチを否定しているので厄介そうです。

そして、共同体も
「社会」から外れたところで経済や国家を回す為に必要な物語を「神話」とおくと、
『神話に権威を感じ没入する仕組み』が随所にあって抜け出せないようです。経済優先神話、安全神話…。

そこに共棲的服従はないかしら?神話が隷属させる為の物語になっていないかしら。
その神話を呑まずに考える。事実を恐れない。
「集団」が「社会」的であることを意識することが大事なんですね。
「社会」を意識することも、愛する技術なのかもしれません。

あと『集団の境界に行かないと見えてこない』
これもヒントかな。

共同体存続物語の矛盾は境界にいてこそ見えてくる。ちょっと外れてみて俯瞰して、同調に甘えず論じあってみて、ちょうどいいのかもしれないです。(上橋菜穂子さんの『獣の奏者』はそんな話でした。読み返す意味がありそうです。)

また、水曜日も雪なんですね…。雪害が拡がりませんように、切に祈ります。

【追記2/21】
追加の積雪が無くてホッとしました!
食と暖と情報って本当に大事ですね。各家庭、自治体単位でも備える必要がありそうです。
火山灰が降ったらの備えもしてあるのかしら。電子機器類が突然フリーズするんですよねσ^_^;
日本は自然からの安全保障も必要なんですね。地震に噴火に津波に竜巻、大雪。学校設備などの公共インフラは新築でなく、補修で70〜80年もたせる方向ですが…。お金の使い方で共同体のセンスと質がわかりそう。センスのある活動は応援したいなぁ。

それから、『共棲的服従』に都合のいい『反知性主義』に流れているという話もあるんですね。服従の恍惚には知性は必要なくて、むしろ自分たちを置いてけぼりにした、知性や芸術を恨んでいるような勢いなんですね。明治後の天皇制はキリスト教の原理主義の真似と帝国主義の体現。中途半端な愛の概念と占有意識を知った時期に戻ってどうするのだろう。自由と資本主義の閉塞への答えがこの時期にあるとは思えないんだけどなぁ。


神話に埋没してみせる勤勉で凡庸な組織の一員である自分と、事実を検証しながら『社会』の一員として生きたい私。 [雑感]

混迷を極める都知事選。
脱原発なんだか生活なんだかの二元論まで現れる。(脱原発は社会保障の在り方の象徴にもみえるから切れないと思うけど)そこに安全保障を携えたオリンピックも絡ませる。安全保障という国家の命題も担保にしたりでなんだかな。

ここで、よくわからない『神話』がいろいろと盾になることに気がつきました。
脱原発で電気代が上がる?もよくわからない。
これだけ対人間、対環境にコストをかけていてなんで安価なんだろう?不浄を嫌う風評被害のせいなの?保障も保険も十分とも言えないまま別立てにして成立させるマジックは、リボ払いが安いと言ってみせるだけに思えるのだけど。一時的な延命にすがらなくてはいけない逼迫した事例に頼らないで欲しいと思ったりする。

のだけど、この『原発安価神話』の話は噛み付かれるので、なんだか面倒。別の『神話』の話にします。

鎌仲ひとみ監督
「原爆投下は正当だった、おかげで最小限の犠牲で済んだ、との見方がアメリカ国内では根強い。原爆を正当化する心理と、戦死した日本兵を英霊と呼ぶ心理はどこか通じたものがあるように思われる。」

官僚「共和党政権だったら靖国に参拝しても干渉しないのに。」二つのアメリカのうち、今は正当化物語の側にあると思ってよいのかな。

あれ?これも噛み付かれる話だなぁ。国家の命題だから聖域なの?検証するのは神を恐れぬサヨクと遠ざけてみせるようだから、これも『神話』と考えてみよう。原爆投下神話と英霊神話。
どちらも正当化と美化だもの。


で、なんで神話が必要なの?

「近代社会は『社会』というボディに道具として国家と経済があるという自立の思想のもとにあった。
経済が自由化したので焼畑農業のように、社会が問題にしたら出て行けばいいだけ。社会はどうでも経済はまわる。
経済のパワーホルダーは社会を保障しようという意欲を持たない。中国の環境が悪くなっても、次はベトナムがある、次はミャンマーまで。

政治も同じで、社会が本体で、政治と国家は道具という考え方。ところが昔は社会のねずみより国家の暴走の方が怖いという世が、テクノロジーの発達で、推定無罪→有罪にと世界が動き出す。安全保障をもとに政治も社会がなくてもまわるようになる。よりミニタリーなものを要求するようになり、そこだけ資産を集中すればまわるようになる。社会がなくても国家が成り立つんです。」

と宮台真司氏。

こんなふうに社会を置き去りにして歩いている経済と政治。その整合が成り立たなくなった時に『神話』が必要なんでしょうね。

そして、『神話に埋没』して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選んでいる人々の凡庸さの積み重ねが、『社会』を忘れさせているようです。

それはそのムラの住民じゃなくて、仲間内の承認を糧に生きる私達の姿でも。

以下はナチスのアイヒマン裁判を題材にした映画『ハンナ・アーレント』をみた方とのやりとりです。(アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に送りこんだ戦犯として裁かれますが「仕事をこなしたまで。」と繰り返して罪の意識がありませんでした。)

(転載)
●「仕方ない」という決まり文句を錦の御旗に「社会」に無関心を決め込む。ごく普通の人間の日々の言動が、想像を絶する結果を招く。アイヒマンのような人間は、至る所に存在する。考えることを止めれば、あるいは暗黙のうちに禁じられれば、悪の陳腐さが蔓延る。 
[新月]「勤労させて考えさせない」コントロール。コーポラティズムがそれを後押ししているからこそ、自覚したいですよね!
●アウシュビッツの標語 ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)を思い出しました。「働けば、(自分の頭で考える煩わしさから)自由になれる」という寸法ですな。(以上)

生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したいところです。(格差社会アメリカでは通説)
アメリカ国民の半分?は「神話」に疑念的。事実の検証をもとにイラク戦争を演出した広告代理店に気がついたり、格差社会の悲惨を労組やNPOや報道、文化人が救い上げて、自覚させる方向に機能しているんですね。近代社会の自立の理念が浸透してるんでしょう。さすがです。神話に埋没することを大人の振る舞いにさせません。ニーズと正解の振る舞いより『社会』の一員であることを自覚する一歩が必要なんでしょう。

そして、日本で忘れてはいけないのが、安全保障に向かう世界の流れの先端!秘密保護法。

『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだとすれば、容易に必要性がつながります。

『社会』の一員ではなく、国家の一員であることを裏付ける神話の為には事実は邪魔。だからこそ機密文書は平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのやら。今までがこんな状態なんですね。

更に戦後処理同様(周恩来テーゼなど)正当化物語に埋没することを選ぶ国民性。更に特定機密保護法。その運用の目指す先はこう見えます。

神話を神話にする為のもの。




・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだろな。正当化物語、安全神話に原発安価神話に英霊神話。そして、神話に埋没して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選ぶ凡庸さの積み重ねが『社会』を忘れさせる。生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したい。(格差社会米国では通説)

・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要のよう。機密文書を平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのか。戦後処理同様、神話に埋没することを選ぶ国民性。更に保護法。運用の目指す先は神話を神話にする為のもの。

宗教国家日本考 [雑感]

あけましておめでとうございます。

新年あけて早々夜中から、今年は妙に激しいお囃子を聴きながら宗教国家日本考。みっともない憲法を改正したいという首相の真意を考えました。

神の作った地球が回るはずがないとした時代と同じ。思うに、日本国を作ったのが神なのだから、国家権力の暴走を國民が監視するなんて畏れ多いことをよくもサヨクめ、というのが本音と仮定してみます。

西欧近代システム(立憲、資本、民主)への閉塞が、原理的シオクラシー(神聖政治のこと。ユダヤ教、平安時代など)を推している。そこに米国からの自立があるなら沖縄知事もほだされるわけでしょう。

このシオクラシーは明治以後、吉田松蔭らが日本神話を再構築した一神教基督教原理を模した神話をベースにしていそう。だから基督教の「神が作ったものは規則正しい」(無理数を認めなかったピタゴラス等々)という思想も含まれていて、弱者難病者は穢れだから切捨て法案続出なのかもと思うとなんだかいろいろ合点が行くんですよね。この美意識…。そうなったら基督教の救済精神どこへで松蔭はどう思うのでしょう。

また、古来神話の日本を統一するにあたっての暴力部分だけを視て正当化していそう。統一を邪魔するものは、やまたの大蛇、鬼(他者)として片付けます。不当逮捕の増加は噂だけ?布教だから話し合いも進言もできません。美意識に自然環境やら多様性は含まれない宗教。むしろ公共事業と軍事という権力のもつ暴力こそ弱者に役割を持たせて救済する美しい手段として掲げます。ただの利用なんですが…。そして美しいから国際的にも認められて当然という驕りもありそうです。

神は当然、民の為にあるのではないけれど為政者は?日本は一神教ではないことも忘れないで欲しいものです。神が望むことを決めるのは誰?神話にあるという「世は民の為にある」という一節を見落としていないかしら。

秘密法案にしても米国と対等が当然+国の政の神聖視では?
日本の良さは近代契約が無くても(絶対の危険性をあいまいさで包む)から回っていたところなのに、(絶対の危険性をあいまいに絶対たらしめる)という、日本的な素晴らしさを欠如に変える愚弄にみえます。
順法精神の美点も自主規制をさせ活力を削ぐ方向に働かせているようです。内向きが理想なのかしら。


国際的な振る舞いの変化はどうなるかしら。ユダヤ教はじめ宗教的縛りがないとほぼ何をしてもいいのが人間。(日本は主に母性原理故の空気と身内の眼が縛り)このシオクラシーの道義の縛りは、むしろ弱者を序列化、利用することは良しとして無慈悲なグローバルを繰り広げそうな予感も。経済植民地の入れ子の拡大。米国は帝国手法を模倣する先。自国も他国も土壌は汚さないで欲しいもの。願いが過ぎるかな。現実だからしょうがないで歴史は何を招いたかな。

さて、もしこの通りなら心理的ベースにあったものの正体は。
今年はこの国の中空構造を持つ本来の神話と、明治の統一用に作られた神話と、そして今の、美しい秩序で皆が幸せに平和になる為だという神話との違いを確認してみようかな。カルトを他者として処理してきた戦後の反省を活かして。
初日の出に祈ります。日の本の国、日本。太陽が銀河を公転してると話して裁判にかけられませんように。


あぁ、新年早々ややこしい話ですみません。
夕べは手巻き寿司につぐ夜中のお蕎麦でお腹いっぱい。お蕎麦屋さんのお蕎麦なんで丁寧に一人前ずつ50秒ずつ茹でてから水で締めてぬめりをとってエビ天と食べました。茹で加減もよく蕎麦の味が濃くて最高。長く細く
美味しいものの食べられる年でありますように。
今年もよろしくお願いします*\(^o^)/*




【追記】1/6 
こんな『知性』に巡り合えてとりあえずは人心地着きました(^O^)/

田中優子 法政大教授『靖国神社は、伊勢神宮を頂点とする神社本庁組織の中に入っていない。国家によって理念的に作られた神社もどきであって、土地と結びついた伝統的な日本神社ではない。いわば「新興宗教」の類い』http://t.co/yrFpAK0Nh2

岩上安身『今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々〜、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか』http://t.co/4FfRmM9Xan

現代にも勝海舟と尾崎行雄のスピリッツが蘇りますよう切望します。


1/8 西欧が立憲主義に政教分離と絶対的なものを分離させてバランスを得てきたものを、日本はわざわざ曖昧に融合して絶対たらしめる。アイデンティティがないことに気がついての父性的絶対を求める手段が融合という状態は実に興味深い。中空への父性発露。絶対的なものに対して①祀る②俗化する③対峙するという内在化と④否定するの選択肢があると考えると、今回示された方向は②から①に移行しての内在化。西欧の③(分離によってなし得る民主という内在化)は放棄といいつつ、③を知って明治期に始めて触れた概念「愛国」を用いて、それを伝統と言い切る矛盾。
下手なパクリ音楽を聞かされている気分。

1/18 あと一つ脅威にさらされた時の内在化の手段として【⑤真似する!】自民党の改憲案と中国の憲法はよく似ているんだとか。日本の為政者は反射的に脅威国の真似をするんだろな。明治の帝国主義もだし。これを忘れてはいけませんでした。

宗教国家日本とネット戦略〜靖国参拝を考えてみる [雑感]

この国の今のトップを教祖様と掲げた人たちがネット界に居る。中韓を叩いて話し合う気もなく教義を繰り返すだけなので、立派なセクト化、カルトの出来上がり!もともとネットは同じ意見を持つ人が集まるので、集団分極化といって、どんどん過激な方向になる場所…。絶対的なものを引き寄せるらしい。
カルトがネット以外にも漏れ出して意外な人がはまってる。

人が絶対的なものに依存する時はどんな時なんだろう。

話し合いをするスキルが持てないから、押し付けというコミュニケーションに依存してるのかも。絶対的なものが同一という至福にも依存。

拠り所がない時の依存。絶対を持って叩ける他者がいると救われる。確かな救済だわ。江戸時代は百姓にエタ非人を叩かせて満足させたんでしたっけ。

宗教戦争も絶対的なものの暴走だから、欧米は政教分離を必死に行って来たのね。この国は絶対的なものに無防備、無自覚らしい。

オウムと同じカルトなんだけど、オウムは自分達の中にあるものではなくて、他者として片付けることに警告があったはずなのにそうしなかった。

戦争の処理も、天皇は悪くないといいたいが為にA戦犯ができ、周恩来テーゼといって、日本国民は悪くない、軍隊カルトに巻き込まれただけだという、他者としての処理だった。「国体」から「自由」と、みんな言ってるから看板を変えただけだったり、理念のない運用がそれを示している。

ドイツは自分達の事として、順法精神が仇になったという反省がある。でも、日本はそうして来なかったんだという。

その代償のような重いものがフツフツと、
無自覚の中に蔓延もうとしている。
叩くことに逃げて自分を正当化したい心理に忍び寄る。
自覚が大事なのね。


日本の絶対的なものは「空気」
大多数の意見だから、先ずはネット界を制覇すればいい、と踏んでの戦略があると考えてみる。

スマホで調べる若者。大多数の意見もそこでジャッジしそう。
ネット内でのアンケートも標本調査になると答えた中学生が多かったと聞いたから、ネット戦略も効果あるのかな。

そういう意味で教祖の役割は大きいのかも。
トップのFBでは、靖国参拝でイイねが4万押されたとか。年内に参拝しない…でネットには不満の声が溢れたらしいから。ネット戦略に影響が出ると踏んでかも?大多数であることを知らしめれば勝ちだから、で
国際的に孤立の道…。
自立のアピールらしい。

宗教国家かぁ。
陛下が可哀想だと思うのは気のせいかなぁ。
米国に格下げされた怨みを晴らしてあげようという正義。ほだされる知事?
自分のしたことは見えず自分の被害ぶりだけ訴え話しあえない人は自尊心が低いといわれてるんだけど、これでいいのかな。

特に日本は、精神的にリーダーの居ない中空構造を持つ日本。そこに、自覚なく絶対的な父性が自立を掲げて来た時は注意しなければ、と臨床心理の権威、河合隼雄氏が警告していた。理由はよくわからなかったけど、秘密法案を通してわかって来た気がする。

絶対的なものを、あいまいな中空でくるむのが美点だったのに、

絶対的なものを、根拠のないあいまいさを持って絶対的たらしめる。

そういうことかぁ。

よくわからない宗教国家としての道は気持ちが悪い。国益の為にはしょうがないの?
もともと神話は中空構造を持つと河合氏。基督教原理主義を模したものが日本の宗教?

しかも弱いものを利用する宗教国家だ。模した成立ちにも恥ず。
叩いて見せる先として利用、叩く信者媒体として利用、経済植民地として利用。役割を持たせることでの救済。さらに公共事業に経済徴兵やら経済弱者の社会補償を暴力で補う仕組みを過度に加速させる方向は共同体としてどうなのか。デモクラシーでもシオクラシー(神政政治のこと、ユダヤ教、平安時代など)でも共同体の意義は同じだと思うんだけど。弱者とはみ出したものをどれだけ包括できるかで共同体の価値が測れるのでは?

とにかく
①順法精神 ②「空気」依存
③議論が苦手(内向き)
依存対象としての宗教(絶対的な論説、空気)に染まりやすい国民性であることを自覚したい。国益とやらと矛盾するようだけど、消費で憂さが晴らせなくなった時に注意だと思っている。
いや、憂さを晴らせなくなった時の心の補償を作ってくれてるのかσ^_^;

今まで幾多の学者が繰り返していた警句の体現なだけでなんだかなぁ。
あんまり嬉しくない。


※星野智幸さんの寄稿
『「宗教国家」日本』を読んでいたく同調し、私も現状を自分なりにまとめてみました。
暗めな話題でごめんなさい。

今日は大掃除として、布団を干す時に邪魔になっていた、用水路脇のひっつき虫を片付けました。やる気になると早いですね。やる気になるまでが長いです(・_・;
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そしてお昼は
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焼きたらこに生たらこ、すじこにうにに。
ご飯が足りなくなりました。
ご飯が美味しい新年になりますように!
よいおとしをお迎え下さい。

※空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!


論拠がなくても有罪?リーガルハイ2 [雑感]

リーガルハイ2の最終テーマは【証拠がなくても有罪でいい?】でしたが、何が問題なんだか私なりに整理してみました。

どうも日本では田中角栄も証拠がなくても葬られていたようです。和歌山毒物カレー事件も、三浦事件も…。

もともと、デモクラシー(刑事)裁判の目的は国家という絶対権力から国民の権利を守るものなんだそうです。

デモクラシー(刑事)裁判とは検事に対する裁判。検事は行政権力の代理者で絶対権力を背景にしているので、検事が持ち出す証拠のなかに一点でも疑問があれば無罪。そうしなければ国家権力から国民を守れない。それが理念なのに日本では空気優先になったりする…。日本のデモクラシーは戦後も成立しきれていない疑惑大でした。しかも無自覚。

司法が司法なので、論拠があいまいでも構わない事例もあるようですが。

◆それにしても、歴史を見るとデモクラシーはなんて儚いものなんでしょう。
デモクラシーはフランス革命後もナポレオンに、ワイマール憲法もヒトラーにと、すぐ独裁者のものになったり…貴重なものだったんですね。

確かにデモクラシーは歩みが遅く「民主主義」とは先送りを許すので、西欧システムの限界だと見切る視点もわかります。
ただ、これから否が応でも、グローバル、弱肉強食の過激な市場原理が押し寄せてくる世の中。民主主義なくしては、人権の視点が損なわれ、救済がないがしろになりそうなのが気になります。

その流れを、最低賃金で働く人を救うのではなく、極僅かな不正受給者を不公平だとたたいてみせる→同調する世間という構図が指し示すようなのでいっそうです。民主主義デモクラシーのもとでなくても、神聖政治シオクラシー(平安時代、ユダヤ教、イスラム原理)など、救済のシステムが愛国心などで補えるなら全く問題がないのですが、道徳心の向上、個々の家族システムへの期待、ぐらいしか今のところ見当たらず…。かえって一元的な価値観で追い詰めそうですし、それだけで過激な市場原理に対抗できるとは思えません。NPOなど民間の救済システムをバックアップする体制は今後も外さないよう、切に祈ります。

また、こんなデモクラシーの暗雲を示す情報がありました。
◆越谷市で秘密保護法に反対した市議に「反省を求める決議」可決。長い物を絶対視する政治家も増殖中のようでびっくりです。

代議士さんたちは何の為にこの場に居るのでしょう。立法者は議会で議論する為にいるんだと思っていましたが、通用しなくなっているのでしょうか。

自由な言論を持つことが立法者の存在理由ですし、そのシステムによって選ばれているような。異論を許さないことに疑問を持っていない様子が不思議です。

トップ秘書がFacebookで「NHKのあの番組はけしからん。皆さん!」とネトウヨをけしかける様は「まるでヤンキーだ」と例えられていたので、代議士もヤンキー化していると考えればいいのでしょうか。よくわかりません。


◆議員でさえも、デモクラシーや民主主義の視点から目を塞がれてしまう理由はなんでしょう。

これも全て共同体回帰への憧憬なんでしょうか。流行りの「日本万歳」と言っていれば、不安な現状に対して「日本の為にしょうがない」やら何も考えなくていいから便利さに逃げられる唯一の場所なのかもしれません。

それだけ過酷なことが待っているから、安心できる場所を指し示してくれているのかもしれません。だいたい、国が国民の面倒はみませんよという政策を出す時、解体を防ぐ為に愛国はセットというのは、政治では定石だそうですから。(小泉政権、仏、英)

有難いとも言えるのですが、これは危険だという自覚も欲しいところです。共同体回帰への憧憬や懐疑は、エヴァンゲリオンの人類保管計画やらエウレカセブンやらSFアニメで取り沙汰されて深みをもって掘り下げられていています。が、最近の「大人への通過儀礼」と見せかけての共同体回帰が、わかりやすい感動をもたらしているのが気になります。
隷属するほど人は美しくなるもの…と檀蜜主演映画『私の奴隷になりなさい』のメッセージ通り、人の本質を輝かせるのかもしれませんが、倒錯の世界は知らないので控えます(笑)

日本のような母性社会は通過儀礼として強烈な体験を必要とするらしいので無意識で求めているのかもしれません。母体にのみこまれて盲目になるという危険性を知らないので、SFを知っている人の方が信用できる気がします。


◆加えて、日本の国民性はどうなんでしょう。真面目だからルールを守らない人に厳しい道徳感は、長いものを強制する息苦しさを予感させます。
同じ意見を持つ人が集まると「集団分極化」といって過激な方向にセクト化するという実験結果があるのですが、空気を読ませて意見を言わせないならば、もう集団セクト化は必須の気がします。デモクラシーも民主主義も水の泡です。

過激なセクト化は流行り言葉も担うようです。
哲学者の鶴見俊輔さんはこう言います。

【言葉のお守り的使用法】
それを口にすればそのとき社会に認められている価値観に自分を合わせ身の安全を確保できる。はやり言葉をいうことで集団に帰属する免罪符を得、それによって論理的な思考が出来なくなった。戦後はお守りが「自由」に変わったが「国体」を使う人間と同じだ。

とのこと。戦後の【自由】も平和も皆が言っていることを自分のもののように組換えて唱えていただけの人が多いのかもしれません。「みんな」の傘の下に居たいだけ、看板を変えて安易にお題目を唱えるだけ。サヨク?民主主義?深い内容まで考えないので、理念を実現するなんて程遠い。と警鐘を鳴らしていました。

それをデモクラシーの崩壊している司法が教えてくれた気がします。歴史的にみても『看板のすげ替え』もとい、日本での方向転換は容易そうです。

◆また、日本の宗教観と照らし合わせるとよくみえる気がします。日本は伝来した宗教の【真理】より【おかげ】を優先させてきた歴史があります。

伝来宗教をそうやって扱ってきたんですから、世界的に希少なデモクラシー民主主義も【理念】より、その【おかげ】にあやかってきたに過ぎないのかもしれません。根拠がなくても有罪になるのはしょうがないけど権利は便利、という具合に。

そして、流行り言葉を唱えさえすればいい、帰属の【空気】の方が絶対的に自分を守ってくれると信じていても全くおかしくありません。赤信号もみんなで渡れば怖くないですし。

◆まとめ
『グローバル社会で有効な御守りと国内帰属の免罪符』

実は身近な方が隣国を愚弄していてショックでした。兄弟が俺が上だ下だと…。中韓のせいにする思考停止。政党と国民は違う。国民の右傾化事情はここと同じ。経済競争とも分けないと。他民族はくくれないし、先行した経済事情は学び協力する先ではないかしら。
民主主義の御守り=【おかげ】を守るか、帰属の【安心】に浸るかの二者択一?はやめたいです。権利の父と帰属の母を分断するようなものですから。

弱肉強食の進むなか、西洋システムで民の声を照らす唯一の有効手段、民主主義(デモクラシー)の御守りを、帰属のもたらす安心感に盲目的に囚われてるうちに、いつの間にか手放してもいいの?という選択なんだと思います。

そして、セクト化を防ぐ為には…自覚する。
過激にならない為に、いろんな意見をとりいれる。そこしか道はなさそうです。

Xmas…も過ぎました。いろんな宗教をとりいれられる日本人ですもの。道はありそうです。



※空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教!

【追記】論拠があいまいな例がありました。
◆報道ステーション「これまで外交上の機密が漏洩した例が一つもないのになぜ秘密保護法が必要?」安倍氏「確かに報告されていないが本当にそうとは限らない。だから立法による厳罰化が必要」
→やはり危険性…という論法のようです。はっきりした論拠はないようです。

石破氏もインタビューで「中国や北朝鮮は民主主義と違って、どう方針が変わるかわからない国です。整備は着々と進んでいるのだから何とかしないといけません。我が国は民主主義であることで遅々として物事が決まらない。米国からは秘密がすぐ漏れるからと情報を渡してもらえません。これはなんとしても、12月の予算編成の前に決めなければいけなかったことなんです。」とのこと。論拠は可能性です。
北は紛れもなく緊急事態なんでしょうが…可能性の盛り込みが過剰にみえます。

民主主義を放棄しないと中国や北朝鮮と渡りあえないと宣言しているようです。こういう危険な国に情報を渡すとは思えませんが、米国は半ば経済を戦争で支える国なので、米国保守にはおあつらえ向きなんでしょう。しかも、日本も戦争で経済を回す流れを着々と進め、ロボットで確かに儲かる都合のいい国なので体制なんてどうでもよくて情報を回してくれるのかもしれません。太平洋戦争開戦時のように無用な疑心暗鬼をもらたす情報でなければよいのですが。成立時、若手議員から上がった「空気読めよ」のヤジが今の民度を物語っていそうです。言論のない一元的な議会。空気が絶対。

司法が論拠に基づかなくても成り立ったりもしているので秘密保護法は正当に運営できるとは思えず不安大です。北朝鮮とわたりあう為だけに捧げる儚いデモクラシーじゃないとよいと思っています。

ホステスクラブウィークエンダー参戦!13/12/1 @恵比寿ガーデンホール [music]

分野は少し違うのですが、気に入っていたアーティストが三連発ときたら、行かないわけには行きません。

先鋭的なエレクトロニカ four tetは粒が撒かれるようなきらめく音を重ねていたし、アルゼンチンの音響派 juana molina は圧倒的なループで摩訶不思議な世界に誘ってくれて、オルタナ deerhunterはノイズ轟音の狭間に高音とギターが香り立つよう。行ってよかった。



◎Four Tet
あっという間の一時間!
音が粒になって幾重にも舞い降りてきたり、泡のように立ち上がってくるみたいな楽曲に高揚しまくりです。エレグラの時は好きなきらきら感があまりなく単調な印象だったので期待値は低かったのですが、今回はきらきら感も満載で十分満足。強いビートに原曲がふわふわと上空に漂う。かと思うとラスト間際でグワ~と軋んだ爆音。満腹です。

おぉ、ここで音源が聴けるんですね。幸せ!

Hostess Club Weekender出演時ライヴ・フル音源はこちら:https://soundcloud.com/four-tet/live-in-tokyo



◎Juana Molina
続いては、アルゼンチン音響派の歌姫

2009 Un diaに魅せられて幾年月。HCW参戦は前後の2アーティストで迷ってましたが、最終発表アーティストにファナモリーナが発表されたら、これはもう行かなければ。即決です。
スタジオ録音の映像でまたun diaの凄さを確認して、新譜が届いて聴いて、絶対的な期待値大。想いが強まるばかり…

http://youtu.be/NsMYnERBR8Y

始まりました。
冒頭は割れているような音とfourtetと比べての単色な音に一瞬不安を覚えたけれど杞憂でした。Un diaは期待値が高過ぎていまひとつ。でも、6曲め以降、音のループに気持ちを絡め取られてしまって完全に虜です。

不協和音さえも効果にする音色と多重録音によるヴォーカルワークが力強いドラムに乗せて重層的に押し寄せてくるのだからたまりません。重層的な声を聴くと、声というのは意味がわからなくても波長だけでも説得力を持って染み込むのだなと思えてきます。
言うこと聞きます!

今回LIVEでのお気に入りはこちら。ファナの曲の魅力要素を凝縮したかのように思えたのが理由です。
ギターのアルペジオに優しい唄声。あまりの清々しさにこれでも十分ではないかとホッと一息浸っていると、曲調が自然に変わり、音が加わり、声が加わり…はい、虜。
Juana Molina - Quien [HD]
https://youtu.be/s9O_kQxDddo


◎deerhunter
セットチェンジ中、地震の曲の効果音?が響いてくるし、コックス君は既によくしゃべってる(笑)飽きないわ。

始まりました!
新譜の純正Rock?がLIVEを盛り上げていい効果。ノイズ轟音が今のお気に入りなのかしら、曲冒頭や曲間にギターノイズを響かせていて隙間なく陶酔を誘います。うん、期待通り。そしてラスト二曲めで音が粒つぶになってループしはじめテンポが一気に遅くなって…ヘリコプター。やった!最近のセットリストにみあたらなかったのでやらないのかな、と思っていたぶん、嬉しさひとしお。甘美な高音と音の粒が降る度に、初めて聞いた時の眠気で倒れてから溶液に浸されたような感覚が蘇ってくるみたいです。嬉しさふたしお(造語)。

Deerhunter - Helicopter (Official Video)
https://youtu.be/G5RzpPrOd-4

満足度も三連発で、この企画に大感謝!幸福感に満ち足りていたので、帰り道のイルミネーションまでもが祝福してくれてるような勘違い(笑)
そして、こんな美しい音楽が聴き続けられる世の中でありますように。残念ながらこれからのダンス規制法にひっかかりそうだったものσ^_^; 帰り道のツリーを見ながら願ったのでした。

あ、atoms for peace の感想、飛ばしてるσ^_^;

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[どうなる日本、どうする日本]対談/社会学者:宮台真司×氷上麻布学園元学長 [雑感]

少し前の話ですが、麻布十番にて野菜たっぷりのランチのあと、麻布学園で[どうなる日本、どうする日本〜日本の若者・教育、その未来について語る]をテーマにした社会学者の宮台真司氏と元学長の対談を聞いてきました。

人を幸せにしないと幸せになれない。弱者を助けてこその共同体なのに加速する崩壊。共同体の崩壊に公共事業しか処方できないリソースのなさ。公共性を失った共同体は崩してよい。ニーズに応えるのではなく幸せになる方法を示せばよい…等々キーワード満載で充実でした(^O^)/ ので、ざっくりレポートしておきむす。

まず最初は若者の幸せをテーマにするにしても切り口を何にしようか、会場の反応を見ながら手探りな話…。高校生に教員に卒業生に父兄に一般に、と幅広い対象ですものね。

幸せになる為には…一人でやっていくのが美徳のような風潮はナンセンス!グローバル企業の中心にいる、ユダヤ系は父性共同体、華僑は母性共同体に頼っているからこそ、息が続いているのに。共同体に頼るべし!と行きますが、反応はイマイチ…

で、切り口の強いところで、山本太郎の件も過去の天皇の政治利用の歴史を知っていればこんな事では騒ぐのはメディアの2チャン化と議員の劣化とバッサリ。GHQは天皇を処刑しなかったのも天皇が民主主義を認めれば国民が納得するという調査結果を下にした判断で、今の民主主義もすべて、天皇の政治利用によって成り立っているのに…なんて時事問題は…元学長に幸せの話をしようよと切られて(笑)

「人を幸せにしないと幸せになれない」「成功は幸せを産まない」をキーワードにして
弱者を助けてこその共同体なのに[政府は助けなくていい]と答えてしまう日本人が30%というDATAを世界に晒し、同時にそんな空気に子どもをさらしていると嘆きます。マスコミは2チャンネルと同列化。2チャンネルに議員も加わっていて恣意的に劣化を促していたんですね。加えて崩壊した共同体に公共事業を与えるぐらいしかリソースや知恵がない情けなさも訴えてました。

母校に呼ばれている自分に、ナンパの研究してるような僕を呼んでいいの?なんて自虐しながら、社会学者なのに時代の性愛の探求に走る理由を聞かれますが、理由はすぐわかりますよね、と気持ち挑発。

従来の価値観が通用しない時代に、エログロと自然科学が発達するのは当たり前。従来の枠組みを壊しながら考える必要性に必ず身体的なエログロがついてくるのは時代が証明している。
…んですね。時代のスパンではなく、適宜、枠組みを壊す非日常が[まつり]だとも。いいですね。

で、後半、質問コーナーの若者との一問一答が真骨頂。洒落てました。ここから言葉に先輩の温かさが滲んできます。

会社という共同体との付き合いに悩む卒業生には「その共同体に依存しないのならば付き合えばいい。共同体はエゴが大事。でも公共性を持たなくなったのならば崩していいんです。」
なんて話しながら、明治以降、既存の共同体の引き換えに→天皇に共同体を委託→会社に共同体を委託、と変節させて来た歴史をさらってみたり、米国もFRP(ユダヤ系)という共同体に生かさず殺さずされているからこの共同体の公共性は…どうなんだろう。なんて情報も織り交ぜる。

共同体に頼りたいけど僕は親に反抗する!という高校生には、親に抱え込まれない為にもいろんな価値観を内包した共同体がある、と応じます。そして!

男子校で男子しか知らない僕が恋をした…どうしたら?なんて質問には、ここで発表できる君はもう乗り越えている。恋愛も失敗しながら。ニーズに答えるだけではダメ。スティーブジョブズも…ニーズに依らない幸せの提言しているでしょ。スマホに頼るコミニュケーションは所詮浅いもの。散歩して身体的同調を経るなど時間をかけて…。
なんてナンパ人の極意も(笑)
会場が笑いに包まれました。

他にも[ポジション取りや承認を求めるだけは浅ましい][やり過ぎはよくない(笑)][まつり][ここではないどこか]等々キーワードを散りばめていて…きっと人によってツボに入る場所はいろいろ…書ききれないほど盛り沢山で充実した時間を過ごせました。
元学長オススメの『14歳の社会学』も読まないと!
誘ってもらってよかったわ。



■私のまとめ

弱者の面倒をみないのならば、その国家は崩壊した共同体なんですね。昨今の山本太郎騒ぎにしても、崩壊しつつある共同体の穴埋めとして天皇を神格化するような動きの一端なんでしょうか?天皇に依存しないと共同体として体をなさなくなる、という流れでないといいのですが。
あ、[救済よりオリンピック]という二項対立が、実は同じような動きを象徴してるのかもしれませんね。

価値観を転換しないとならない時代に自然発生してきた事象[エログロ]の封じ込め。その先手は、ダンス規制法に象徴されたり?

価値観の転換をしないと公共性が崩れる時期にあるのに、従来の枠組みのなかでしか考えようとしない共同体が、存続を希望しているのは全く愚か…。しかも狭い枠組みでジャッジしてマスコミを煽り旧体然をさらしてたり。リンチに理はなくキーワードは長いものに威を借りた[生意気]で情けない限り。それは自立できず共同体からの承認願望にぶら下がりきっている姿かしら。
周りを幸せにしないと幸せになれないのに。従来の枠組みでしか幸せを提示できない。
はい、それはモテないね。

明治以降、自治体がバラバラになり、中空構造を持つ【相対】の国日本が国家という共同体の体を成す過程で必要だった一神教(基督教の【絶対】の概念が発想の礎)。
基督教の利点である自立の概念→民主主義も博愛も充分に育まれないままで、弱者を救えず共同体として崩れ放題の国家。道徳のみで倫理なし。絶対の一部分だけを切り取っての一神教に立ち戻ることでしか国家を確認できないのでしょうか。
宮台真司の師、小室直樹氏(テレビでよく立川談志師匠と対談されてた方)のいう【にっぽん教原理主義派】の時代に降り戻る予感です。戦後は政教分離されていないのに政教分離したふりをしていただけとのこと。無自覚極まれりの笑い者で西欧が苦労して分離させたのに日本ができているわけはないようです。幼稚な隣国の民度(民主主義の育ち具合)の低い行動に引っ張られたり、安保改革が民主主義の為と信じて統制してみたり、強いものこそ自由であるべきなんてグローバル利権に騙されたり、自立の為でなく任せて文句を言うのが民主主義と思っていたり、民主主義の程度を知らしめているようです。もっとも国民の代表が従う党議拘束はもともとマニュフェストを守る為なのに日本ではそんな理念がないわけで、考えることを辞める無責任な代表者を産み、多数決が民主主義という勘違いと無力感を育んでいるようです。

これから、グローバル企業を主権につなげる[新自由主義イデオロギー]とどう絡むのか。そこでは幸せはどこに?

どうなる日本。どうする日本。


◆空気読め?日本人の宗教は その2
◆空気読めよ~。日本人の宗教観とは。なんでもにっぽん教![雑感]
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03



[ウィリアム・モリス展]@府中市美術館 [art]

今日は文化の日。
府中市美術館で近代デザインの祖【ウィリアム・モリス展】鑑賞。

有機物の生命力を平面で再現している作品群の数々に加え、近代化に象徴されるけばけばしい染色を拒絶しインディゴでの染色をとてつもない手間をかけて復活させた…そんな物語を掲示していて美しさに奥行きを持たせていました。
「ものの役割や機能を第一に考えたデザインは自ずと美しくなる。」手仕事による労働の喜びを大切にしたモリス。喜びが産み出した工芸品に囲まれた生活は豊かなんだろうな、としみじみ。
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昨日の宮台真司の話[@麻布学園]も結局、幸せであるための共同体がテーマだったような。共同体の崩壊を公共事業に頼る貧しさ、匿名性の高い大都市民の劣化…繋がってくる気がします。

麻布一番でのランチはやさい三昧で。
[麻布かりんと]では堅くて甘い、笹かりんとを選択。手が止まりません…。
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映画『鬼が来た!』は半澤ロスに効き過ぎた! [movie]

昨日は頭痛が治まらずに何も出来なかったので映画。半澤ロスなので堺雅人のまったり映画『ジャージの二人』と香川照之の気迫と狂気の原点、2000年カンヌグランプリ受賞作『鬼が来た!』鑑賞。どちらも映画の良さが味わえました。言語化できないものもしっかり伝えられてる!そして後からジワジワ余韻が来ています…。

中国映画の『鬼が来た!』の鬼は日本人(鬼子)のこと。太平洋戦争末期が舞台。抗日映画かと思いきや双方の触れ合いがシュールな笑いに包まれます。

万里の長城近くの辺境の村に麻袋で運び込まれ、世話をされることになった花屋(香川)と通訳。世話役のマー(監督でもある姜文)に悪態をつくつもりが…「おじいさん、おばあさんおめでとうございます!」とやらかす。保身の為に通訳がウソを教えたんですね。そんな感じで和やかな関係になってもそのまま進まないのが戦争。戦争自体が不条理だらけなので、アングラ舞台の不条理な設定をそのまま現実にシフトさせているような錯覚を覚えます。

中国当局は上映禁止に?
中国共産党は北部に少数しかいなかったのに日本軍を追い出す為に英国が資金援助して成り立ったわけだから、中国共産党の存在意義から行ってもあくまで日本軍は残虐であって欲しいということかしら。

■カンヌ映画祭受賞作品「鬼が来た」―中国で上映できなかった理由―
http://youtu.be/T9xZNg0I_Sw
ふむふむ。ほんとに当局オススメの映画は一面的なイデオロギーで作られていてなんて薄っぺらいんでしょうね。統治下での村人の愚昧ぶりが気に入らないと?「村人はそんなもの。戦争のバカバカしさを描いている秀作」と詩人に話させる中国番組は健全ですね。

負傷した日本兵を見て嘆く日本女性の姿を映したり、同じ人間であることをしっかり描きます。とはいえ日本軍をただただ好意的に描いている訳でもなく、体罰全開、狂気の沙汰も見栄次第の最悪な展開に頭痛が悪化。

香川照之の記録によると五ヶ月間の撮影現場はずさんで不潔で劣悪で、狂気を引き起こすのに十分らしかったので日本人の役者にとってもリアルな狂乱ぶりだったのかもしれません。

そしてラストは圧巻。温厚なマーがどうして…。(気持ちネタバレですみません。)戦争がもたらす狂気に敵味方もないんですよね。鬼は日本人のことではなく狂気そのものなんでしょう。モノクロ映画なのですが色味の差す瞬間があって…衝撃を産みます。鬼からの解放を示していたのでしょうか。意味深でした。


夢見の悪い人はみない方がよさそうですが、中国当局と日本帝国の歪んだイデオロギーに振り回された国民の姿に、禁断のリアリズムとシュールな深みを与えてくれる意味で必見!

[監督 姜文]

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00006RTUV/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00006RTUV&linkCode=as2&tag=ayuko03-22

巨峰とその皮の話 [家庭内外行事]

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実家から届いた巨峰!今年は甘くて最高です。ポタリと落ちる果汁さえも惜しいと思うくらいです。人間に甘味を分け与えるためにその生が有るのならなんて充足しているのでしょう。皮を触っただけで果汁がはちきれるように思えて一粒一粒が愛おしい…。

ところで、家人は皮が大好き。やっと実も食べられるようになったと言います。我儘を言わない大人になりました。お弁当にも身を絞りだして皮だけ入れると喜びます。私は未だに慣れずにこれでいいのか?気を使ってるんじゃないのかと思って、たまに皮付きの実をお弁当に入れるのですが、実のまま入っているとガッカリするそうです。私が実を食べたあと、皮だけ取って置いて渡すと「取っておいてくれたんだぁ。ありがとう[ぴかぴか(新しい)]」と喜びます。マジです。

ある日、私は皮を剥いた巨峰が目の前に並んでいるというお嬢様のような食卓を思い描くだけで嬉しくなって「私がいない時は皮だけ食べておいていいからね。」と言いました。お嬢様に使える給仕のように準備させるなんて失礼かしらと思いつつ言ったのですが、返事は「え?本当にいいの????[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]」と思いもかけず弾んだ声で喜びに満ちたもの。彼女にとって、実だけ残すことは失礼なことと認識されていたようです!
言ってみるものですねぇ[ぴかぴか(新しい)]

この世の生物は棲み分けが出来ていて、例えばパンダは誰も食べない笹を、コアラは毒性のあるユーカリを食糧として選んで無用な争いを避け、種として生きながらえています。反して人間はグローバルで統一された価値観が奪い合いを産んでいるように思っています。

だからこそ、巨峰が届くと、誰が無理するわけでもなく無駄がない我が家の状態に生物の棲み分けのこの上もない理想のカタチを見出して、私はすこぶる満足です。

しかし、まだ私の目の前に皮を剥いた巨峰の実が並んだことはなく…その贅沢はお預けのままです。
たぶん、面倒くさいだけでなく、彼女にとって、ものだけでなく[好みのものが差し出されること自体]に意味があるのでしょう。そうそう、この世の恵まれているはずの人々の欲求にそんなところもあるのではないかと推測をしてみたりします。

そして、私もお嬢様気分を味わいたい…。今でも脳裏に、皮が剥かれて表面に甘い果汁をジュルジュルとほとばしらせた巨峰の実の並ぶ姿がちらちらと…

欲は全く果てず、人間は複雑です。

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乳頭温泉のブナ林と角館の武家屋敷 [自然]

乳頭温泉、休暇村裏のブナ林。多様な生態系を育む美しい場所でした!
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しかし原生林ではなくて植林したから細いんだとか。戦争で使用するため伐採したらしいです。相変わらず戦争ってやつは勿体無いことをし続けるもんなんですねぇ。
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魚を保護する事業も展開中!
長年育んでも破壊ってあっという間。
話は逸れますが、米軍の潜水艦のソナー音やら爆音の影響で鯨もイルカもばたばた死んでいるそうですね。やれやれ。

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秋田名物ババヘラアイス
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また、みそたんぽ
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そして角館の武家屋敷
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いい写真がない!!!
もう一言で言うと、秋来たら春来たくなる。春来たら秋に来たくなる。そんなキャッチコピーがすんなり頭に入ってくるようなところです!

遅いお昼は、手打ち蕎麦『さくら』にて、あきたこまちをねりこんだというもちもちしたこまちそば。なかなか味わい深い。そして[みず]という山菜がみずみずしい!
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シュウカイドウが咲いていました。
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夕飯はオムライスで有名な『ボンフィール』にて、フワトロです。
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お土産のヒットはカントリーマアムのずんだ味!となまはげクッキー。
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帰りはスーパーこまちにしました。
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秋田では在来線を使用するために幅が狭いスーパーこまち。秋田以外の新幹線ホームの幅に合わせるために…ステップが上がります。
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帰りは名残惜しい気持ちと一緒で少し曇り空でした。
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また行きたい!今度は紅葉めがけて行こうかしら???


あきたにしました [自然]

あきたにしました

というJRのキャンペーンではないのですが、稔りの秋を目でも味わってきました。

9/27は快晴 11時22分発
秋の東北は始めて。東北自体もうん年前の山形と仙台くらいなのですが、ただの移動のつもりでいたらとんでもない。こまちの車窓からして違う!近所にも田んぼはあるのですがスケールが違います。
快晴の澄み渡る青い空の下、稲穂がまさに黄金に輝いています。まぶしい!

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大曲到着。ツレのいる場所まで徒歩移動中、久々にまだ色づかない黄緑のナツメ発見。小学生時代、食べて怒られたなぁ(笑)東京では全くみません。

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手書きの地図ももらっていたのですがGoogleナビを頼ったらあぜ道を案内されて…。クスクス面白がりながら、キャリーバックを持ち上げながら道を進みました。ちょっと重い^_^;

そして、翌朝はサイクリング!
今日も鳥海山が見えるほどの快晴。
小道を渡って
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大通りに出ると
こんな風景。
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イオンにてイーグルス優勝セール。
勇ましいイーグルスの曲が流れています。
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さて、次はドライブ。
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道の駅にて、みそたんぽ。このボリュームで300円は安い!美味しい!
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田沢湖到着
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神社にて空は鱗
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岩場からみた水面も
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なんという透明度。
売店で餌を買って撒くおじさまがいたので魚が寄ってきています。
日清戦争による電源確保の国策で、玉川の強酸性水導入によりクニマスを含む生物は絶滅…>_<… 子どもが放流した強いハヤ(小骨が多くて食べられない)がいるだけだとか。
クニマスといえば、さかな君の活躍が記憶に新しいですがつながってませんでした!
里帰り計画の遂行、祈ってます。

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空と山とみずうみの青。稲穂の黄金、道のグレー。

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アルパこまくさから。来るつもりはなかったのですが[るるぶ]に休暇村の住所がここで…。そのおかげでこんな風景に出会えてラッキー(^O^)/

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そして乳頭温泉郷、鶴の湯へ

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到着三時で宿泊客以外の入浴は三時まで^_^;
また来るぞ〜!

次はぶな林編

またしてもダルマガエル [自然]

台風の大雨前の14日、かなり蒸し暑くなってました。カエルに会えるのはいつも暑い日。もしやと思ってのぞくといました!

何処にのっているのかわかりませんが、しばらく動かないまま、写真を撮らせてくれてました。少し奥の枝にカエルがよじ登っていました。あとになって写真で発見。睡蓮鉢の青浮草のせいで全てが緑です。
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動画を貼るのを忘れていました!
http://youtu.be/AHQ7Cyp8oeM  2014/05/18添付

そして、台風一過の16日6時の空のもよう。

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Coldplayの新曲Atlas [music]

Coldplayの新曲がこんな美しいMVで聴けるなんて!楽曲も1stが一番好きな私としては理想の極み。
きらめくピアノと落ち着かせてくれるボイス、深みのある美メロ、躍進を暗示する曲展開が、上空へ飛翔して、更に天体の運行に捉えられ色鮮やかに拡がっていくイメージに同期している。うっとりできます☆

Atlas (from The Hunger Games: Catching Fire Soundtrack)

http://t.co/7AgZH9ZLvP

庭〜七月中旬〜 [自然]

七月初旬
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ジャスミンの花がきれい。相変わらず今ひとつ有効利用できていません。

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ギボウシの花が初めて咲きました!

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みそはぎの花も咲きました。
庭に咲くと、道中に咲いてる花がなんだかわかっていい感じ
[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]


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睡蓮鉢の睡蓮の葉にかえるが乗っていい感じ。


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植えた落花生にも花が咲きました。
花の近くにも、なにかいる…。

かえるでした。

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ミントでぼさぼさなので有効利用。

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7/30 きゅうりも順調です。

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順調です。

ん?
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なにかいる…。

ぼちゃん…

あぁ、睡蓮鉢に近づくたびに、ぼちゃんと音がしてたけど。

またのぞくと…
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いた。遠くから連写(手動)

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でろーん、としてます。逃げません。
朝からの暑さにのびてるのかしら?

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この日、友だちにロンガンとランブータンとカスタードアップルを届けてもらったのですが、彼女から我が家で八年前に見たダルマガエルが忘れられないと最近聞いたばかり。ノウリニキザマレテイマスというメールだったのでトラウマに近そうですσ^_^;
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これは八年前の写真

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あまりのタイムリーさに、思わずお礼にこんなメッセージを作りましたが送りませんよ^^;

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話は逸れますが、ランブータンというとランゴリアース(スティーブン・キング原作のドラマ)を思い出してしまって…。ランまで一緒でしょ?その歯をみて、NHKスペシャルの深海特集でのゴブリンシャークを思い出していたら、ETVで似たような…フランシス・ベーコンの絵の歯が特徴的でコラージュ。中二病みたい(笑)な自分を面白がってたりします。

で、庭に戻ると、八月になってからの睡蓮鉢。
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睡蓮の葉がやられてます。

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↑去年、布袋葵がかえるの糞まみれになりましたが今年は睡蓮が虫に食われて↑↑こんなです。自然は景観を保とうなんて気遣いなし!容赦ありません。

メロンの皮を置いても、去年はカブトムシが三匹来ましたが今年は茶色いものでした。首を上下に美味しそうに食べていて可愛いのですが予定外…。こんなものでしょう。

みそはぎの花が綺麗にいくつも咲きました。
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ネブラスカイディスク [自然]


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@コズミックフロント(BSプレミアム)

ドイツ青銅器時代のネブラディスク。
両端のアーチの82度は夏至と冬至の日の出入りを示していて、施設が無くても天文板で季節 がわかるようになっているんだとか。
これだけでも、ほうう?なのに…

さらに、さりげなく描かれている七つ星と月も意味があって、七つ星(昴、プレアデス星団)と五日月(三日月が更に太った状態)がディスクに示された位置関係になったならば、月の暦と一年の補正→閏月を挿入する時期と判断していたらしい。なんと複雑な!

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農耕では季節が重要。文字のない時代にどれだけ高度なのでしょう。描かれている他の天体も何かありそうです!ワクワク…

さらに、成分を細かく分析すると銅はオーストリアから金はイギリスからのもの。塩との物々交換?でやってきた産物なんだとか。
銅板は夜空のように黒くするために500度で焼き上げて黒くしていたらしいし、なんだろうその技術。

銅板の一枚に秘められためくるめく天文技術に物流に加工技術の数々。ネブラスカイディスクは古代ヨーロッパの文明の証だったんですね。
いちいち驚きを隠せませんでした。
観てよかった〜。



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